お遊戯会 | ナノ




 高校に入ってから、緑間っちは少し変わった。どこがどういうふうに、と聞かれると返答に困るけど、とにかく。一番身近な存在のオレが言うんだから、それは絶対だ。
 もちろん、別々の学校に通っているオレたちは毎日気楽に会えるわけでもない。週に一回、お互いがオフの日は何とか都合をつけてもらっているが、それも単なるオレの我儘なだけであって、あっちがどう思っているのかはわからないし。でも、少なくともオレと一緒にいるときの緑間っちは、何となく満更でもないような表情をしていたから。そんな素直になれない彼の、つんとすました綺麗な横顔を眺めるのが好きだった。
 そのはずだったのに。最近の緑間っちときたら、たまに会うオレにも普段以上に投げやりな態度で、どこか上の空。あまりにもぼうっとしているから、彼がいつも欠かさず身につけている眼鏡を取り上げてみたところ、それでもまったくの無反応だったときにはさすがのオレも驚いた。
 緑間っち、名前を呼ぶと反射的にこちらを向く彼の瞳は、確かにオレを見ていて、だけど、その奥の、オレではない誰かを見ていた。嫌いになっちゃったんスか、哀しそうな目をして問いかければ、ふるふると首を左右に振る。その反応にはきっと嘘も翳りもない。僅かに俯き照れくさそうに頬を染めて、聞き取りにくい声でぼそぼそと反論する姿はいつもの緑間っちなのだから、間違いはない。

「……ね、緑間っち」
「なん、なのだよ……あまりこちらを見るな、」
「今日、家に一人って言ってたっスよね? 行ってもいい?」





 本当のことを言うと、そもそもの原因はわかっていたりもする。オレは自分が考える以上に、他人が思う以上に、ずる賢く狡猾な生き物だ。ありのままの自身を表に晒さぬよう、皮をかぶって生きている、これといった理由は特にない。ただ、その方が暮らしやすいし、楽しいから、そうしているだけであって。
 だからこうした思惑にも、深い意味が隠されているわけではないと思う。オレは、オレがしたいように、オレが愉しむためだけに、毎日を過ごしている、この一言に尽きる。携帯電話を片手にぽちぽちと慣れた手つきでメールを打っていたオレは、家主に早く上がるよう促され、何でもないふりをして、通い詰めた玄関にて丁寧に揃えて靴を脱いだ。
 緑間っちの両親が仕事で家を空けることはしばしばあって、その瞬間を見計らっては、オレも結構な頻度でここへ足を踏み入れていた。というのも、こちらから一方的に押しかけているだけの話なのだが。彼も彼で、一瞬嫌な顔をするものの、強引に押し通してしまえば断ることはしないのだから、我ながら愛されてるなぁ、少し幸せな気持ちになる。
 にやにやしているオレに変な目を向けつつも、普段どおり律儀に、コーヒーを淹れてくるからおとなしくしていろ、一言そう告げて席を外した緑間っちの部屋の、何の変哲もないごく普通のベッドへ身を投げた。さすがに本人がいる前でこんなことをしたら怒られるのが目に見えているから、こういうとき限定で。
 でも、ああ、緑間っちの匂いの染み込んだベッドに横たわっているだけで、心臓がざわざわと音を立てるのだ、オレも本当に我慢がならない性質というか。目を閉じ、脳裏に思い浮かべるのは、汗と涙でぐちゃぐちゃに濡れた緑間っちの、余裕のない表情。そのへんの女なんかより全然興奮するし、何より価値がある。いつもはお堅い彼が乱れた姿は、何度見ても腰にクるものがあったし、自然、オレの吐息を熱くさせた。
 たまには自制してみようと、思うだけで実践できた例は一度もない。二人きりの密室空間で、緑間っちを目の前にして、どうこうしないはずもないのだと、そろそろオレは気付くべきだ。据え膳食わぬは男の恥というし、すべては当然の帰結ということである。

「おい黄瀬、人のベッドに転がるなといつも言っているだろう。お前はいい加減に学習しろ、……っ」
「待ってたんスよ、緑間っちを。ほら、コーヒー冷めちゃう前に、早く」
「く、……やはりそれが目的だったのか……」
「……逆に聞くけど、オレがここに来たがる理由がそれ以外にあると思ってんスか?」

 テーブルの上にティーカップとお菓子ののったトレーを置いた緑間っちの腕をそのまま引きずり込むように強くこちら側へ。バランスを崩した彼の身体は、ものの見事にオレの隣の空いたスペースへと倒れ込み、衝撃でかけていた眼鏡がずれてしまった。あ、怒られるかも、だがその前にすかさずそれを取り払ってしまい、割れないよう安全な場所へ避難させ、これで一安心。
 呆気にとられている緑間っちはそのままに、上体を起こし、逃げられないよう真上から覆い被されば、すでに体勢は整った。おそらく今の彼の視界状態ではオレの顔を判別するのも難しいのだろうが、むしろその方が好都合だ。
 ぷちぷち、シャツのボタンをゆっくりと外しながら前を寛げていく動作だって、本来ならばもどかしくてたまらない単調作業でしかない。けれど、それなりにお膳立ては必要だ。乱暴なのもそれはそれで楽しみ甲斐があるというものだが、また別の機会にしたって構わないだろう。焦ることはない。
 会おうと思えばいつでも会える距離だし、場所なんて選ばなければいくらでもセックスできるし。などと言おうものなら、緑間っちのことだ、頬を真っ赤にして殴りながら反論してくるんだろうけど。でもまぁ、悪いお口は早々に塞いでおけばそれ以上の悪さはしないものだ。そうなるように調教したのは他の誰でもない、オレなのだから。
 緑間っちのことでオレが知らないことなんて、一つもない。だから隠し事しようなんて、馬鹿なことは考えない方が身のためだったのに。もう、今さら何を弁解しようと全部遅い。

「う、……ふ、っ……」
「抑えないでよ……緑間っちの声、聞きたい」
「……る、さい……黙っているのだよ、ッあ! ひ、……!」
「そうそう、素直に従っときゃいいんスよー、こうなったらもうオレに逆らえないんだから、ね」

 袖を噛むことで必死に嬌声を押し殺している緑間っちを観察するのも、なかなか優越感に浸れる仕事ではあるのだが、やはりそれだけではつまらない。それに、聞けるはずのものをわざわざ聞かない手段はないし、何度言っても聞き分けのならない天邪鬼には、身を以て叩き込んでやるのが筋というものだろう。
 無理矢理剥がした腕をシーツの上に縫いつけ、愛撫によってとろとろに溶かされている緑間っちを見下しつつ、オレはできるだけやさしい声で囁いた。こう見えて快感に弱い彼は、オレのたった一言でぐずぐずに下半身を濡らして、すでに熱を受け入れる準備を整えているのだから、本当に素晴らしい逸材だと思う。
 別にセックスがしたいだけというわけでもないけれど、身体の相性というものはそれなりに重要なことでもある。緑間っちだって、オレに罵られて興奮しているのだ、きっと人のことは言えない。それにしても、彼にこんな変態的な趣味があるだなんて知ったら、アレは一体どんな顔をするのだろうと。今オレが考えることといえば、それだけだ。
 そんなどうでもいいことばかりが頭の中を支配しているおかげで、猛烈に身体が熱くてたまらない。まだ下を脱がしてもいないのに、欲望だけが急いてしまってよくない。でも、そういえば。壁にかけられた時計をふと見上げ、オレが緑間っちの家に来てからもう三十分は経過していることに気付き、ポケットに突っ込んだままの携帯電話をもう一度取り出した。生憎と、押し寄せる快楽の波に勝てそうもない彼には、オレの一挙一動が見えていないらしい。というよりは、認識するだけの思考回路を持ち合わせていないというべきか。
 別にオレとしては、それでまったく問題はない。アドレス帳を開き、登録しておいただけで一度もかけたことのない電話番号を呼び出す。ボタンを押す指先は不思議と落ち着いていたが、脳が沸騰寸前に煮え滾っていたのは確かだった。

「あ、もしもし? お久しぶりっスー。うんそうそう、今ちょっと取り込んでて出られないんで、こっちまで来てもらえるっスか? 部屋、わかるっスよね? はい、それじゃ」
「ぁ、……っんん……き、せ」
「緑間っちー、オネガイなんスけど……ちょっと今日、このまま挿れさせてもらうっスね。てなわけで、ごめん、痛くても我慢して」
「っ、やめ、」

 拒絶の言葉は聞こえないふりをして。冷静な手つきで取り払った下着の内側から覗く、そそり立った性器は無視したまま、片足を担ぎ込むと、勢いをつけて一気に腰を沈めた。瞬間、息ができずに詰まり、直後、激しく咳き込んだ緑間っちの身を案じながらも、それをやめてやらなかったのはオレなりのやさしさとも言える。
 どちらにしろ、彼自身が辛いのは変わらないのだから、それならば快感に導いてやるのが正しい方法だろう。何もオレは間違ったことなどしていない。こうされる方が緑間っちは悦ぶから、全部知ってるから、間違いなんてない。
 苦しそうに吐き出される荒い息遣いも、オレにとっては興奮材料にしかならなくて、頭の中に靄がかかったみたいに何も考えられなくなって、ただひたすらに腰を打ちつける。緑間っちとのセックスは本当に、夢の中の出来事のように気持ち良くて、思わず理性を飛ばしてしまいそうになるから困る。
 だめだ、せっかくここまで上手く事を運んできたんだから、最後まで気をしっかり保たないと。目の前の気持ちいいことにうつつを抜かしているばかりじゃあ、オレの努力が無駄になってしまう。わかってはいる。でも、だけど、緑間っちの蕩けそうな顔を、もっと汚してやりたくなって、どうしようもないくらいに醜い感情が腹の奥からせり上がってくるのであって、

「……真ちゃん?」
「……た、……か、お」
「ようやく主役のおでましっスね。もう、待ちくたびれたっスよ、高尾君」

 今までぎりぎりのところまで保っていたオレの中の何かが、その瞬間、ぷつりと音を立てて切れた。
 ドアノブを握ったままの体勢から一歩も動かない彼の表情からはすっかり血の気が失せてしまっていて、その場に倒れ込んでしまうんじゃないかと心配してしまうほど。律儀な彼のことだ、何度かノックはしたのだろうが、今まさに繰り広げている行為にのめり込んでいたオレたちがそれに気付くはずもなかった。いや、気付いたところで何が変わったかと聞かれれば、きっと何も変わらなかったとしか答えようがないだろう。
 この世のすべてに絶望したような顔をして呆然と立ち尽くしている、今の緑間っちの一番のオトモダチは、血が滲むほどに強く拳を握りしめて肩を震わせていた。悔しいのか哀しいのか、彼の気持ちは残念ながらオレには理解できない。ただ少なくとも、高尾君が緑間っちを友人以上の存在と認識していることを、オレは知っていた。それだけだ。
 だから別にこれは意地悪でもいじめでも何でもなく、興味本位でやっただけのこと。自分が想いを寄せる相手が、他の男の下で喘いでいる姿を、彼はどんな表情で見つめるのだろうと、純粋に気になっただけの話。そして案の定、オレの予想は外れることなく、高尾君が思ったとおりの、いや、それ以上の反応を見せてくれたことに、感謝しなければならないとも考えた。
 そう、その顔。その、どうしようもなく歪んだ、崩壊への一途を辿る直前の表情こそ、オレが是が非でも見たいと願ったものだった。

「見てよ、高尾君。緑間っちのカオ。そそられるっスよね? もっと近くで見るといいっスよ、今日だけ特別に許してあげるんで」
「……お、まえ、は。何、してんだよ。真ちゃん泣いてんだろ、おい」
「やだなー、それがいいんじゃないっスか。高尾君ならわかってくれると思ったのに残念っス……ねー、緑間っちもそう思うでしょ? って、聞こえてないか」

 がくがくと乱暴に腰を揺さぶって問いかけてみるも、すでに緑間っちの頭は働いていないのだろう。先ほど、高尾君の登場を前にしてひどく動揺していたりもしたが、今ではその面影すら見られないほどにすっかり溺れてしまっている。なんて容易い。こんなに扱いやすい子だったっスかねぇ、思いながら、元はと言えば彼をこうしたのも全部オレだったことに気付き、苦笑を洩らした。
 それにしても腹立たしいのは高尾君の態度だ。好きで好きでたまらないはずの緑間っちのどっぷりと浸かり込んだ艶姿を目の前にしても、必死で平静を装っているふりをして。正義のヒーローぶっているのだとしたら、彼は本当の馬鹿だ。だって、彼みたいな人間がこんな機会に立ち会えるのも、もしかしたらこれが最初で最後かもしれないというのに。
 自分の気持ちに蓋をしてまで、緑間っちのことを大切な友人として認識しようとフィルターをかけることに、一体何の意味があるというのか。オレにはやはり理解できない。欲望には忠実になるべきだし、後先なんて考えずに、思うままに行動すべきだ。まさか、この光景を見ても勃たないだなんて、そんなわけはないだろう。
 我慢する必要なんてないのに。たとえ彼を傷つけることになったとしても、自分に素直になれば、きっとその方が楽しく生きられる。オレは、ずっとそうしてきた。だから彼にもこの幸せをお裾分けしてやろうと考えていたのに、あからさまに拒絶されるものだから、オレとしても不愉快極まりない。彼の怒りと動揺と絶望の入り混じった表情に目をやることによって、それも少しばかり軽減されたけれど。

「何がしたいのかさっぱりわかんねー、けど……お前のやってること、そう簡単に許せるもんじゃねえぞ」
「……あっそ。でもさぁ、高尾君。一つ勘違いしてるっスよ。オレと緑間っちは付き合ってて、これも同意の上の行為に過ぎないんだから。レイプしてるわけじゃあるまいし、アンタにそこまで言われる筋合いはないっスね」
「……な、……ん、」

 嘘だ、息を吐き出すかのような弱々しい声が口を突いて出たのに、彼自身驚いたのだろう。自らの喉を押さえ、力なく項垂れて首を左右に振る。ごめんね、心にもない言葉を投げかけ、当然のように微笑んだオレは、先ほどまでの不快感も嘘のように吹き飛んだあとの、清々しい心持ちの中、思い出したように緑間っちの奥を突き上げた。
 息も絶え絶えの彼は今にも死んでしまうんじゃないかと思えるほどのか細い悲鳴を上げ、気を抜けば意識を手放してしまうだろうことも窺えた。それでも緑間っちはとことんプライドの高い人間であるために、どうあってもそれを自らに許さない。とうに限界は近いはずであろうに、高尾君の前だからということもあって、懸命に欲を吐き出すのを堪えている。それが何より辛いことであると、男なら誰でも理解できるはずだ。
 きっと、目の前で行き場のない怒りに打ち震えながら唇を噛みしめている彼だって。緑間っちの絶頂を迎えた顔なんてものを目撃してしまった日には、興奮のあまり錯乱状態に陥ってしまうのではなかろうか、とも思う。それは是非とも見てみたいし、せっかくこの場に居合わせているのだ、彼にも共に分かち合う権利くらいは与えてやるべきである。
 ここまでくれば、あと一押し。カウントダウンはもう始まっている。
 ぐぷり、突き上げた腰が跳ね、呑み込もうとした声は間に合わず、空気を振動させて部屋中に響き渡った。散った白濁は無惨にも彼の腹の上に吐き出され、オレは何の躊躇もすることなく、己のそれを緑間っちの中へとたっぷり注ぎ込んでやった。
 意味などない、ただ快楽を貪り合うだけの性交は呆気なく幕を閉じ、結末を見届けた観客がその場に膝をつき崩れ落ちたのを、満たされた面持ちで見つめる。人が絶望し、壊れていく過程ほど、おそらく楽しいものはない。オレはそんな自分が歪んでいることをすでに十分すぎるほど自覚していたが、修正の余地はもう残されていなかった。

「はい、次はアンタの番っスよ」

 差し伸べられた手にぼんやりと目をやり、それから静かに息を吐き出す。まだ、足りないか。ベッドに身を沈めた緑間っちと、蹲ったまま動かない高尾君を交互に見つめつつ、含み笑いを溢した。悪いことをしたら天罰が下るのだと、もう二度と忘れないよう、しっかり身体に教え込んでやらないと。緑間っちには、オレがいればそれでいいのだから。



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