愛と衝動 | ナノ




 練習後、部屋に戻ってきた彼がひどく気怠そうに息を吐き出してベッドに転がるのは、もはや日常茶飯事の光景である。同じ一年だから、という理由で相部屋にされたのは、オレとしては好都合だったけれど、青峰っちからすれば、他人と同じ空気を吸うこと自体、息苦しくてたまらないのだろうから。相手がオレであろうと、きっとそれは同じことだ。
 ろくに練習にも参加したことのない彼は、当然のごとく授業も毎日のようにサボり、屋上で惰眠を貪るという、学生にあるまじき堕落しきった生活を送っている。それについてオレがとやかく文句を言うことはないが、青峰っちの様子は、帝光を卒業してからますますおかしくなっていったような気がした。
 起こすなよ、そう一言だけ告げて横になり、今ではすっかり無防備な体勢で静かに寝息を立てている彼のすぐ横へと腰を下ろす。ぎし、安物のベッドのスプリングが僅かに軋んだが、青峰っちが目を覚ますことはなさそうだった。
 そのままそっと、壊れものを扱うかのように丁寧な仕草で指先を運び、しっとりと汗ばんだ首から鎖骨にかけてのラインを撫で上げる。洗練された筋肉に、引き締まった体つきは、同性ならば誰しも憧れの対象となりえるそれであろう。オレだって、その一人に過ぎなかった。
 周囲のものすべて、自分を取り巻く環境にほとほと嫌気が差していたあの頃。唯一、荒んだオレの心を救ってくれたのは、彼の魅せてくれたバスケでしかなかった。あの日からずっと、青峰っちのことだけを追いかけ続けて、ようやく隣に立つことを許される日がオレにも訪れたのだと、うれしくて仕方がなかったのに。

「ん……、テツ……行くな、よ……」
「……このタイミングで他の男の名前呼ぶ神経がわかんないっスわ、ほんと」

 夢を見ているのだろう。苦しそうに喘ぎ、小さく寝返りを打った身体は、オレよりもよほどしっかりしているはずなのに、どこか頼りなく見えた。
 青峰っちがバスケを心から楽しいと思えなくなり、自然と部活からも遠のいていった二年前の夏の日。去っていく背中を切なそうに見送っていた、かつての相棒の後ろ姿を黙って見つめていただけのオレ。到底、二人の間に割って入ることなどできそうにもなくて、ただそれが歯痒くてたまらなくて、一人爪を噛んだ。
 でもやっぱりオレは、ただひたすら貪欲にボールを追い、颯爽とコートを駆け抜けていく青峰っちが好きなんだと思ったし、同時に、その姿を目に焼きつけるためには、彼の存在が必要不可欠であることを心のどこかで認めていた。だから、正直なことを言えば、一度は諦めかけたこともあったというわけだ。
 ……けれど結局のところ、もしそんなことができたとしたら今オレはこの場にすらいないわけであって。
 意外にも弾力のある頬を指でふにふにと突くと、呻き声を上げてゆっくり目蓋が開いていく。目を細め、焦点だけはこちらに定めているようだったが、まだ意識は完全には覚醒していないのであろう、言葉とも判別できないような曖昧な文字列が飛び交い、オレも思わず苦笑を洩らした。たまに青峰っちがオレのことを、聞き分けのない子供と言ったりもするが、それは彼自身にも言えることではないのかと、よく考えてみれば思うこともある。寝起きの青峰っちほど隙だらけで、丸め込みやすいものはないのだから。

「……テツ、……?」
「残念、オレでした」
「っ、……起こすなって言っただろうが……人の話聞いてたのかよ、テメェは」
「すんませんっス。でもまた、悪い夢にうなされてたみたいだったから。放っておけなかったんスよ。……なんて言えば、許してくれる?」

 頬を包み込んで鼻先をくっつければ、案の定抵抗されることもなく、青峰っちのほとほと白けきった目と視線がかち合った。
 彼としてはきっと、まだあの甘い夢の世界に捕らわれていたかったんだろう。バスケが楽しかった頃。きらきらと笑顔をこぼしながら汗を流していた頃。アイスを片手に一緒に帰っていた二人の背中を、オレは今でもまだ鮮明に思い出すことができる。
 ねぇ、青峰っちは気付いてたのかな。最初からオレがアンタのことしか見てなかったってことに。欲しくて欲しくて、喉の奥から手が出るほどに欲しくて、でもどんなに追い求めてもするすると指の間を擦り抜けていくアンタが、やっぱり欲しくてたまらなくて。ここまで死に物狂いで追いかけてきたのに、いまだにオレのことなんて眼中にもないアンタが、オレは。
 どうすればいいか懸命に考えてきた。振り向いてもらう方法。過去を忘れてもらうための手段。理屈じゃないって、わかってるけど。頭では十分すぎるほどに理解できているだけに、ただ、悔しくてならない。オレは黒子っちとは違う。影なんてものにまったく興味はなくて、その身体を、心を、束縛できるだけの力が、

「……、が、……ッ、う、げほっ、げほ」
「……あ。ごめん、苦しかったっスね」
「き、せ……お前、……やっぱ、変だ」

 気がついたら頬に添えていたはずのオレの両手は青峰っちの首をゆるやかに締め上げていて、彼が呻く声に気付かなければ、そのまま息の根を止めていたかもしれないと、今さらながら目の前で起こっていた衝撃の事実に自分でも少しだけ驚いた。ぱっ、手を離すと同時に、勢いよく咳き込む青峰っちを見据え、生唾を呑み込む。
 なんだ、簡単なことだったんだ。欲しいと、望むだけで手に入るようなものならば、そもそもオレは求めたりしない。絶対にこの手に収まらないものだからこそ、どうあっても強奪したいと願うのではなかったか。身動きを忘れて苦しんでいる青峰っちの腹の上へと跨る。滑らかな腹筋の手触りは心地よく、自然と唇から溜息が洩れた。
 バスケをしている青峰っちが好きだ。彼が輝いていた頃の、花が咲いたような笑顔が好きだった。でもオレが本当に好きなのはそんなものじゃなくて、辛くて苦しくて、泣きそうなぐらいにしんどくて、だけどそれを平気なふりをして、耐えて耐えて、必死で堪えて我慢している、その苦悶に歪んだ表情だったんだ。

「セックスの最中に首絞められるとよく締まるって聞くけど、ほんとなんスかね」
「どけよ、おいッ……!」
「……ま、青峰っちがその気にならなくてもオレは興奮するし、別に関係ないか」

 たぶん、馬鹿な青峰っちはいまだにオレと黒子っちの姿を重ね合わせていたりするんだろうけど、何より大きな違いとして、オレには彼のような徹底したやさしさが欠けているということに、そろそろ気付くべきだと思った。



(120726)





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