君を守れるだけの、 | ナノ




 不自然に軋みを上げる肩をそっと手で擦り、触れた部分から走った激痛に、青峰の表情がめずらしく辛そうに歪む。試合後、コート外から不安そうに瞳を揺らして駆け寄ってきた幼馴染みの腕も無碍に振り払い、彼は一人、沈みゆく太陽を眺めながら帰路を辿っていた。
 大事には至っていない、とは思いたいが、今現在、彼の右腕が上がらないのは覆しようもない確かな事実である。原因は対戦校の選手による、あからさまなファウル。大方本気で潰す気でやったのだろう、すぐさま退場を命じられた相手の口元には邪悪な笑みが浮かんでおり、青峰ももちろんそれを見逃さなかった。
 自分の高校生離れした圧倒的なプレイスタイルに、羨望以上の感情をもつ者が、最近になって異様に増えてきたことは、彼も自覚している。自らが手に入れられないものを求めるがあまり、嫉妬に狂い、果ては暴力という卑怯な手段にまででる人間が、青峰は一番嫌いだった。彼とて好きでこのような才能に目覚めたわけでも何でもなく、ただ、そうなるべくしてなっただけの話であるというのに。などと言い訳でもすれば、余計に彼らの怒りを買ってしまうだろうことは明白だったが。
 どちらにせよ、その行為を見過ごしてやれるほど青峰は大人ではない。わざわざ突き詰めて報復しようなどとは思わないが、次に会ったときには倍返しくらいはしてやろうと、頭の中に思い出した相手の顔を刻み込んだ。

「……青峰っち」

 学生寮に向かう途中の、小さな公園がある方向からこちらへかけられた声に、青峰は首だけを曲げて振り向かせた。自分と同じ、漆黒のジャージを羽織った金髪の少年がベンチの上に腰かけて佇んでいるのに、少しだけ目を細めて足を止める。遠目からではよく表情も見えなかったが、声色はどこか暗い調子であった。
 とはいえ、中学を卒業し、青峰と同じ桐皇学園へ進学した黄瀬が、入学当初よりそのような翳りを帯びていたことは今さらともいえる話であって。青峰が己のバスケの才能に目覚めていくとともに何かを失っていったのと同様に、黄瀬もまた、彼の中の大切なものを喪失してしまっていた。その結果、ゆっくりと黄瀬の自我が崩壊していったのは言うまでもない話で、それについては青峰も責任を感じていたりもした。
 桐皇に来なければまだ、救いようがあったかもしれないのに。隣にいさせてほしいと縋りつく黄瀬の腕を、どうしても振り払うことができなかった罪は、一生かかっても償いきれないのだろう。

「……黄瀬? 先に帰ったんじゃなかったのかよ」
「いや、……ここにいれば青峰っちに会えるかと思って、ずっと待ってたっス」
「……風邪ひくぞ、バカ」
「あれ、心配してくれてるんスか? ……やさしいなぁ、ホント……でもそれって結局、アンタの甘さに繋がるんスよね」

 はは、乾いた笑いを浮かべて立ち上がり、歩み寄ってくる黄瀬の足取りはひどく重く、数メートルの距離がとても長いものに感じた。そのまま彼の不安定な様子を眺めていた青峰は、そこでようやく気付く。
 黒を基調としたあのジャージではうまく判別できなかったが、あれは純粋な黒ではなく、どす黒い赤の混じった狂気の色をしていると。顔を上げた黄瀬の、貼り付けたような笑みに、点々とこびりついた赤は、きっと拭ってもすぐには落とせない罪の証なのだろうと、青峰は唇を噛んだ。
 そうだ、昔からそうだった。黄瀬はそういう人間だった。いいことと悪いことの区別がつかない、まるで無邪気な子供のような。叱られればへそを曲げ、それでも自分は悪くない、首を横に振って頑なに否定する。自分が吐き出しそうな気持ちを堪えて行動に出なければすべて丸く収まると、その考え自体が愚かだったことに、今さら気付いても後の祭りというわけである。

「ねぇ、褒めてよ。青峰っちのためにやったんスよ、オレ」
「何、してんだよ。いい加減に目ェ覚ませよ、お前。そんなことしてオレが喜ぶとでもほんとに思ってんのか」
「……違うの? ああ、そっか……イヤなんスね、青峰っちは。でも大丈夫、オレは全然傷ついたりしないから。これはアンタを守るためにやってることだから、ほら。全然痛くないっス」

 おそらくは相手を殴りすぎたのであろう、見るに堪えないほどに腫れ上がり、出血した拳を見せつけられ、思わず青峰は目を背けた。それは黄瀬自身から逃げることと同じだというのに、そうするしか方法がなかった。
 目が回る。頭が痛い。彼をこうしたのは自分のはずなのに、彼をこれ以上直視することができない。誰よりも自分が卑怯だということは百も承知だ。それでも青峰は、黄瀬が恐ろしくてたまらない。何か、自分の知らない生き物を目にしているようで、言いようのない恐怖が全身を襲うのであって、自然、息ができなくなり、心臓が早鐘を打った。
 青峰の痛めた肩をそっと、黄瀬の血に濡れた指がなぞる。触れられただけで背中に電流が流れたような衝撃が走り、青峰は思わず歯を食い縛った。だが、この何倍ともわからないような痛みを、黄瀬は報復として。考えただけで眩暈がする。常識的に考えて、それはただひたすらに異常であった。

「明日の試合、青峰っちの代わりにオレが出るんで。負けるとか有り得ないから、余計なこと考えなくていいっスよ。……あ、でもこの手じゃ桃っちに止められるかなー、あの子も結構心配性だし」
「黄瀬……、」
「ダイジョブっスよー、いくらオレでも試合中に変な真似はしないって! ね!」

 はじけるような黄瀬の笑顔が、青峰の背筋を一瞬で凍りつかせる。彼は嘘は言わない、が、冗談も言わない。その言葉の裏に隠された本音を悟った青峰はしかし、何も言い返せず、黄瀬に鷲掴まれた肩からじわじわと響く痛みに、息を吐き出すことしかできなかった。
 間違えたのは、一体どこからだったのだろう。



(120724)





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