黄瀬くんはお帰りください | ナノ




 青峰との同棲が黒子に露見してから数日後の現在、火神はさらなる危機的状況に陥っている自らの不幸をただひたすらに呪っていた。
 リビングの座卓の前で睨み合う二つの視線。交差するそれはバチバチと激しく火花を散らしているようで、こちらから何か口出しできるような雰囲気でもない。
 一人は片膝を立て、標準装備の仏頂面で頬杖を突いている、この家の住人でもある青峰。もう一人は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、今にも掴みかかりそうな勢いで身を乗り出している、彼の元チームメイトとしても名を馳せている黄瀬。
 なぜ普段は滅多に交流もないこの男が今こうして同じ空間にいるのかと聞かれれば、本当に突然、乗り込んできたからだとしか説明のしようもない。数時間前、嵐のように飛んできた黄瀬が、ノックもせずに荒々しく玄関の扉を開け、定位置であるソファの上でごろごろとくつろいでいた青峰の胸倉を掴むという暴挙に出た事実は記憶に新しい。あの瞬間、火神は夕飯のメニューを考えながら冷蔵庫を覗いていたのだが、あまりに突然のことに夢でも見ているのかと、暫し二人のやりとりを呆然と口を開けて眺めていたのだった。
 そもそもなぜこの家の住所を知っていたのか、一通り騒動が収まった後に問いただしてみたところ、黒子の名前を出されたので、そこでようやく合点がいったという結論である。あいつ、誰にも口外しないってきっぱり宣言したはずだったのに。
 表情を引き攣らせながら肩を震わせる火神も無視して、気持ちを落ち着けたはずの黄瀬が、さも面倒そうに溜息を吐き出す青峰の首根っこを引っ掴み、その場に居直らせたのはつい先ほどのことだった。

「……どういうことか説明してほしいっス」
「ああ? ……どうもこうも……さっきから言ってんだろ。火神と同棲してんだよ」
「なんでっスか? それに至った過程は?」
「そんなん……、……なんでだっけ? あーもうめんどくせー、つーかお前には関係ないしどうでもいいだろ。オレらの事情に口挟んでくんなよ」

 耳の穴に指を突っ込みながら、大袈裟に嘆息する青峰はまるで休日の父親のようで、思わず親父くせぇ、ツッコミを入れそうになったのを、火神は何とか堪えた。
 だが確かに、高校生男子二人が周囲に無断で同棲している事実があろうとなかろうと、赤の他人である黄瀬にはまったく無関係だ。元チームメイトという肩書きがあったとして、別々の高校に通う現在、ほとんどといっていいほど交流はないわけだし。
 それに以前、火神が青峰から話を聞いた際に、彼が中学時代、友人と思っていた相手は黒子ただ一人だったらしいという衝撃の事実も明らかになったわけで。ということはつまり、そもそもの大前提からして、黄瀬は青峰の眼中にもなかったと。彼にとっては悲しい話であろうが、それもまた突きつけられた現実である。
 青峰に憧れてバスケを始めたという黄瀬が、現状を受け入れられず、ショックを受けているのも何となく、理解できなくもない。別に彼から青峰を奪ったという認識は火神にはなかったが、結論としてそう捉えられてしまうというのなら、申し訳なく思った。きっと黄瀬は、青峰の隣に立ち続けたかったのだろう。
 中学を卒業し、違う道を歩むことになったとしても。その隣に、他の人間が立つことを許せなかったに違いない。

「ひどいっス! 火神っちと同棲なんて……そんな、……オレが最初にやろうと思ってたことなのに、まさか青峰っちに先越されるとか……一生の不覚っス!」
「って、オイ! そっちかよ!」

 思わずスライディングしてそのまま床にめり込みたくなるくらいに、火神は黄瀬の口から飛び出した予想外の言葉に脳天を激しく揺さぶられた。そんな火神の動揺などはじめから視界に入っていないのであろう、両者の睨み合いは一層熾烈をきわめるばかりである。
 よもやこの、一見深刻にも思える口論が、小学生レベルのくだらないやりとりであったとは、今さらながらに気付いてしまった自分を、火神は不甲斐なく思った。心底どうでもいい、というより、そんなことで言い争うくらいならよそでやれ、思いつつも黙ったまま、黄瀬と青峰の動向を探る。
 本人たちは至って真剣な面持ちで向かい合っていることもあって、余計なことは言わない方がいいと踏んだのだろう。火に油を注ぐ結果になってしまっても、とばっちりを食らうのは明らかに火神の方であるし、この場はおとなしく口を噤んでいるのが賢明だ。
 ごくり、息を呑んで殺気の溢れるリビングを火神が見守る一方で、高校生にもなってくだらない喧嘩を続けている彼らのやりとりは続く。

「同棲ってことは、っスよ……もしかしなくても毎晩火神っちにとてもここじゃ言えないようなプレイを強要してるってことっスよね……?」
「当たり前のこと言ってんじゃねーよ、黄瀬。だからお前はいつまでたってもヘタレなんだって。悔しかったら奪ってみろ。ま、無理だろうけどな」
「うっ……悔しいっス、何も言い返せないっス……、……でも青峰っち、油断大敵ってことわざ、知ってる?」
「そのくらい知ってるに決まってんだろーが。あんまりナメたこと抜かしてっとしばくぞテメエ」

 あえて口を挟まなかったことにより、何やら話の流れが妙な方に向かってきていることに気付き、瞬間、何か嫌なものが背筋を走るのを感じ取った火神は、我に返って遠目から二人へと視線をやった。火神がそちらを見るのと、黄瀬と青峰がこちらを向いたのはほぼ同時の話であり、当然のように目線が絡み合ったのであって。
 黄瀬がにっこりと人当たりのいい笑みを浮かべ、おもむろに腰を上げて、火神への距離を詰めていくのを、青峰はただただ傍観している。微塵も危機感を窺わせない同居人へ、必死に助けを求めるようなアピールをしてみるものの、鈍感極まりない彼がそれに気付くこともなく。どうせ口だけで何もできやしないとでも思ったのだろうか、緊迫感が抜け落ちていく室内の空気に、青峰は思わず身体を横に倒そうとした。

「じゃ、火神っちはオレがもらっちゃおうかなー……なんちゃって」
「き、黄瀬……? おまえ、なに、急に」
「いや、思ったよりも奪うの簡単そうだなって。この調子だったら別に急ぐ必要もないかもしれないっスね。……まぁでも、念には念を、ってことで」

 慌てふためく火神の前までやってきて、黄瀬は、ふふ、楽しそうに笑う。背丈は大して変わらないはずで、否、確か、記憶が正しければ、自分よりいくらか低かったはずだ。それでも並大抵の高校生とかけ離れた彼らは、同年代の男子たちを遥かに凌駕しているので、平均身長などとうに上回っているのだったが。
 そんな一般論は実際のところどうでもよくて、今、火神にとって重要なのは、そんな黄瀬に詰め寄られている事実と、まるで見下されているような圧迫感を如何にして払拭するかということである。
 肝心の青峰はすっかり怠惰モードに突入してしまったようで、完全にこちらを見ていない。どう考えても黄瀬を侮りすぎている彼の失態に毒づく暇もなく、ゆっくりと後退する足も、やがて背中が壁にぶつかったところで止まってしまった。この上ない満面の笑みを浮かべた黄瀬を至近距離に迎え、いよいよ追い詰められた火神はどこにも逃げ道がなくなってしまったことを悟る。最終手段として、一発腹に拳を突き入れればどうにかなるのだろうが、それは彼の良心がどうしても許してくれそうになかった。
 青峰以外の男に本気で迫られ、やはり心のどこかではそれを拒絶している自分に、ああ、やっぱりあいつがいいんだ、あらためて自覚して、一人で心臓を高鳴らせて忙しい。などといった火神の複雑な心境も黄瀬にとってはどこ吹く風であり、煮え滾る衝動を抑える要因になど到底成り得るはずもなかった。
 あと少し。ぐっと顔を近付けた黄瀬の頭は、彼の意思とは正反対に後方へ強く引っ張られ、そのままフローリングへ尻もちをつくことになり、予期せぬ衝撃に奇妙な声が出たのも仕方のないことであった。

「い、ってー……ちょ、何してくれるんスか、青峰っち……」
「覚えとけ、黄瀬。お前みたいなのがオレのモンに手出すとか百年はえーんだよ。……オラ、火神。なにぼさっと突っ立ってんだ。少しは抵抗くらいしろ。黄瀬だからってナメてるとお前、いつかマジで食われんぞ」
「気付いてたんならさっさと助けやがれ! このアホ峰が!」
「あー、わりーわりー、たまにはこういうのも燃えんだろ」

 瞬間、掠め取るようなキスを正面から受け、火神は思わず赤面して青峰の肩を押しのけたが、ちょうど俯いて打ちつけた部分を擦っていた黄瀬にはどうやら見られていなかったようで、ひとまずは安堵した。が、その直後、それらしい嘘もつけそうにない火神の赤く染まった頬を見て、今の一瞬に起きた出来事を悟ったらしい黄瀬は、悔しさのあまり立ち上がって地団太を踏む始末で。
 オレは認めないっス、捨て台詞を吐いてまた嵐のように去っていく黄瀬の背中に、今度気が向いたらお前も混ぜてやるよ、物騒な言葉を投げかけた青峰が、火神は恐ろしくてたまらなかった。



(120722)





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