幾万の精子が泣いている | ナノ




#帝光時代
#男子なのに青峰が生理につき注意




 生物学上の話からいえば、青峰大輝はれっきとした男であった。身体的に見てもそれに間違いはなく、彼は今日まで、バスケが好きなごく普通の少年としての生活を送ってきた。
 そういったそもそもの大前提がある以上、周囲の人間は誰一人として彼の異変に気付くこともなかったのだろう。それは幸運なことでもあった。この事実は何としても隠蔽せねばならないと、頭の悪い彼でも十分に理解できるほど、今の状況は深刻であるのだから。

「っ、……」

 ずきずきと一定のリズムを刻みながら下腹部に響く鈍い痛みに、青峰は冷や汗を流しながらそっと息を吐き出す。月に一度の最悪な一週間がまた今日から始まると思うと、途端に全身が重くなったような気がする。こういうときにいつも面倒がって周期をきちんと把握していない自分を呪いたくなるのだが、嘆いたところで後の祭りだ。
 鞄の中にアレは入っていただろうか、頭の中で順を追って思い出しながら、あまりの痛みに青峰は机の上へと居眠りをするふりをして突っ伏した。





 この不思議な現象が青峰の身体を襲うようになったのは、彼が中学に上がってからの話になる。ある日突如として込み上げてきた、言いようのない不快感の名前をその頃の彼はまだ知らなかった。のちにそれが、本来ならば男である自分には無縁のものであるはずということを知り、青峰の不安はますます募る。
 同級生の男子はどうなのだろう。まさかここにいる全員、自分と同じような境遇におかれているわけでもあるまい。ましてそのようなことを聞き出せるわけもなく、かといって誰にも、親にすら相談できず、彼は人知れずこの不可解極まりない現象と向き合う覚悟を決めたのであった。
 それは孤独との戦いでもある。この痛みは誰にも悟られてはならないし、少しでも感付かれたらその時点で彼の命運は尽きてしまう。だからこそ今まで耐えて、耐えて、耐え抜いてきたというのに。
 何とかその日の授業を終えた青峰は、三時限目からずっと同じ姿勢だった身体をようやくゆっくりと起こし、周囲に人がいないことを確認すると辛そうに溜息を吐いた。本当はいつものように屋上で寝ていてもよかったのだが、この痛みでは一歩も動くことは叶わなさそうな気がした。ならば鎮痛剤を、とも思ったが、そんなものに頼るまで切羽詰っているわけではない。これはあくまで個人の主観による話に過ぎないのであったが、妙なプライドが邪魔をして彼にそうさせないのである。結果として、自分で自分の首を絞めていることに変わりはない。
 頭痛と腹痛から引き起こされる言いようのない胃のむかつきを堪えながら、青峰は何とか立ち上がろうと重い腰を上げ、瞬間、下半身から何かどろどろとしたものが溢れ出てきたのに思いきり顔を顰めた。下腹部が燃えるように熱い。それは彼と身体を重ねた後、中へと出されたものが零れ出てくる感覚にひどく似ているような気がした。

「お待たせっス、青峰っち! いやー、さっきそこで運悪く女子の集団に捕まっちゃって、それで遅くなったっていうか……あれ?」
「……んだよ」
「んー……あ、そっか。もしかして生理?」
「っ、いちいち口に出して確認してんじゃねーよ! クソが!」
「ちょ、あんまり怒ると身体によくないっスよ! イライラすんのはわかるけど!」

 落ち着いて落ち着いて、宥めるように肩を押さえて無理矢理着席させると、黄瀬は一仕事でも終えたかのような仕草で大袈裟に息を吐き出してみせた。
 彼は、青峰の身体の異常について理解している唯一の存在である。というのは語弊があって、本来なら隠し通そうと思っていたところ、偶然その期間中に行為にもつれこむという最悪の事態に発展したため、隠していた事実が明らかになってしまったというわけなのだが。確かに、付き合う以上、いつまでも隠し通しておくことが困難であることは何となくわかっていた。いずれは話しておかねばならないことであったのなら、あの時がきっかけで寧ろよかったのかもしれないと、青峰も最初はそう思っていたのだ。
 黄瀬も黄瀬で、青峰の身に起きている、生態上決して有り得ない現象に驚きはしたものの、それについて糾弾することもなく、何よりも身体のことを案じて、きちんとした対処法を教えてくれたりもした。彼が女慣れしているという点についてだけ、青峰は嫌悪感を露わにしたのだったが、あれ以来、生理用品などの調達はすべて黄瀬がすすんで引き受けてくれているため、それも良しとした。
 そこまでは良かったのだ。何も問題はなく、否、一番の問題は自分自身にあったのだが、黄瀬との付き合いを経て、青峰の心に重くのしかかっていたものはいくらか軽減されたはずだった。
 が、それがそもそもの間違いであったことに青峰が気付いたのは、それから何か月か後の話であった。

「青峰っち、おなかいたいの? きもちわるい?」
「……へーきだよ……寝たら少しはマシになった……」
「寝てたってそれ、気絶してたの間違いでしょ。……だから保健室行けって、オレこの前も言ったばっかっスよね? なんで言うこと聞けないかな……」
「うっせーよ、黄瀬……耳元でしゃべんな、今すげぇ吐きそうなんだよ……頼むからどっか行け、つーかもう帰れ」
「えー? イヤっスよ、弱ってる青峰っちいたぶるの、スゲー楽しいから」

 にこり、黄瀬が満面の笑みを浮かべたのと、青峰の腹に拳を突き入れたのはほぼ同時のことであったかもしれない。とにかく、それまで考えていた余計なことが一瞬にして頭から吹き飛んでしまうほどの衝撃と吐き気が腹の奥底から一気に込み上げてきたのであって、思わず青峰は口元を手で覆った。
 幸い、本気で殴られたわけではなかったので、嘔吐するまでには至らなかったのだが、それでもダメージは相当大きい。揺れて焦点の定まらない視線の先を黄瀬に合わせ、その憎たらしい笑顔を睨もうとするも、実際それどころではないのも事実だった。
 これが黄瀬の、どうしようもない性癖の一つである。彼が人並みの幸福感を得る瞬間というものが、まさにこうして己の表情が苦悶に歪むときであると、青峰は初めてそれを知った際、どんな顔をすればいいかわからなかった。不思議と、黄瀬から悪意を感じることはない。ただ、純粋な興味と欲望で成り立っている彼という人間は、そうすることに何の躊躇いも覚えはしなかったのだ。
 思えば、あの時点で厄介な男に付き纏われてしまったことに、もっと警戒心を働かせれば良かったかもしれない。というのも、今さらどうにかなるわけではなかったのだが。
 一通り咳き込んだところで、ようやく息を整えた青峰は、今度こそ頭を持ち上げて清々しいまでに爽やかな黄瀬の笑顔に刺すような視線を向けた。すると黄瀬は意外にもあっさりと自らの非を認め、頭を下げて謝罪し、それから慈しむよう、先ほど自らが制裁を加えた場所をやさしく撫でたのだった。

「いつも思うんスけど。生理がくるってことは赤ちゃんできるってことなんスかね」
「……あぁ? 気持ち悪ィこと言ってんじゃねーぞ黄瀬ェ……」
「あ、でもさすがに子宮なきゃ無理かなぁ……ねーねー、青峰っちって実は女の子だったりしないっスよね」
「んなわけねーだろが……ああもう、マジいっぺん死ねよお前……!」

 心底うんざりした様子でさり気なく肌を寄せてくる黄瀬の肩を押しのけつつ、やはり青峰は優れない顔色のままだ。確かに睡眠をとったことにより、多少回復はしたものの、状況にほとんど変化はないらしい。立ち上がるのも億劫でたまらなくて、本来ならこうして黄瀬の相手をしている余裕だってないのだ。
 青峰の荒い呼吸音を間近で耳にしながら、黄瀬は彼とは正反対に恍惚とした表情を浮かべている。今、ここにいるのは自他ともに認めるバスケ部のエースでも何でもなく、ただの無力な少年に過ぎない。常人には到底起こり得ないような性別を超えた現象に恐れ戦き、これからの一週間をどう過ごすべきか案じているような。
 おそらく今まさに彼の下半身から女のそれと同様に滴り落ちているであろう経血の色を脳裏に思い浮かべて、黄瀬は人知れず興奮した。だからこそ、出来ることならばこの場で、思う存分、心行くままに、青峰という孤高の存在をめちゃくちゃに穢してやりたいと、願わずにはいられない。

「でもさ、その理論でいったら、もうオレとの間にどんだけ赤ちゃんできちゃってるかわかんないっスね」

 悪びれることもなくそう言ってのける黄瀬の唇を正面から受けながら、青峰は、もし自分が女であったならと想像してみた。が、相手が女だろうが、黄瀬の台詞は一言一句変わらないのであろうし、その言葉自体、どれだけの不特定多数に向けられているものか、考えただけで吐き気が増したので、やっぱお前最低だわ、言うだけ言って、また意識を手放しそうになった。



(120719)





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