火神くんが転校してきたようです | ナノ




#黄青前提で青火っぽい



 日本のバスケはレベルが低いと、話には聞いていたがまったくその通りなわけであって、正直期待外れだ、と、うんざりしたように息を吐き出す少年が一人。
 アメリカ帰りの彼からしてみればそういった考えになってしまうのもごく自然なことで、帰国してすぐ、彼は入学を決めた高校から呆気なく姿を消すことになった。
 刹那に現れ、一日で消滅した彼の存在は、生徒たちの記憶に残ることもなく、そのまま残酷にも時は流れていき。
 それからちょうど一週間後の朝、異例の転校を遂げた火神大我は、桐皇学園高校の正門前に、肩から大きなスポーツバッグをぶら下げて立っていた。

「青峰っち、今日こそオレと勝負するっス! 負けねっスよ!」
「あー? 朝からギャンギャンうっせーなぁ……まだ起きたばっかで頭働いてねーんだよ、静かにしやがれ」
「頭働いてないのとかいつものことじゃん、何言ってんの」
「……黄瀬ェ……お前少し、黙れ」
「いた、痛い痛い、ちょ、青峰っち、ギブギブ、折れる、骨折れる」
 目の前を通り過ぎていく鮮やかな髪色をした男子高校生二人組を横目に、火神は新しい学校生活の始まりに今度こそ胸を躍らせていた。
 聞くところによれば、今年、桐皇学園バスケ部は、あのキセキの世代と呼ばれる天才集団のうちの二人を獲得したらしい。
 自分と同年代の少年たちと、アメリカにいたあの頃のように刺激にあふれたバスケをやれるなら、それ以上にうれしいことはない。
 心臓の高鳴りを抑えつつ、拳をぎゅっと握り、火神はそこから一歩を踏み出した。色黒の少年にどつかれて泣き言をこぼしつつも、こちらへ探るような視線を送ってきた金髪の少年の存在には気付くことなく。


* * *


 ホームルームを迎え、新しいクラスメイトに向かって軽く自己紹介を済ませた後には、早速授業が待ち受けていた。
 初日くらいは真面目に受けてやろうと思いながらも、相変わらずの勢いでたらふく昼食をかきこんでしまったため、案の定、午後はずっと机の上に突っ伏して居眠りをしていた火神である。
 教師に叩き起こされるも、彼にとってはそれが普通のことであるのか、ちっとも動じる気配もなく。周囲の笑いを得たところで、頭を掻いて苦笑してみせた火神は、そこでふと自分に向けられた視線の存在にぴくりと反応した。
 笑顔の溢れる教室の中、ただ一人、異質な眼差しを向けてくる人物。目が合った瞬間にすぐ逸らされてしまったため、気のせいかと思い、そのまま着席した。

 何はともあれ、掴みは上々、なかなか楽しい学校生活を送ることができそうだ。問題はこの後に控えるバスケ部の練習見学なのだが、それについてもあまり懸念はしていない。
 先ほど、昼休みに購買へパンを買いに行く途中、不意に聞こえてきたバッシュ音に引き寄せられ、体育館で一人、ボールを追いかける少年の姿を認めたとき、彼は自分と同じようなものを感じ取ることができたのだ。
 一目見ただけでわかった。あのスタイルは本場アメリカでも見慣れた、ストリートバスケを彷彿とさせる自由奔放なプレイだ。火神の得意とするそれと似通った部分も多く、この先、恐らくはここで彼とボールを取り合うことになるのだろう。
 と、考えただけでも興奮してしまうほどに、すでに火神の身体は熱く、早くコートの中で動き回りたくて仕方がない気持ちでいっぱいであった。

 さて、意気揚々と教科書を鞄にしまい込み、いざスポーツバッグを片手に、体育館へ向かおうとして。火神は目の前に仁王立ちする少年を、椅子に座った体勢のまま見上げた。
「どうも、火神君。桐皇にようこそっス」
「……えー、と……誰?」
「ああ! 自己紹介が遅れて申し訳ないっス。オレ、黄瀬涼太。桐皇バスケ部一年、元帝光中、キセキの世代。ヨロシク」
 嫌みのない笑みを湛えて握手を求めてくる黄瀬に、火神も思わず立ち上がってその手を強く握り返す。
 聞き間違いでなければ、今、彼は自らがキセキの世代に含まれていることを公言した。ということはつまり、もしかしなくとも、この黄瀬と名乗る少年は、火神のずっと探し求めていたバスケができる数少ない貴重な相手の一人というわけであって。
 これが歓喜せずにいられるだろうか。

 差し出した手を両手で握ったまま激しく縦にぶんぶんと振り、心からうれしそうに笑ってみせる火神を見て、黄瀬は思う。あの頃の彼と同じ目をしたこの少年に、不思議と愛着が湧いてしまうのもまた、仕方のないことなのかもしれないと。
 ただ、それはそれ、これはこれ。まったくの別問題である。
 いくら火神が天才的なバスケットプレイヤーだとしても、あの男に勝てる道理はないし、いや、そもそもその前に。
 立ち向かってくる相手を口も利けなくなるほど完膚なきまでに叩きのめしてやることこそ、今の黄瀬に与えられた任務であるのだから、最低限の仕事くらいこなさなくては。
 何しろ、あの暴君は一度怒り出すと宥めるのにも一苦労だ。

「じゃ、火神君。今から入部テストっスよ」
「……テスト? ……オレ、頭使うのはあんまり……」
「そう身構えなくても、別に難しいことじゃないっス。……1on1でオレを倒す、ただそれだけ。ね、簡単でしょ?」
 不敵に微笑んだ黄瀬の吸い込まれそうなほどに深い色をした瞳に、火神は思わず唾を呑み込む。
 この気迫、やはり只者ではない。それまでの飄々とした雰囲気は何処へやら、一転して、目の前の男が何かとてつもなく恐ろしいものに見えてきた。
 だが、そこで恐怖を感じるどころか、逆に燃え上がるのが火神という少年である。相手が強ければ強いほど、また倒し甲斐があるというものだ。強敵に打ち勝った瞬間の喜びこそ格別であると、彼もよく知っているのだから。
 窓から入り込む、吹き荒ぶ春風を背に受けて、黄瀬の細い髪がばさばさと音を立てて揺れる。正面から対峙した二人は、今にもその場でボールを手に取りそうなほどに熱く震える心を滾らせていた。


* * *


 カラスの鳴き声を合図に、遠くの空が茜色に染まる頃、放課後の練習をサボり、一人屋上で居眠りをしていた孤高の王は、ようやく元あるべき場所へと帰還した。
 体育館はすでに閑散としており、人の気配はまるで感じられない。そういえば今日は新入生が仮入部に来る予定だとかなんとか、マネージャーの桃井が洩らしていたっけ。
 とはいえ、自分にはどこまでも関係のない話だ。一緒に練習をするわけでもあるまいし、試合に出るわけでもあるまいし。などとぼやけば、すぐさま桃井の鉄拳が飛んできて、結果として彼は頬を腫らすことになってしまったのだが。
 いくら幼馴染みとはいえ、容赦がなさすぎるのもどうかとは思う。あんな暴力的な女、いくら見た目が可愛いからといって、嫁の貰い手には些か困るだろうに。

 と、そこまで自分が心配をする義理もないかと思い直し、大きく欠伸をしながら頭を掻いていた彼は、ゴール下に佇む見慣れた少年の後ろ姿を見つけた。
 桐皇バスケ部の象徴ともいえる、黒地に赤い文字が映えるユニフォーム。すらりと背が高く、周囲からも一際注目を集めるほどの美少年である彼には、当然のごとく良く似合っている。
 それがまたひどく腹立たしくなり、思わず舌を打てば、予想外に静かな体育館に響き渡ってしまったようで。
「あ、やっと戻ってきたんスかー? もう、遅いっスよ」
「うっせーな……オレがどこで何してようがお前には関係ねーだろが。……で、さつきの言ってた転入生はどうした?」
「どうもこうも、コテンパンに負かして強制退場させたに決まってるっス。まあそのへんのバスケかじったレベルのやつらに比べりゃ全然強かったけど、そんだけ。あんなん足元にも及ばねーよ」
「……ふーん」
「ていうかオレ、そいつと同じクラスなんスけどね。明日からどんな顔して学校くんのかマジ楽しみー……あ、ちゃんとカワイソーなことしたって自覚はあるっスよ。オレだってそこまでひどくないし」
 と言いつつもにやにやと意地の悪い笑みを浮かべているこいつは間違いなく性格破綻者だと、青峰は興味なさげな目でそれを見守っていた。

 彼らとて一年生であり、つい数週間前に入部したばかりの新人ではあるが、キセキの世代の一員であったということもあり、監督にはかなり甘やかされていたりする。
 一年の入部希望者たちを、テストと称して次々と切り捨てていく黄瀬や、堂々と練習をサボる青峰の暴挙が許されているのも、そのおかげである。
 部員たちの中にはそれを良く思わない勢力も当然あったが、何せキャプテンが許容しているのだ、彼らに口出しできる権利などあってないようなものであった。
 それに、元々桐皇バスケ部では個々の能力を重視していることもあり、チームの調和など二の次である。
 いくら好き放題やったところで、ようは試合に勝ちさえすればそれでいいのだ。帝光時代から絶対的な勝利を義務付けられていた彼らにとって、そんなものは目を瞑るよりも簡単なことという結論である。

 それまでゆっくりと感覚を確かめるように、ダムダムとボールを突いていた黄瀬の足が動き出す。無駄のないステップを踏み、天然のバネかと見紛うほどの跳躍力で大きく飛び上がる。掴んだボールはそのまま勢いよくゴールに叩きつけられ、ネットを潜ってもう一度床へと落下した。
 青峰はその動きを眺めながら、退屈そうにごろりと横になる。
 まさか、高校に行ってまでこうして黄瀬のバスケをする姿を間近で見ることになるとは。
 あの頃の自分は到底想像もしなかった。
「ちょっとー、なに寝てんスか」
「……ねみいんだよ」
「さっきまで散々寝てたくせによくもそんな白々しい嘘つけるな、ほんと……青峰っちってバカでしょ」
「ああ? 誰がバカだ、誰がッ……!」

 湧き上がる怒りでつい寝転がっていた上体を起こし、今にも掴みかかりそうな形相で睨む青峰の身体に、黄瀬の腕が蛇のように絡みついてくる。
 至近距離から見つめる瞳は熱に浮かされたようで、どことなく危うい。息を弾ませているのか、唇から吐き出されるそれはひどく熱かった。
 運動を終えた後の、独特の汗にまみれた匂いがやや鼻をついたが、気にはならない。
 そんなことよりも、今のこの状況をどうにかする必要があると、青峰はひとまず逃げるよう視線を逸らした。
「……ねぇ、ご褒美は」
「そんなのねぇし、何言ってんだ、バカか死ね」
「んもー、素直じゃないんだから……これじゃあ青峰っちにご褒美ってことになっちゃうじゃないっスか」
「近い離れろウゼェ死ね」
「はいはい、可愛い可愛い」

 茶化すように笑って、すぐそこまで迫りくる唇に、青峰は顔を背けようとしてしかし、黄瀬によってそれを阻止された。両の頬を包み込んでなお、角度を変えて口付けを強請る我が儘な飼い犬に、溜息しか出てこない。
 時間も場所も構わず自分の気分次第で手を出してくる悪い癖をどうにかして矯正させようとして、かれこれ三年。
 いい加減にどうにかすべきだと頭の片隅では思いながらも、徐々に倒されていく身体は重力に従うばかり。
 火照った身体には冷たい床の温度がちょうどよかった。


* * *


「黄瀬! 昨日の続きやろーぜ! もっかいオレと勝負だ!」
「……ハァ?」
 しかし翌日、登校してきた火神が、教室の戸を開け、開口一番、何を言ったかと思えばこれである。
 開いた口が塞がらないというのはまさしくこのことであって、思わず黄瀬も自身がモデルであることも忘れて数秒間、間抜け面を晒してしまったほどだ。

 昨日の放課後、黄瀬を相手にした入部テストでボロボロに打ち負かされた火神は、確かに悔しそうに表情を歪めながら、絶望した様子で体育館を後にしたはずだった。
 まさかあの傷がたった一日で癒えるとは到底思えないし、そうであったとしてもあまりに切り替えが早すぎる。ポジティブという一言で片付けるにもどうにも納得がいかないし、正直のところ、黄瀬は戸惑っていた。
 ここ数日、入部希望の絶えなかったバスケ部では、黄瀬による入部前の選定が行われていたのだが、ただの一人も例外なく振るい落とされ、それきり体育館へ近付くこともしなくなった。テストに合格できなかったという以前に、精神が極限状態まで削り取られてしまったのだから、無理もない話である。
 桃井は黄瀬の厳しい判定を批判もしたが、こんなことで弱音を吐くような人間はうちの部には必要ないっスよ、などと、覆しようのない正論を前に、それ以上何も言えなくなってしまったのだった。
 青峰は青峰で、まるで自分には関係のない話とでもいうように姿を眩ましてしまうし。

 そもそも、黄瀬がこんなことをしているのもすべて、青峰に悪い虫を寄せつけないためらしいのだが、当の本人はそれを知る由もないし、知ったところでどうもしないだろう。
 昔からそういう人間だ。極度のめんどくさがりで、バスケ以外のことで他人と関わろうとはしない。
 そんな一匹狼を貫く青峰に黄瀬は一人憧れを抱きつづけ、その結果、今のこの状況があるわけだが。

 いや、今はそれどころではない。
 ヒーローに憧れる子供のように目を輝かせて迫ってくる火神を前に、黄瀬は一瞬たじろいだ。
 まさかあちらから話しかけてくるとは夢にも思わないし、しかも、この調子ではまったく参っている素振りもない。
 何なんだ、こいつは。
 考えて、黄瀬は、彼に良く似た見知った人物を頭の中に思い浮かべ、ようやく合点がいったという表情で嘆息した。
「……火神君、自分で何言ってるかわかってる? アンタ、オレに負けたんスよ。それも圧倒的な実力差で」
「んなこと戦ったオレが一番よくわかってるっつーの。でも、たまたまかもしれないだろ。今日は勝てるかもしんねーし、まあ、またオレが負けるかもしんねーけど……とにかく、放課後また体育館行くから」
「……バカだ……こいつ、筋金入りのバカだ」
 頭を抱えて唸り出し、ほとほと困ったとでも言いたそうな顔をして、黄瀬は眉を顰める。
 青峰もバカだが、この男もそれと同レベルのバカだ。なるほど、最初に彼を見たときに頭を過った既視感の正体はこれか。
 バカの相手ほど疲れるものもないと、今までの経験上彼も把握はしていたが、まさかここまでとは。確かにあれしきのことで心が折れるほど柔な精神の持ち主ではないだろう。まったくもって、とんでもないやつを見つけてしまった。
 苛立ちも通り越してすっかり呆れ返ってしまった黄瀬とは正反対に、火神は早くバスケがしたくてたまらないといった様子でうずうずと身体を弾ませている。彼の頭の中では、放課後を迎えるまでまだたっぷり時間があるという事実をすっかり無視してしまっているのだろうか。
 学生生活を根本から引っくり返すような無茶苦茶っぷりに、ああ、でもこの感覚は似ていると。
 思わず苦笑がこぼれたのも、黄瀬がまた、火神を心のどこかで認めはじめていたからなのかもしれない。

「……で、その……非常に言いにくいことなんだけどよ……」
「まだ何かあるんスか?」
「お前に勝つことしか頭になくて教科書全部忘れちまったから、今日一日見せてくれ」
「……それ、オレのせいじゃないっスよね」


* * *


 だが、決まりきった運命はそう簡単に覆せるものでもない。

 額から滝のような汗を流し、それを拭うこともなく、何度も立ち上がっては挑みかかってくる火神を前に、黄瀬は完全にやる気を失くしたのか、それまで突いていたボールから手を離し、深い息を吐き出して体育館の壁に凭れかかった。
 持ち主を失ったボールはころころと床を転がり、ある程度いったところで、やがてぴたりと動きを止めた。
 それでも火神は決して諦めることなく、膝をついた状態から懸命に身体を起こし、呼吸を荒げながら黄瀬の瞳を見据える。
 その熱い、炎にも似た、燃えるような眼差しに、それとは真逆の絶対零度の視線を投げかけ、つくづく呆れ返った様子で黄瀬は静かに前髪を掻き上げた。
 つい先ほどまで自分と戦っていたとは思えないほどに落ち着き払った、まったく乱れのない息遣いには、火神ですら圧巻されるほど。
 文字通り化け物だ、間違いない。
 頭の片隅でそんなことを考える余裕くらいはまだ残されていたのか、不敵に笑って震える膝を無理矢理立たせる、諦めの悪い挑戦者に、黄瀬の苛立ちは募るばかりである。
 どれだけ打ちのめしてやろうと、彼の鋼のような心は決して折れることなく、むしろこちらの方が音を上げてしまいそうで。試合の流れは完全に昨日の延長線であり、火神には僅かな勝利すらも望みはなかった。
 それなのに、なぜ何度でも立ち向かってこれるのか。黄瀬は純粋に理解に苦しんだ。

「あのー、……オレ、帰りたいんスけど」
「まだ、だ……あともう少しで、勝てるはずなんだよ……!」
「……あー、もう、めんどくせーな……どう足掻いたって無理なもんは無理なんだから、さっさと諦めてよ」
「無理とか、……そんなん、お前に決めつけられたくねーし……ほら、次はそっちがオフェンスだろ、さっさとボール持てよ」
「……、しょうがないっスね……お望みどおり、その希望を粉々に打ち砕いてやるよ。本気で相手してやる、手加減抜きだ……後悔すんなよ」
 すっかり脱力しきって壁に背を預けていた黄瀬は、何を思ったか、唐突にそんなことを口走った。
 ユニフォームの上から肩に羽織っていた、それと同色のジャージをばさりと脱ぎ捨て、その場で静止した状態であったボールをおもむろに掴み上げる。
 ようやくやる気になったかよ、挑戦的な視線を向けようと黄瀬の方へ目をやった火神は、こちらを見据える彼の眼光が、それまでに見たこともないほどに突き刺すような鋭さを帯びていることに気付き、息を呑んだ。
 油断すればそのまま心臓を抉り取られてしまうのではないかと恐ろしい錯覚をしてしまうほど、いよいよ本気を出そうとする黄瀬の姿はどこまでも圧倒的であった。
 だが、ここで怯んでいる隙などはない。
 相手がどんな強敵であろうと、やることは一つだけ。自分の持ち得る限りの全力を尽くし、今度こそこの手に勝利を収める。
 人知れず決意を固めた火神は、腰を低く落とし、黄瀬の動きにしっかりと照準を定めたのだったが。

「そのへんにしとけ、黄瀬」
「……このタイミングで出てくるとか……アンタにはもうちょっと空気を読むっていう考えはないんスか」
「うっせ、いちいち口出ししてくんじゃねーよ。……オレはそいつに話があってきたんだ、テメェはすっこんでろ」
 眠たそうに大きく欠伸をしながら、だらしなく着こなした制服を身に纏い、突如として現れた第三者の介入に、火神は思わずそちらへ身体を振り向けた。
 浅黒い肌に、深い青みがかった髪と、大きく額を出したヘアスタイル。身長は僅かに火神のそれを抜いていた。
 一目で、全身から滲み出る倦怠感とは裏腹に、どこか神性的なオーラが彼自身から溢れ出していることに気付く。間違いなくこの男は、黄瀬のさらに上をいく天才であると、火神は瞬時に理解した。

 未知なる恐怖を前にして背筋を駆け抜ける電流に、思わず身震いしてしまうのもまた、当然の現象ではあるが、しかし。
 今は余計なことで集中力を切らしている場合ではない。まさに切って落とされようとしていた戦いの幕明けを、突然割って入った部外者ごときに邪魔されてなるものか。
 すぐに黄瀬へと向き直り、気を取り直して身構える火神であったが、あろうことかその対戦相手は、明後日の方向を向いてふたたびボールを床の上へと転がしたのだった。
「……おい、何のつもりだよ、黄瀬! 勝負しやがれ!」
「青峰っちの言うことは絶対っスよ。オレだっておあずけ食らうみたいで嫌だけど……この続きはまたの機会ってことで、とりあえずは手を打ってください」
「ハァ? 意味わかんねーし……んなこと言われて納得なんてできるかよ、……!」
「まーまー、落ち着けって。……えーと、火神、だっけか?」
 投げ捨てたばかりの、まだ温もりが僅かに残ったジャージを拾い上げ、先ほどと同じように肩へと羽織った黄瀬に食ってかかるように、火神は真っ向から噛みついたが、まるで相手にされることはない。
 それまで確かに燃え上がっていたはずの彼の闘志も一瞬で鎮火されてしまったようで、今では完全に身を引いてしまっている始末だ。
 たかが、青峰という男のあの一言で、こうも状況が変わるものなのだろうか。
 腑に落ちないといった表情で唇を噛みしめる火神を、黄瀬の冷めた目が見下す。その視線にはどこか憎悪のようなものが含まれているような気がして、彼には余計に意味がわからない。

 と、目をしばたたかせながら首を傾げていた火神の背後から唐突に言葉が投げかけられる。
 振り返ったすぐ後ろにいつの間にか立っていた青峰と呼ばれた少年は、ぐい、一気に距離を詰め、無遠慮にも火神の顔を覗き込んできた。
「……なるほど、な。いい目をしてる」
「な、んだよ。人の顔じろじろ見んな……つーか、黄瀬とが無理だっていうんならお前、オレと戦えよ」
「オレが? テメェみたいな負け犬相手に? ハハッ、そりゃ面白い冗談だな! ……気に入ったぜ、火神ィ」
「……青峰とか言ったか? さっきからいちいち気に食わねーな……自分が強いとか勝手にほざいてるみてーだけど、それ、単なる思い上がりじゃねーの?」
「……あ?」
 じろじろと観察するようにこちらの表情を窺う青峰に、一歩身を引き、火神はあろうことか、恐れ知らずにもそんなことを口走った。
 これには傍観していた黄瀬も驚き、思わず目を瞠る。何もそこまで言わなければ、この眠れる獅子を怒らせることもなかったろうに。
 どいつもこいつもバカばかりで頭が痛い、といった様子で深々と息を吐き出した黄瀬は、しばらくの間沈黙を続けている青峰へと目を向けた。
 あろうことか、この男相手に喧嘩を吹っ掛けるなど、とても常人の考えることとは思えない。いや、火神が常軌を逸していることくらいは、この二日間で痛感していたのだが。

 さて、この絶対的な暴君は、浴びせられた屈辱に対し、果たしてどのような報復を考えているつもりなのか。
 期待に満ちた眼差しで行く末を見守る黄瀬に、青峰は実に意外な行動をとった。
「へぇ、……黄瀬のやつよりよっぽど度胸あんな。オレにケンカ売るとか、命知らずにもほどがあんだろ。さては火神、お前バカだな?」
「うるせぇ、てめーこそケンカ売って……っ!」
「おーおー、吠えんなよ。少しはおとなしくしてろ。……おい黄瀬、こいつの入部届、明日までに用意しとけ。あと、面倒は全部オレが見る。お前は手出すなよ」
「ちょ、青峰っち……それ、正気で言ってるっスか? ……信じらんねー……」

 馴れ馴れしく肩に腕を回し、がっちりと逃がさぬよう捕まえた手負いの虎に、青峰は終始ご機嫌な様子で笑みを浮かべる。
 それは黄瀬ですら滅多に拝むことのできない貴重な光景であり、彼が悔しさで舌を打ったのも仕方のないことであった。
 板挟みになった火神はといえば、突然の入部許可に動揺を隠し通せない様子であったが、それ以上に。新しい学生生活が、早くも波瀾を迎えようとしている現実に、少しばかり恐れ戦いていたりもした。



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