羨望と狂気のあいだ | ナノ




#帝光時代



 本日の練習を終え、無人になった広い体育館の中、黄瀬は一人、気怠げな様子でフローリングにモップをかけていた。そもそも、こうした部活後の片付けは部員全員で行うもののはずなのだが、先日の他校との練習試合で、キャプテンから課されたノルマの点数を自分だけが獲得することが出来なかったために、今このような状況に陥っているわけで。
 キセキの世代が揃う帝光中学バスケ部は、赤司がキャプテンの地位を得てからというものの、一切の敗北を許されることがなくなった。確かに、彼の言うことはもっともである。勝利することのない試合など、まったく価値のないものであると、その点については彼らも意見を一致させていたのだから。
 だがしかし、試合に出場する選手一人一人が、相手チームから同じだけの点数をもぎ取らねばならないという絶対的なルールを守ることは、六人の中でも比較的低いポジションにいる黄瀬にとってはわりと酷なことでもある。だからといって、あの鬼のようなキャプテンが彼だけを特別扱いすることなどまず有り得るはずもない。
 結局のところ、こうした恒例の罰ゲームを受け持つのは、最近ではもっぱら黄瀬の担当となってしまっているのが悲しい事実である。そろそろこの待遇にも慣れてきたところだが、さて、今日はいつもとは若干異なる状況でもあった。

「緑間っちー、こっちは終わったっスよ……って、何してんスか」
「う、うるさい! 片付けていたら上から色々なものが落下してきたのだよ! どうせ最後に授業で使ったクラスが何も考えずに放り込んだに決まっている……まったく何を考えているのか……」

 ああ、さっきの凄まじい物音の原因はそれね、内心で納得し、黄瀬は体育倉庫内でさまざまなボールを抱えて狼狽えている緑間を一瞥した。ぶつぶつと文句を言いながらも命令通りに片付けを進めているあたり、真面目な彼らしいというか何と言うか。
 先日の練習試合にて、黄瀬同様に点数をとれなかった緑間が唯一忌々しそうに吐き出した言葉といえば、おは朝占いで今日のかに座は最下位だったから、などという心底どうでもいい言い訳にすぎなかったのだが。やはりそんなことを言ったところで赤司の許しを得ることが出来るはずもなく、今日はこうして黄瀬とともに甘んじて処罰を受けることになったのだった。
 下手に反発してこれ以上練習量を増やされたくないのは、全員同じ気持ちなのだろう。今この場にはいないメンバーも、恐らく考えていることは一緒だ。何があってもキャプテンには歯向かうな、暗黙の鉄則である。
 だが、やはり一人で孤独と戦うよりも、二人で協力した方がずっと効率がいいし、早く終わらせることができる。すでにコートの清掃は手慣れた黄瀬が済ませており、後は緑間が勝手に荒らした倉庫内を元通りに片付ければ任務完了だ。思ったよりもすぐに帰ることができそうだと、黄瀬は胸を撫で下ろし、手の動きを休めることのない緑間をぼんやり眺めている。
 長身の彼は手足も長く、バスケットプレイヤーとしては抜群の身体能力を誇っていた。おまけに、その身体からいとも容易く放たれる正確無比のスリーポイントシュートは、緑間独自の必殺技でもあり、黄瀬をもってしてもコピーすることなど不可能である。
 彼だけではない、キセキの世代全員が、誰にも真似できないオリジナルの技を身につけており、それは黄瀬にとって羨むべき事実でもあった。紛い物の自分が決して持ち得ない、本物の証。時折どうしようもなく痛感して、それまで感じたことのない悔しさのあまり、叫び出しそうになることもあった。それでも自分の醜い感情を抑えることができていたのは、キセキにおける黄瀬涼太という人物像を壊したくはなかったから。
 ただ、彼も人間だ。いつだってその今にも爆発しかねない衝動を押し殺せるわけではないし、自分に嘘を吐き続けられるわけでもない。

「っ、おい……何をするのだよ、黄瀬」
「……さあ、何となく。緑間っちがどんな顔するか、見てみたくなって」
「……、意味のわからないことを言っている暇があったらそこを退くのだよ。まだ片付けが終わっていない」
「ねえ、自分の立場、わかってないでしょ?」

 体育倉庫のものと思われる古びた鍵を目の前にちらつかせつつ、黄瀬はこの上なく悪人じみた表情をして唇を歪めてみせた。背後には無機質な壁。そして顔のすぐ横には、退路を塞ぐかのように叩きつけられた黄瀬の腕があり、緑間は思わず怪訝そうに眉を顰める。
 彼の行動には見たところ理由もなさそうであったし、そうするに至るまでの原因も思い浮かばない。それに、自分より数センチ低いはずの黄瀬になぜだか見下されているような気分で、正直にいって気分が悪かった。これまでチームメイトとしてそれなりに円滑な関係を築いてきたはずと思っていたが、さて。
 これまで見たこともないような黄瀬の鬼気迫る表情に、緑間はたじろぎ、だが己の姿勢を覆すつもりもなかった。深々と溜息を吐き出し、気持ちを落ち着けるように一度眼鏡を持ち上げる。そうして、悪ふざけもほどほどにしろと、呆れた声で呟くはずの予定が。

「そういうの、一番ムカつく」

 きっと、思わず息を呑んでしまったのは、彼の哀しいくらいに歪められた人間らしい表情を眼前にして、純粋に美しいと感じてしまったからだろうと。そう、緑間は思って、糾弾することを諦めた。



(120619)





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