痛いのは最初だけよ | ナノ




「ちゃんと目、瞑ってて」

 唇を重ねる瞬間、いつも黄瀬はそう言った。こちらとしてもキスをされるのに目を開けたままでは些か羞恥心が伴うもので、特に逆らう理由も見当たらず、一応は言うことを聞いているのだが。
 視界が閉ざされたことを確認すると、かけていた眼鏡がそっと外される。何でも邪魔だから、らしいのだが、よく考えてもみればこんなものは外さなくとも問題などないような気もする。確かにそれは二人の距離を阻む障害となりえるのかもしれないが、如何せん、緑間は極度の近視であり、このアイテムなくして生活することは不可能なのである。外されるのは一瞬のことといえども、瞳を開いた瞬間に映る景色が驚くほど不鮮明であるのは、僅かながら不安にもなるものだ。視力のいい黄瀬はその悩みを理解しようとも思っていないようなので、何を言ったところで無駄ではあるのだろうが。
 程なくして唇と唇が触れ合う。リップクリームが塗られた黄瀬のそれは女子のように柔らかく、甘い匂いがした。目を開けたい衝動に駆られつつもじっと耐え、閉じられた隙間を抉じ開けるようにして割り込んでくる舌をおずおずと躊躇いがちに受け入れる。
 今、彼はどんな顔をして、どんな気持ちで、このような行為に溺れているのだろうかと。何度となく考えたことはあったが、それは想像の域を出ない。純粋に興味があった。
 一度くらい、それもほんの一瞬ならば許されるのではないかと思い、震える目蓋を恐る恐る持ち上げてみる。だが、どうあっても黄瀬の目は誤魔化せなかったらしく、これからだと言うところであっさりと緑間は解放されてしまった。
 触れていた熱が離れていったのを自覚し、呼吸を整えつつゆっくりと視界を開く。ぼんやりとして焦点の定まらない世界の中、よくよく目を凝らしてみれば明らかに機嫌を損ねたかのように唇を尖らせる黄瀬の顔がそこにあった。

「ダメじゃないっスか。約束破ったら」
「それは……悪かったのだよ。だが、開けるなと言われれば開けたくなるのが人間の心理なわけであって」
「へえ、言い訳するんスか。優等生の緑間っちが、ふうん」

 ぐい、顔をより一層近づけ、額がぶつかったところで黄瀬はようやく動きを止めた。細められた瞳はどこか獰猛な色を帯びており、普段の彼とはまた異なる雰囲気を醸し出している。裸眼の緑間に理解できることといえばその程度だ。おかげで黄瀬の様子ががらりと変化したことにも気付けていないらしい。
 近いのだよ、言って突き放そうとして、そのまま指先で顎を掬われる。しっかりと固定されてしまっているがために、首も満足に動かすことが出来ず、彼としては不服極まりない体勢だ。先ほどの続きにでも持ち込まれるものかと、半ば気が気ではない緑間であったが、黄瀬が反対の手を伸ばしてきたところで、あ、声を呑んだ。
 綺麗に伸ばされた爪がピンセットのようにかちりと音を立て、緑間の瞳を覆う長い下睫毛の群れにピントを合わせる。彼がそれ以上の言葉を発する前に、黄瀬は指の動きを止めた。制裁はものの数秒で完了していた。ぶち、奇妙な音と共に緑間のそれは引き抜かれており、声を上げる間もない、迅速な手術といえただろう。
 痛みはあった。確かに今もそこに沈殿しており、気を抜けばずきずきと疼き出す。思わず涙が零れそうになった自分を必死で叱咤し、何とか唾を呑み込んで堪えたところで、大きく息を吐き出した。揺らぐ視界の端に映る黄瀬は、昆虫採集でも終えたかのような達成感に満ち溢れた表情で、何やら恍惚としているようだ。
 親指と人差し指の間に挟まれた長く美しい睫毛は、緑間の眼球の下側に生え揃っていたものに相違ない。幸いなことに彼はそれを確認できるだけの視力を持ち合わせていなかったが、ご丁寧にもそれらが一本一本並べられた掌を目の前に突き出されたものだから、さすがに立ち眩みがした。

「なんで目逸らすんスか、ちゃんと見てくださいよ、ほら、キレイでしょ」
「……お前の変態的嗜好など、理解したくもないのだよ」
「緑間っちの一部分だって考えればどんなものでも愛せるんで。ああ、次はその硝子玉みたいなおめめがいいっスかね?」
「いいからさっさと眼鏡を返せ。何も見えん……」
「だーめ。まさかこれで終わりだと思った? ……残念でした」

 だってもうちょっと怖がったり痛がったり泣いたりしてくれると思ってたのに、そんな緑間っちが見たくてやったのに、思ったよりも期待外れな反応だったから、などと、本当に不服そうに言われたところで、可愛げも何もあったものではない。じくじくと痛む眼球の下を押さえ、抵抗の意を示したところでそこに意味などありもしなかったのだが。
 捕らえられれば最後、逃亡は叶わず、残された手段は、視界を閉ざし現実から目を背けるだけ。



(120614)





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