うつくしいひと | ナノ




#帝光時代



 それは、憧れという名の恋心であった。
 真っ直ぐにボールを追う広い背中と、疲れを知らない強靭な肉体。けれど、華麗なダンクシュートを決めた瞬間に彼がこぼした満面の笑みは、年相応の無邪気な少年のそれに違いなく。きっと何より、自分はその、純粋にバスケを楽しむ彼の姿勢にこそ胸を打たれたのだと、黄瀬は思った。
 あれから彼に近付くため、脇目もふらずに猛特訓を重ねた黄瀬が、一軍レギュラーに昇格するまでにはそう時間はかからなかったように感じる。だが、肩を並べて初めてわかったこともある。元より常人の平均値を数段も超えている黄瀬でさえ、キセキの世代と呼ばれる天才集団を前に、まるで歯が立たなかったという、苦い思い出。
 突きつけられた現実は厳しい。それでも、そこには黄瀬のまだ知らない世界が広がっていて、この場所でなら、彼らと一緒になら、自らの求める高みへと到達することができるだろうと、そう、信じてやまなかった。

「お疲れ様っス、青峰っち」
「あ? ……おー、黄瀬か。お疲れ」
「練習で汗をかいた後はコレで決まり! っスよ! はい、どうぞ」

 ずい、鼻の前に差し出された、見慣れたソーダ味の棒アイスを一瞥した青峰は、黄瀬の言動を不可解に思いながらも迷わずそれを受け取った。口の中に入れた瞬間からどろどろと溶け出す塊は、火照った身体を僅かながらに冷却してくれる。
 近くのコンビニまで使いっ走りにでも行ってきたのだろうか、黄瀬が手に提げたビニール袋からは、青峰が今まさに口にしているものと同じパッケージのものが、あと数本覗いていた。今のところ、レギュラー陣の中でも一番遅く入部した黄瀬が、こうした雑用などを任されていたりする。
 本来ならばマネージャーである桃井が率先してやるべきことなのだが、彼女曰く、他校の情報収集に忙しいらしい。自分たちで出来ることはなるべく自分たちでやってほしいと、そう言い残して学校を出て行ったきり、桃井はしばらくこちらへ顔を出していない。
 夏休み、灼熱の太陽がじりじりと照りつけ、天然のサウナと化した体育館は、すべての窓を解放してあってもそれなりに蒸し暑く、少し走り回っただけでも物凄いスピードで体力を削られていくものだ。無論、化け物などと呼ばれる青峰も例外ではなく、キャプテンに代わり、チームの指揮を任された赤司考案の鬼のような練習メニューに、ほとほと疲れ果ててもいた。
 常人離れした彼らだからこそまだこなせるわけであって、体力のない黒子は言うまでもなく、真っ先にダウンしてしまっている。ぱたりと体育館の床に倒れ込んだ彼は先ほど紫原によって保健室へと連れて行かれた。だが、練習が中断されることはない。この中の全員が息絶えるまで強行で推し進められそうな勢いに、思わず身震いしてしまうのも仕方のないことだった。
 だからこそ、束の間のインターバルにこうしてそれとなくメンバーの気を遣う黄瀬の手腕は、なかなかに大したものだと、アイスを咥えたまま汗の滴る前髪を掻き上げ、青峰は思う。まあ、何だかんだと文句を言ったところで、みんなバスケが好きなことに変わりはないのだ。自分だけではない、黒子も、緑間も、紫原も、赤司も、それに黄瀬も。彼らが一丸となって強敵に立ち向かっていける最大の理由は、そこにある。

「ね、どうだった? アタリっスか?」
「んー……ああ、残念。ハズレだ。つーかこれ、当たったことあんのって今んとこさつきのヤツくらいじゃね? 確かテツにもらったのがアタリの棒でどうのこうの……ったく、んなことで騒げるとか、女ってのは気楽な生き物だよなー」
「でも、桃っちの気持ち、オレにはよくわかるっスよ。そういうのって運命感じちゃうかも……なんちゃって、」
「ハァ? 緑間みてーなこと言ってんなよ……アホくさ」

 ぽかんとした表情で黄瀬のはにかむ横顔を眺め、青峰は口の中に放り込んだ残りのアイスを舌で溶かしていった。何の面白みもない木の棒はもはやただのゴミでしかなく、ん、無言で突き出すとそれを黄瀬の掌に握らせ、ゆっくりと立ち上がる。汗の染み込んだタオルは本来の意味を成すことなく、べちゃり、床の上へと無残にも放り投げられ、一人、練習を再開するのかと思われた青峰は、そのまま黄瀬を置いて体育館の外へと足を向けた。
 水分補給でもしにいったのだろう、つい今まで会話していた相手にさえ何も告げず、その場を離れる彼の奔放ぶりには感心すらしてしまう。苦笑をこぼした黄瀬は、手に握ったアイスの残骸と、床に打ち捨てられた布の塊とを交互に見比べた。
 使えないものは容赦なくお払い箱へ。実力主義がすべての帝光中バスケ部において、おそらく自分はいつ首を切られてもおかしくない立場にいるのだろう。唯一見下していた黒子という存在も、その特技である天才的なパス回しは、チームの中で一段と輝きを放っている、ように感じる。特に青峰とのチームワークは抜群で、あの二人ならばどんなに高い壁も必ずや突破できるだろうと豪語できてしまうほど。
 それが、黄瀬には悔しかった。追い求める憧憬の姿は、恐らく自分の隣ではあそこまで観客を湧かせることなどできない。最初から分の悪い、勝ち目のない勝負であったことは、十分に理解できていた。それでも黄瀬はここまで上り詰めた。コート上で誰よりも輝いて魅せる光源の隣で、その肩を支える存在になりたかった。笑顔で握った拳をがつんと突き合わせる、そんな相手になりたかった。

「……青峰っちはきっと、覚えてなんかないんだろうけど」

 まだ入部したての頃。一軍に入ろうと躍起になっていた自分に、昇格試験の合間に差し出された、一本のアイス。頑張ってるヤツを見てると応援したくなんだよ、そんな言葉とともに手渡された、ひんやりと冷たいソーダの味は今もまだ鮮明に舌の裏にこびり付いている。
 食べるのが惜しくてそのまま握っていたら、手の温度で溶けてしまったんだっけ。べしゃべしゃになって地面に落下していく水色の液体と、その下から覗いたアタリの文字。当然もう一本と取り換えられるわけもなく、あれは今でも黄瀬の部屋の机の引き出しの奥深くに眠っているはずだ。
 無造作に投げ捨てられた青峰のタオルを拾い上げ、鼻を寄せる。たっぷりと彼の汗を吸い取ったその布からは、確かに芳しい香りが漂っていた。思わず恍惚とした表情を浮かべる黄瀬の姿を見る者は、誰もいない。

「やっぱ、諦めきれないなぁ」

 呟いた言葉はふわりと舞った風に吹かれ、一気に上空へと流れ、消えていく。
 ちょうど外から戻ってきた青峰は、やけに清々しい目をした黄瀬に視線をやり、その様子に首を傾げながらも、集合を促す笛の音を聞いて、そのまま気怠げに足を向かわせた。
 咄嗟にユニフォームの下に隠し込んだ、存分に青峰の体液を吸ったタオルを指先で弄びながら、黄瀬は艶めかしい息を吐き出す。いつか彼のすべてを手に入れるその日まで、これもまた大切に、閉じ込めておこう。
 それは帝光バスケ部の崩壊が始まる、ちょうど一ヶ月ほど前の出来事であった。



(120705)





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