黒子くんには渡しません | ナノ




 雲一つない晴天が広がる週末。絶好の行楽日和といえる今日という日に、朝から洗濯やら掃除やらに追われている自分は本当に現役高校生で間違いなかっただろうかと、思わず自問自答に陥りそうになって火神は口を閉ざした。というのも、今に始まった話ではないのだが。
 青峰と暮らすようになってから、自然とこうした機会が増えたような気がするのは、恐らく錯覚ではない。純粋に考えても自分がもう一人いるようなものだし、かといってそれについてとやかく愚痴を言うつもりもなかったが、改めて真剣に考えてみれば、これでは新妻の真似事と大差ないではないかと、気付かなくてもいいことに気付いてしまう、そんな正午過ぎである。
 掃除機をかけていた手の動きを止め、無人のリビングで一人、頬を赤らめる。身体は火照り、心臓の音もどくんどくんと騒がしい。我ながら正直すぎるのも如何なものかと叱咤したくなる気持ちを堪えつつ、同居人が留守にしている今のこの瞬間で良かったと、息を吐いて安堵したのも束の間。

「火神ィ、旦那の帰宅だぞー」
「青峰君、そういうボケいらないです。あ、火神君、おじゃましますね」

 どこか見知ったような厄介事を呑気に連れ帰ってきた青峰の無神経さに、火神は怒る気も失せたのか、開けた口をしばらく閉じることができず、その場に棒立ちすることでどうにか理性を保っていたらしい。とにかく、先ほどまで脳内を占めていた思考が吹き飛ばされてしまうほどに、黒子という第三者の登場は火神の肝を冷やした。
 シェイクを片手に靴を脱ぐと丁寧に揃えて置き、ぺこり、会釈をして、硬直したまま動かない自分の前を通り過ぎていく影の表情は、何だかうれしそうにも見える。否、そのようなことは問題ではないのだ。もともと一人で暮らしていた家なのだから、友人の一人や二人招き入れることに抵抗などあるはずもない。
 ここで注視するべき点は、だ。帰ってきて早々に冷蔵庫を開け、おもむろに冷えたスポーツドリンクが入ったペットボトルに口をつけている男が、何の気負いもなしに堂々と黒子を連れ込んできている、ということにある。
 火神の記憶が正しければ、自分たちが同棲をしていることは誰にも、黒子にすらも知れ渡っていない秘め事であったはずだ。というのは大袈裟すぎる物言いかもしれないが、今の時点ではこの事実を知る者は当の本人たちだけであると、そう信じてやまなかったのは、自分の都合のいい幻想でしかなかったのだろうか。
 などと、火神が絶望に打ちひしがれたような表情で青峰に恨みがましい視線を向けているのも仕方のない話である。そわそわと珍しく落ち着きのない様子で家の中を観察していた黒子には、それすらも全てお見通しであったわけだが。

「……どういうことか説明してもらおうか、青峰君……?」
「ん? ああ、コンビニ行ったら偶然テツに会ってな。ついでにバスケして、動いたら腹減ったから一緒に昼飯食おうと思って連れてきた」
「あのなぁ、そういうことを聞きたいんじゃねーんだよオレは! ……どうしてくれんだマジで……よりにもよって黒子のヤツにバレるとか……」
「二人とも安心してください。別にこのことを誰かに口外するつもりはありませんし、君たちの込み入った事情に口出しする気もないので」
「だから! お前は気配消して会話に参加するのやめろって言ってんだろ!」

 頼むから、切実に訴える火神は今にも泣き出しそうなほどに焦っている。青峰には何が何やらさっぱりわからず、ただ、自分とそう背丈も変わらない男が悲痛な叫び声を上げているのにはどこか興奮せざるを得ないというか何というか、つまるところ、火神の向ける思いはこれっぽっちも理解されていなかったのであって。
 そんなちぐはぐな二人のやりとりを横目に、シェイクに突き刺さったストローを強く吸いつつ、黒子はどこか釈然としない面持ちである。最近、学校での火神の浮き足立った様子に、何か事件があったのだろうと、誰よりも早く気付いていた黒子は、真っ先に彼の周辺に独自の包囲網を張り巡らせた。結果として、火神の家に青峰が出入りしていることはすぐに調べがついたのだが、よもや同棲しているとは思うまい。
 その立ち位置はいずれ自分が手に入れるものだと、揺るぎない勝利を確信していただけに、彼が悔しがるのも無理はなかった。しかも、よりによってこの最も節操がなさそうな野生児相手に。己の敗北を目の前にして、だが黒子は諦めるという言葉を知らない。ああだこうだと口論を繰り広げる長身カップルを見上げ、そこに自らが入り込む隙が一ミリでもあれば、可能性はゼロではないと、そう信じているらしい。未来というものは不確定要素の塊なわけなのだから、絶対、などという言葉で断言することは許せない。少なくとも自分の中では。
 どうやら全て飲み干してしまったようで、空になったカップをテーブルの上に置いた黒子は、椅子を引いてそこへ腰を下ろした。それを見た青峰も、火神を軽くあしらうと黒子の隣の席へと身を滑り込ませる。完全に、食事を催促する待機の姿勢である。

「もうどうでもいいだろうが、減るもんじゃねーんだから。そんなことよりメシだメシ」
「そうですよ火神君。いずれは世間に広まると考えれば、それが少し早まっただけの話です。むしろ堂々と胸を張ってればいいじゃないですか。……で、今日のお昼は何ですか」
「……てめーらバスケ以外は相性悪いんじゃなかったのかよ……」

 頬杖を突き、反対の手でぺしぺしとテーブルを叩く真似をしてみせる、元帝光中バスケ部の抜群のコンビネーションに、火神は本日何度目かの溜息を大きく吐き出した。こいつらにおよそ常識という概念は通用しないのだろうと、嘆きを溢しつつもおとなしくキッチンへと向かっていく大きな背中からは、確かに哀愁が漂ってみえる。
 とはいえ、その程度の苦境で泣き言を吐くような火神ではない。過ぎてしまったことをとやかく言っている暇があったら、料理でもして気を紛らわした方がよほど有意義であると、冷蔵庫からキャベツを一玉取り出した。その目を瞠るような豪快な包丁さばきに圧巻されながら、傍観者たちが考えることと言えば。

「あー、やっぱ嫁だわ、間違いねえ」
「青峰君、僕もこの家の住人になりたいです」
「そりゃいくらお前でも却下だ、テツ」



(120629)





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