それは眩暈にも似た | ナノ




 額からじんわりと滲み出る汗を拭う。季節は夏も間近で、彼らの始まったばかりの高校生活も一つの区切りを迎えようとしていた。
 合宿を控えた今、体調管理を整える意味も込め、放課後の練習に力を入れる部員は少なくなっている。事実、あらゆる扉を開放したところで、驚くほどの熱気がたちこめている体育館は、まるで天然のサウナのようであったし、彼らとて好んでそこに居座る気はないということである。
 高尾もまた、続々と引き上げていく上級生の後を追い、制汗スプレーを汗まみれの身体に吹きかけながら、今にも死にそうな表情をしていたうちの一人だ。制服に着替えた後もやはり気分は優れず、こんな日はさっさと家に帰るに限ると、そこでようやく、隣に相棒の姿がないことに気づいて、ふたたび体育館へと向かったのだった。

「……おおー」

 気持ちいいほど自然に、流れるような弧を描き、彼の繊細な手から放たれたボールがゴールネットの中へと落ちていく。その切り取られた風景を目にするときいつも、純粋に綺麗だと、そう思った。
 ふう、離れていったボールの行く末を認めたあと、緑間は安堵したように息を吐き出す。常に人事を尽くしている彼からしてみれば、失敗するはずもない、約束されたシュート。中学の頃から何一つ変わることのない、緑間のみに与えられた神の御業とも呼ぶべき奇跡の技である。
 だが、外れることはないと確信しているだけに、想定外の出来事が起きた場合、自分がどうなってしまうのか、緑間にはわからなかった。何も我を失って取り乱したりはしないだろうが、この自尊心を傷つけられでもしたらと思うと気が気ではない、というのも本心だ。弱音など吐いてはいられないのに、誠凛高校との一戦があってからというもの、緑間の心境は日を追うごとに変化しつつあった。こんな状態で合宿に臨むわけにはいかない、自らにけじめをつけるため、こうして誰に告げることもなく、日々シュート精度に磨きをかけているわけなのだが。

「相変わらず素晴らしい腕前だねえ。さすがはうちの将来有望なエース様だ」
「ッ、高尾! いつからそこにいたのだよ……!」
「んー? 真ちゃんがボールをしゅっと投げたあたりからかな。いやあ、見惚れてて声もかけられなかったよ、ごめんごめん」

 ころころと床を転がっていくボールを拾い、そのまま元いた位置へ戻ろうとしたところ、緑間はようやく、体育館の入口からこちらに視線を注いでいた同級生の姿に気づいた。何も悪いことはしていないはずなのに、そうして見られていたことに対して動揺を隠せなかったのは何故だったのだろう。この男の前でだけは強がっていたいと、自分の中で定めた法則が乱れてしまうから、だとしたら、言うまでもなくそれはもう破綻してしまっている。
 何だ、この得体の知れない敗北感は。すたすたと勝手にこちらへ歩を進めてくる高尾に、緑間は思いきり眉を顰める。こっちへ来るな、帰れ、そう冷たく突き放せば、オレが帰っちゃったらどうやって帰るの、などと至って当然の質問を投げ返されてしまう。今頃は正門前に停めてあるであろうリヤカーの存在を思い出し、思わず言葉に詰まってしまったところで、高尾が気さくな笑みを浮かべた。
 こいつ、確信犯か。出会ってまだそれほど月日も経っていない同級生の見せる底意地の悪さに、やはり面白くなさそうな表情を向け、緑間はしかめっ面だ。美人がもったいない、口を突いて出そうになった言葉を寸でのところで呑み込み、高尾は緑間の手からボールを引っ手繰った。

「頑張るのもほどほどにしろよ。焦ったって仕方ないだろ。それにそういうの、緑間らしくない。……ほら、わかったら帰んぞ」
「……お前に……、……何がわかるのだよ」
「あー……そう言われると、オレも弱いんだけど」

 顔を俯けて静かに呟いた長身の緑間に、高尾は頭を掻いて言葉を濁す。何がわかるのかと聞かれたら、恐らく何もわからない。これまでともに秀徳高校バスケ部のメンバーとして数々の試合に臨んできた二人であったが、実際の付き合いは浅く、友人と呼べる間柄ですらないかもしれないのだから。
 もちろん高尾の方は、扱いにくくてたまらない、無愛想で変わり者の緑間を、それなりに認めているし、特別視もしているのだが、かといって彼の方が同じ気持ちとも限らないだろう。むしろその正反対ではないかと考えているし、事実それは当たらずとも遠からず、といったところだ。それでも負けじと距離を縮めようと懸命なのは、彼が相当に諦めの悪い男であるからといった所以があるのだが、そんなことは緑間の知ったことではない。
 それに、何も知らない人間が自分のことに口出しをしてくるのはひどく腹が立った。これ以上顔を突き合わせていたらあらぬことまで口走ってしまいそうだ。彼にも悪気はなかったのだろうし、この話はここまでにしてもう今日は切り上げようと。未だに何かを考えているのか、唸る高尾を横目に、緑間は動き出そうとした。

「……何もわかんなくても、一つだけわかること、あったわ」
「……? 何のことなのだよ……」
「オレが、真ちゃんを好きだっていうこと」

 だから心配もするし、余計なことも言いたくなるし、構ってやりたくなるし、放置なんてしておけない。咄嗟に掴んでいた緑間の左手をそっと持ち上げ、慈しむようその指先へ触れると、高尾は恥じらいもせずにそう、確かに告げた。
 緑間はそれを、瞬時に理解することが出来なかった。それもそうだろう。彼の頭は今まったく違うことを考えていたし、まさかそんな言葉が高尾の口から吐き出されるわけもないと、完全に虚を突かれていたのだから。そのまま呆然と立ち尽くし、数回瞬きをしたのち、眼下の高尾と視線が合ったのに気づいて、ようやく緑間は己の体温が上昇していくのを感じた。
 何を馬鹿なことを、と、いつものように罵声を浴びせることが出来たとしたらどんなにかよかっただろう。こんなときに限って、喉はからからに渇ききってしまい、きちんと息を吸えているかどうかもわからない。何か言葉にしなければ、そうは思うものの、舌は回らず、しどろもどろだ。だから、その隙を突いて高尾に腕を引かれ、前のめりになった勢いで、一種の事故が起きてしまったのも、それは仕方のないことであったのかもしれない。

「ああもう、ちゃんと目ェ瞑ってくれないと。雰囲気ってもんがあるだろ」
「な、……! お前、今」
「はい、もっかいやり直し」

 反論の余地もなく、掠め取るように奪われた唇はしばらく離れることもなく。あまりの熱さに、脳髄がアイスクリームのように溶かされていくような、そんな錯覚を抱いた。きっとそれまで燻ぶっていた悩みなど、何でもないことのように思えてしまうくらいに、どろどろに爛れて、



(120621)





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -