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 部活を終え、チームメイトの高尾のくだらない話を普段通りに聞き流しつつ、昇降口で靴を履きかえていた折から、何となく予想はついていた。
 正門のあたりで蜜に集る蟻のように群がる女子生徒たちが囲む人物は、彼もよく知る旧友の姿だ。相変わらずすげえ人気だなあ、などと他人事のように傍らでその光景を遠目に眺める高尾に、だが緑間は黙って頷いてもいられない。黄色い歓声に呑み込まれつつもこちらの存在に気づき、困った顔で大きく手を振ってくる他校の制服に身を包んだ男子は、何を隠そう、自分目当てにここまで足を運んできたのだから。
 思わずこぼれた溜息の理由を知ってか知らないでか、見上げた高尾が緑間の肩を労うように叩く。もはや日常と化した風景に慰めの言葉は必要ないのだろう。本当は、今日もお勤めご苦労さん、なんて、口にでもしたらその瞬間に拳が飛んできそうな勢いであったから、無言で微笑んでいただけであるのだが。
 しかし、高尾がその表情の裏にどんな言葉を隠しているか、全て見通していた緑間は、露骨に嫌そうな顔をして逃げようとした彼の腕を掴もうとして。

「無視とかひどいっスよ、緑間っち」
「……黄瀬……お前、……あ」
「じゃあ、そういうことで。彼はお預かりしていくっス」

 あと少しで届きそうだったそれは宙を切り、いつの間にあの大衆の中から抜け出してきたのか、ひょっこりと姿を現した黄瀬によっていとも簡単に掠め取られてしまった。何を考えているかわからない、屈託のない笑みでそれを見送る高尾に、緑間はますます不機嫌そうに眉を顰めたが、現状が変わるはずもなく。頑張ってね、去り際に吹き込まれた言葉はどこまでも厭味ったらしくて仕方がなかった。





「それにしても女子って怖いっスね。扱いには慣れてるけど、やっぱあんな大勢に囲まれたらオレでもびびるっスわ」
「だったら来なければいいのだよ」
「冷たいなあ。そうまでして緑間っちに会いたいオレの気持ちも考えてほしいっスよ」
「……そんなものは知らん」

 ぐいぐいと腕を引かれて学校を後にし、取り巻きの女子たちを完全に振り払ったところで、通学路を二人、肩を並べて歩いていく。しっかりと握られた手はどうにも離してくれそうになく、諦めてそのまま身を任せることにした。
 中学を卒業し、それぞれ違う高校への進学を決めた彼らではあったが、離れ離れになってからも黄瀬はこうしてわざわざ緑間の元へやってくる。そこにどんな想いがあるのか、いつだって知らないふりをして、その隣へ立つことを甘んじて許しているのは緑間だ。
 こうして二人きりで時間を過ごすことに、嫌気が差しているわけではない。あの頃から黄瀬はよく自分の傍にいたのだから、そこに何かしらの疑問を感じることもないだろう。いつも高尾とリヤカーで通り過ぎていく街並みにも、違和感など覚えるはずもないのに。それが異常なことであるという事実から、いつまでも目を背け続けているのは、緑間の抱えた罪に違いない。

「あ、そうだ。ちょっと喉乾いたんでコンビニ寄っていいっスか」
「一人で行けばいいだろう。オレは帰る、ぞ……」
「まあまあ、すぐ終わりますから」

 軽快な音と共に自動ドアが開き、入店すると同時に繋がれていた指先が離れていく。名残惜しいと少しでも感じてしまった自分が女々しくて、まっすぐにペットボトルコーナーへと歩いていった黄瀬とは真逆の方向に足を向け、緑間は雑誌コーナーの前で立ち止まった。
 毎日のラッキーアイテムは「おは朝」にてしっかりと確認するのが日課だが、こうしてファッション誌の最後に記載されている星座占いもチェックを欠かさないのが、彼にとって人事を尽くすということなのである。試合で常に最善の状態を保つためには、こういった小さな努力の積み重ねが何より重要だと、今までの経験上、そう理解している。
 緑間はいつもと同様に雑誌を手に取り、後ろからページを開こうとして、ほんの、本当に些細な気まぐれで、ぱらぱらとそれを捲りはじめ。ふと視界に入った見慣れた男の姿に、手の動きを止めた。
 よく考えてもみればそれはおかしなことでも何でもなくて、至極当然のことといっても過言ではない。彼はバスケを愛する現役高校生であると同時に、このような雑誌の紙面を飾るモデルでもあったのだから。ただ、もともとそういったものに興味のない緑間が、黄瀬の異なる一面を目にする機会は滅多になかった。
 だから余計に、あどけない子供、否、飼い主にじゃれつく大型犬とも形容できるような彼が、大人顔負けの表情を魅せるという事実に、思わず肌が粟立った。雑誌の見開きを大きく独占する、艶めかしい色気の溢れる姿に、緑間は硬直したまま次のページを捲ることができない。乾いた唇を舌でそっと舐めてみるも、すぐにまた乾燥してしまい、呼吸をすることも忘れてしまいそうだ。それほどの言葉にならない衝撃が緑間の全身を駆け抜けていて、釘付けになったまま視線を外すことも叶わない。
 そこだけ切り取られた世界であるかのように、彼は今、別の次元へと足を踏み入れていたのかもしれない。背後から音もなく現れた、当の本人に声をかけられるまでは。

「なーにみてるんスか」
「ッ、な、何でもないのだよ」

 慌てて雑誌を閉じ、元あった棚へとそれを戻すが、まったく平静は装えていない。今の緑間からは元来そうあるべき要素が全て抜け落ちており、早急な修復は望めそうになかった。つまり、どんなに取り繕ったところで眼前の彼の目を誤魔化すことは不可能であったし、緑間自身にもそれは痛いほど理解できていた。だからこそ早くこの場から立ち去りたくて、黄瀬の視界から逃れようと彼は必死だ。まさか今まで己が見惚れていた相手がすぐそこに佇んでいて、こちらの不審な様子を窺っているなど、考えたくもない恐怖である。
 用事が終わったのならもう帰るのだよ、目を逸らしつつ口にした緑間の腕を、またしても黄瀬が掴み、最後まで言わせないうちに言葉を遮った。店内は珍しく空いており、買い物を終えた客が一人、出て行ったところで、彼らは二人きりになった。店員も暇を持て余しているのか、レジの裏で背を向けて何やら作業に没頭している。かち、かち、聞こえるはずのない時を刻む秒針の音が脳内でずっと反響していた。
 引き寄せられ、背中から抱きしめられるように腕を回されたことにより、肌が密着する。重なった部分から心臓の鼓動が彼に伝わりそうで、緑間はとても気が気ではない。振り払うことは可能だが、今はそれどころではないし、と、頭の中でぐるぐると逃げる算段を練っていた緑間の耳元に唇が寄せられ、恐ろしいまでに甘い声が囁いた。

「……このままオレの家、来てよ」
「は、……?」
「だって今、オレに抱かれてる自分想像したでしょ?」

 ねえ、だったら好きなようにしてあげる、嗤って解放した手は、そのまま自然な流れで緑間の指先を絡めるように奪い、何も言えないでいる彼を嘲笑うかのように外へと連れ出した。吹き荒れる風に頭の芯が冷やされていき、我に返るも時すでに遅し。今度こそ払おうとしたそれは磁石のように引っ付いたままで、抵抗の一つも許すことはなかった。
 口元に笑みを湛えた黄瀬の表情は、雑誌の中の彼よりもずっと、緑間の心を掴んで離さない。自分でもこんなにも馬鹿なことはないと理解できているのに、まったく口では説明できない怪奇現象もあったものだと、おとなしく長い睫毛を伏せた。これでは飼い主がどちらかわかったものではない、静かに嘆息して。



(120613)





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