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#17話ネタバレあり



 陽も沈む頃合い。鴉の鳴き声を遠くに聞きながら、綺礼は道端に止めた車内にて、眼前の光景をまるで絵画の中の一つの風景であるかのようにひっそりと見据えていた。
 禅城邸の立派な門扉の前に佇むは、どこにでもいるような親と娘の姿。身を屈め、視線を合わせたところで娘の形の良い頭を父の掌が撫でつける。何を言い聞かせているのか、その言葉まではここへは聞こえてこない。が、それが今生の別れを意味していることを、娘は恐らく頭の片隅で理解しているのだろう。魔術師の名門を名乗る以上、その覚悟を胸に抱くことは必定であるのだから。
 だが、涙を見せることはなかった。父から手渡されたただ一冊の魔道書を小さな腕の中へ抱え、微笑む父の顔に表情を綻ばせ、大きく首を縦に振る。それは異常なことであったかもしれない。愛する父との決別が彼女にとって深い哀しみとなるであろうことは容易に想像がつくのに。少女はその悲哀を断ち切ってまで、毅然とした態度で胸を張って生きていかなければならない。全ては魔術師であるがゆえに。しかし、果たしてそれはどうしようもない悲劇であるのだろうか。
 それまでハンドルを握っていた手を下ろし、綺礼はゆっくりと膝の上で指を組んだ。「一度目」であったのなら、一瞬でもそう考えていたかもしれない。否、この時点では既に己の心は確実な変化を遂げていただろうか。綺礼にそれを思い返すことは出来なかった。ただ一つ言えるのは、こうして今の自分があの親子の別れを見守ることに、確かな悦びを見出しているということである。

「すまない。遅くなったね、綺礼」
「……いえ。宜しいのですか」
「ああ。あの子はもう、大丈夫だろう。これで後顧の憂いを残すこともない」

 助手席の扉を開け、はっとさせられるほど見事な立ち振る舞いで乗り込んできた師に向かい、一つの問いを投げかける。返ってきた言葉はもう聞いたことのある、如何にも魔術師らしい台詞であった。時臣は夫であり、父親である以前に、現遠坂家当主である。綺礼は彼の生き様をその眼で長きに渡って観察してきたが、さすがに二巡目ともなると嘲笑を通り越して溜息が洩れるというものだった。
 今の言峰綺礼にとって、今回の第四次聖杯戦争に至るまでの人生は、一度目のやり直しということになる。何がどうなってそういった経緯に至ったのか、仔細については述べるまでもない。事実、彼にも本当のところは理解できていないのだ。ただ、神から与えられるべくして与えられたこの好機をどう活かすかは、他でもない彼自身の手に委ねられているということである。
 既に経験した事象の連続は、かつて生に感慨を見出すことの出来なかった自分を少なからず変えることが出来たと、彼もまた実感していた。一見、言峰綺礼の無意味であるかのように思えた生い立ちは、想像以上に彼へと知らしめたのだ。自らが何を以て悦とするか、その根本についてさえ自覚してしまえば、堕落してしまうのは実に容易であったのだと。
 おかげで、二巡目の言峰綺礼は自信を持って生を謳歌していると断言することも出来た。妻を亡くし、時臣に出会い、こうして師弟の契りを交わしてからというもの、綺礼の感情は日を追って昂っていく一方であった。聖杯戦争という壮大な喜劇を舞台に、盤上の駒を己の手で篩いにかけていくことへの圧倒的な充足感は、何物にも代え難い幸福でしかない。
 無論、表面上では無に等しいかつての言峰綺礼を演じることを忘れてはいない。だが、彼の前では、一巡目の彼を唆し、貶めた張本人である英雄王でさえ、傀儡に過ぎないというわけだ。勿論、名目上は己の師であるこの愚かな男についても。それがどうしようもなく、快感で堪らなかった。
 だが、何事にも限度というものがある。そう何度も同様の、ありきたりな茶番を見せつけられては興醒めもするだろう。つまりそういったわけで、舞台の首謀者は今では傍観に徹してしまっている節もあった。

「父親という視点から見てみれば、私のような人間はきっと最低なんだろうね」
「貴方は紛れもなく優秀な魔術師です。それ以上でも以下でも」
「……頭では十分すぎるほどに理解しているんだがな」

 そこに普段通りの、自信に満ち溢れた表情を浮かべる遠坂時臣の姿はない。困ったように眉を寄せ、やや自嘲気味に唇を歪めて俯く彼は、ただの人間にしか見えなかった。何を悲しみ、嘆くことがあるのだろう。妻も娘も時臣にとっては良き理解者であり、先代から成し遂げようとしてきた悲願も今、ようやく達成することが出来ようとしているのに。
 一巡目の記憶をゆっくりと辿りつつ、綺礼は思う。よもやこの時点で師は、自らが聖杯を掴み取ることが不可能であると心の何処かで悟っていたのではなかろうかと。それは魔術師の勘とでもいうべき一種の予感なのだろうか。振り払うことの出来ない死の匂いに、恐らく彼は恐怖を抱くと同時に諦観もしているのではないかと。なればこそ、あろうことか自らの弟子の前で、己の素直な感情を吐露してしまっている。
 これは綺礼にとって嬉しい誤算でもあった。少なくとも一巡目の世界での時臣は、最期の瞬間まで自身の勝利を確信してならなかったのだろうから。あの背後から、複雑に組み合わさった骨の合間を縫うよう、鮮やかな方法で心臓を刺し貫いた折のことを思い返してみる。アゾット剣を握った感触は今でも瞳を閉じれば脳裏に蘇り、師が吐き出した間の抜けた声も耳の奥深くにこびりついているのだ。
 考えてみれば呆気ない幕切れであった。魔術師としては自分より数段格上であるはずの彼が、何の抵抗もなく地に伏すのを見て、綺礼は正直につまらないとすら思ったのだから。舎弟に命を奪われるなど、この界隈では日常茶飯事ともいえるべく、取るに足らない出来事でしかない。が、その惧れを抱くこともなく、時臣は綺礼を心の底から信用しきっていた。あれでは死して自らのサーヴァントに頭を小突かれても仕方がないほどに滑稽極まりない。
 結局のところ、時臣は人としての甘さを完全には捨てきれていなかったのだ。そして、綺礼が裏で糸を引く今回の第四次聖杯戦争においても、また。項垂れる時臣は自らの首に今まさに突き立てられようとしている刃の存在にも気付かない。実に、醜悪と呼べるまでに愚鈍な有様である。

「私は、師の心境を汲み取って差し上げるだけの術も持ち合わせておりません。ですが、これだけは確実にお伝えしておきましょう」
「ッ、……?」

 ちり、一瞬頬に走った僅かな痛みに時臣は顔を上げた。指でその部分をなぞってみると、鎌鼬にでも襲われたような傷跡が一つ。人差し指の腹には確かに赤く光るものが付着している。果たしてそれが何を意味するのであろうか、今の彼でも未だ気づくことは出来ないのだろう。
 否、この先何度同じ世界を繰り返しても。微妙な差異はあれど、それを大きく変えるには至らない。それこそ言峰綺礼という人間そのものを、まったくの別人に差し替えでもしない限りは。それに、起こり得る奇跡がこれ一度きりである可能性とて視野に入れておかねばならないだろう。つまり、綺礼が時臣のただ一人の弟子として接することを許された猶予はあまりにも短いというわけだ。
 隣へと腰を下ろしたまま途方に暮れる師の姿を、彼は舐めるように観察した。自身を傷つけた張本人がすぐ傍で息を潜めているのにも、訳がわからないといったような表情をしたまま、時臣は微動だにしない。この場で彼を殺しても実際、至る結末に変わりはないのだろう。思うに、それもまた一興だ。さて、綺礼は浅く噛み締めるよう息を吐き出した。

「貴方が私以外に殺されることなど有り得ないのですよ、時臣師」



(120503)





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