まずはお口を開けましょう | ナノ




 ギルガメッシュという英霊ほど傲岸不遜なものもこの世には存在しないだろう。自らの私室同然に上質なソファへ腰かけ、長い脚を組み、こちらを見下すサーヴァントを見上げ、綺礼は考える。こうした光景は以前にも見たことがあった。あの時この場で、今自分と同じように王へと恭しく頭を下げ、恐縮していた人物は彼の師であったのだが。
 遠坂時臣は、自らの悲願を達成するためには平気でプライドを捨ててしまうような魔術師だ。果たしてそれは、彼の言う一流の魔術師とは大きくかけ離れた存在であると、同時に綺礼は思った。だが、そうではないのだ。己が最も重んじるものを投げ捨てる覚悟をもった上で、時臣はこの聖杯戦争へと臨んでいる。恐らくは、彼自身の生命よりもよほど尊く、重きを置くべき信念。
 なればこそ余計に弟子には理解できない。そもそも、確実な勝利を手にするためとはいえ、このようなサーヴァントを召喚してしまうなど。師のしたことは間違っている、口には一度たりとも出さぬが、綺礼は常に頭の中でそう思考していた。現にこうして黄金を纏う英雄王はマスターの下を離れ、一介の弟子をからかうことにえらく執着しているご様子である。
 あれは退屈な男だ、日頃からギルガメッシュが洩らしていた言葉を綺礼も聞き逃していたわけではあるまい。ただ、仮にも時臣に勝利をもたらすため、彼の手となり足となることを誓った身の上であるからして、あのような英霊如きの言葉に心を揺らがせてはならぬと考えている。腐っても神の御名の下に十字架を掲げ、反徒へ制裁を加える聖職者の任に就いているのだから、尚のこと。
 たとえ相手がその神をも凌ぐ絶対的な王気を放っていたとして、所詮は過去の英霊。現世に身を置く己の方が遥かに上位であると確信しているからこそ、綺礼は師がそうするようにギルガメッシュへの態度を改めるようなことはしなかった。逆鱗に触れ、首を刎ねられればそれまで。
 元より生への執着がない彼にとって、死は安らかな眠りでしかない。どうせ天国に召されるような人間でもないのだ、そのまま地獄に落ちたとして、今より生きがいのある人生を送れるのならば何も構うことはない、と。ともかく、そういった要因で綺礼は決して額を地につけひれ伏すこともなく、ただあるがままの己を貫き通した。その行い自体が王の癪に障るとは気づきもせずに。

「おい、そこな雑種。我の言葉が届かなかったか? もう一度告げる。舐めろ」
「……何故、私がそのような真似をせねばなるまい?」
「狗が許可なく主人に歯向かうなど許されぬ。断じて許してはおけんぞ、綺礼。貴様に物を言う資格はない。黙して従え」

 腰を屈め、膝をついた状態の綺礼の視線の先には、女のように滑らかで透き通ったギルガメッシュの素足がすらりと伸びている。口先に今にも触れそうなほどに近づけられたそれを怪訝そうに睨みつつ、しかし彼は微動だにしない。
 退屈が生じると暇を見つけてはこの部屋を訪れ、気の向くままに羽根を伸ばす自由なサーヴァントを、綺礼はあまり好いてはいなかった。こういった輩は自らが愉しめればそれで良く、その前後は全くと言っていいほどどうでもよい体だ。元よりこの英霊に常識を期待してなどはいないが、相手の都合に良いように振り回されるこちらの身にもなってほしい、というのが彼の本音である。もっとも時臣ならば、そのような命令も悦んで鵜呑みにしてしまうのだろうが。
 ごくり、唾を呑み込んだ。とはいえ、餌をお預けにされている飼い犬とは訳が違う。どうすればこの男を上手く撒くことができるか、綺礼の脳内を逡巡しているのはその思考一点においてのみなのである。
 だが、彼の崇高な英雄王の前では一切甘い考えなど通用しない。まだ逃れられると思っていたのか、とでも言いたげに、嘲笑を湛えた憎々しい紅玉がじっとりと眼下の綺礼を見下した。息を吸い込む間もなく、唾を溜めていた口内へとギルガメッシュの指が呑み込まれていく。正確には彼によって強引に入れられた、と言うべきだろうが、どちらにせよもう同じことだ。
 後はただ受動的に、嫌悪に眉を顰めながらも、長く整えられた爪の先にまで丁寧に舌を這わせていくだけ。手を使うことは許可されていない。何しろ、今の彼は王のペットに他ならないのであるから。時折息を吸っては吐き、調整を繰り返しながらも、その動きを止めることはない。
 逆らうのは簡単なことだ。だが、これ以上面倒に巻き込まれるのも彼としてはご遠慮願いたいところである。それならば握った拳に血を滲ませながらも従順でいた方がよほど楽だ、と思う。

「ふ、……悦いぞ、綺礼。時臣の拙い奉仕に比べ、貴様の何と調教されたことよ」
「黙って、いろ……アーチャー」
「―――ほう。貴様でもそのような表情が出来たのか? なるほど、これは見物だ」
「黙れと、言っている」
「クク、もっと威勢を張っても良いのだぞ? その方が我好みでもある」

 ぐ、力を込め、さらに奥へと捩じ込む。口内の薄い膜を鋭い爪が掻いたのか、一瞬噎せ返って吐き出し、押し返した綺礼の無様な姿をギルガメッシュは嘲笑する。見ろ。人間とは如何に強靭な肉体を持っていたとして、その脆弱な中身を傷つけられれば忽ち地に伏せてしまうのだ。何と儚いことか。
 しばらく蹲って咳き込み続けている男を、まるで虫けらを見るような眼で見据え、それからギルガメッシュは大きく頷いた。時臣とて、王の慰み物として扱うにはちょうど適した贄である。実際に言うほどその反応は退屈なものではないし、無理矢理に身体を暴く快感はひとしおといったところだ。
 だが、やはり違う。自分の追い求めているものが、あれからは決定的に欠落している。上半身を前に倒し、身を屈め、唾液の伝う顎をやや強引に持ち上げた。そのとうに光を失ったはずの瞳から感じられる強い意志の塊が、刃となってこちらへと向けられたのに、王は大層悦んだ。

「そう、その眼だ。罪深い貴様の眼球こそ、王の財へ加えるに相応しい宝物よ」
「……何がしたい、英雄王」
「口にするのも躊躇うほど簡単なことだよ、綺礼。我はただ、お前を支配したい。而してお前の内に眠るその起源を引き摺りだしてやりたい。嘸やそれは美しい色を帯びているのであろう?」

 扉を開くことは何よりも容易だ。しかし、開け放ってしまったそれを再び閉じることは叶わぬのだと、綺礼もまた確信していた。



(120406)





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