死刑宣告にも似た | ナノ




 偶然という言葉ほど怖ろしく厄介なものはないと、今ランサーは自覚した。ドアノブを捻ったその向こう、彼の主の私室であるはずのそこを堂々と占拠する黄金のサーヴァントを前にして、頭で考えるより先に足が元来た方向へ逆戻りしていたのは生まれ持った危機察知能力とでも言うべきだったろうか。己がマスターの次に、つまりこの世で二番目に苦手な相手に対してもはやこちらから語ることもあるまい。
 何も見なかったことにして、くるり、方向転換したランサーの、ふわりと揺れた深い青色の髪を、しかしギルガメッシュは見逃すこともなくあっさりと捕まえ、まるでリードを手繰り寄せるような手つきで半ば強引に引いた。実際にはたいした力ではなかったものの、まったく予期せぬ英雄王の行動に思考が遅れをとってしまう。そうしてランサーがずるずるとギルガメッシュの足元へ引き寄せられたのは実に一瞬の出来事であった。妖しく、爛々と光る血のように赤い眼球を見上げる。背中を嫌な汗が伝っていくのが自分でもわかった。

「おい、犬。暇だ。構え」
「誰が犬だ、誰が!」
「今律儀にも返答した貴様のことであろう。我の好意で特別に慰み物として扱ってやろうというのだ、咽び泣いて歓喜するがよい」

 外道の吐くような言葉を平然と口にしてなお笑顔すら見せているあたり、この男は心底性質が悪い。こんなものの何をもって英霊などと呼ぶことができるのか、ランサーは見知らぬ誰かに問いかけたくて仕方がなかった。それにしても全身を舐め上げるような突き刺さる視線が痛くてたまらない。今この場に魔槍をもって奴を寸断してやろうかとも思ったが、生憎と力量の差は十分に理解している。この瞬間だからこそご機嫌ではあるものの、一歩間違えれば周囲はあっという間に火の海に呑まれてしまうことだろう。それはそれで一興かとも思ったが、そのような情けない死に方は御免こうむりたいというのが彼の本音である。
 といったわけでランサーはまともに抵抗しようとは考えていない。しかしこのまま相手の好きにさせるつもりもない。さて、どうしたものであるか。くいくいと束ねられた後ろ髪を面白そうに引っ張るギルガメッシュに、とりあえず嫌悪を剥き出しにはしてみたがまったく効果はないらしい。むしろその反応が興奮材料となってしまっている事実に愕然と肩を落としたほどだ。さすがは彼の英雄王である、一筋縄ではいかない。だが、どうにかしてこちらへの興味を逸らしたい。そうしなければ自分の身に危険が及ぶことをランサーは今までの経験上、熟知していたのだから。

「茶番も度が過ぎると興醒めだ。そろそろ這いつくばって忠誠を誓ってもらおうか?」
「ハッ、そりゃあまた面白い冗談だな。けどよ、俺は王様の暇潰しに付き合う趣味なんざ持ち合わせてねえんだ。悪いが他をあたってくれ」
「……ふむ、飼い主以外には尾を振らぬ駄犬か。良く躾けられているようで結構。なるほど調教のし甲斐もあるというものだが、我好みではない」

 飼い主とは、まさか彼のマスターのことを指しているのだろうか。もしそうだとしたら甚だ遺憾である。一度たりともあの男の下についたとは思っていないし、忠義を尽くすつもりもないランサーからしてみれば、それは一種の屈辱ともいえた。その言葉は取り消してもらわねばなるまい。いくら主君に忠実なクー・フーリンであろうとも、相手を選ばないわけではないということだ。自分が仕える主は自分で決める。己の命を賭してまで守り抜く人間とあらば、それも必然だろう。
 つまるところ、ランサーは自らのマスターを完全にマスターと認めたわけではなかった。今や彼が現界できているのもあれの魔力供給があってのことなのだが、仮にそうだとしても。などと悪態を吐いておきながら、実際にはのらりくらりとサーヴァント生活を続けている自分がひどくお気楽な生き物であるような気もする。二律背反とはこのことであろうか。
 しかし取り留めもないことを考える余裕など与えられてもいないのに、随分悠長な構え方だ。髪を引かれる痛みでようやく現実へと戻ってきたところで、右手を宙に掲げたギルガメッシュの光り輝く姿が視界に映る。彼の背後、何もないはずの空間の奥から、時空すら捻じ曲げて出現しようとしているのはいかなる英霊であろうと容赦なく縛り上げる天の鎖に相違ない。よもやこのような状況において宝具を使用するなど、とても正気の沙汰とは思えない。いや、この男には最初から常識など通用するはずもなかったが。

「さあ、懺悔の時間だ、犬。悔い改めよ」
「く、……」
「なに、随分と愉しげだな」

 いつからそこへ立っていたのか、音もなく忍び寄ったマスターの存在に、ランサーは心臓を生きたまま鷲掴みにされたような感覚に陥った。言峰綺礼はやはりギルガメッシュと同様に奇妙な微笑みを湛え、それでいて蔑みの眼差しをこちらへと向けている。ほう、唇だけで嗤って展開しかけた宝具をふたたび蔵の中へ引き戻し、己の腕をもってして英雄王は駄犬の身体を自らの近くへと寄せた。
 何やら剣呑な空気である。嘆くべきは最凶とも呼べる二人がこの空間に揃ってしまったということだ。こうなってしまえば最後、ランサーに逃げる術はない。今度こそ絶対に、反論のひとつも口に出すことを許されはしない。と、他でもない綺礼の眼光がそう語っていた。ランサーを腕に抱えた王と、その前に立ちはだかる神父の視線が交錯する。そこには何の感情も見られない。だからこそ、彼は恐怖するのである。この先、数分後の未来が予見できてしまうなど、何も幸せなことではなく。普段から自分がそうであるように、それは限りなく不幸でしかない。

「飼い主を差し置いて遊興に耽るなど言語道断、赦されざる罪だと。そうは思わぬか、ギルガメッシュよ」
「誰に口を利いている。我は万物の頂点に君臨する王であるぞ。雑種の忠犬に手を出した謂れで咎められる覚えはない」
「……それも一理ある。ならば百歩譲って、それを調教する権利を与えてやろう。私は監督役らしくここで行く末を見守るに徹するが、異論はないな、ランサー?」

 その眼が。射るように向けられた双眸が。その舌が。毒を塗りたくるような蛇の蟲動が。一斉に自分を殺しにかかってくるのだと、震える喉の奥で生唾を嚥下した。



(120123)
祝!兄貴召喚!





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