表現の自由というものがありまして | ナノ




 遠坂時臣は困惑していた。と同時に今の状況に疑問を抱いていたりもした。だが、こんなときであれ家訓は絶対なのである。たとえ頭の中で糸が縺れ、絡み合ったような複雑な思考が繰り広げられているとしても、決してそれを表には出すまいとここぞとばかりに堪えるのが彼の常なのだ。事実、そうして今まで己の信条を守り通してきた時臣ではあった。しかしその決意も虚しく、呆気なく揺らいでしまうような、まさにそういった危機的状況に置かれているのもまた違いない事実である。
 さてどうしたものかと、己の眼下からこちらを誘うように妖しげな瞳で見上げる王の表情を盗み見た。時臣が今腰を下ろしているのは自室のデスクチェアでもなく、革張りのソファでもない。彼の英雄王の膝の上である。一体誰がそのような夢であってもありえない幻にも似た現実を想像できただろうか。当事者の彼が口を開いたまま硬直してしまうのも、そう考えれば無理もない話である。
 そのサーヴァントはどこまでも傲然とした、絶対的な王としてこの冬木の地に君臨した。それを召喚したことにより、一時は完全な勝利を確信した時臣であったが、あまりの扱いにくさに正直手を焼いている部分もあった。間違いなくギルガメッシュは全サーヴァント中、最強の力を以てして聖杯をその手に収めるであろう。だが彼の傍らにもはや自分の姿など存在していない。この契約すらおそらく容易に破棄し、まるで挨拶をするかのような気軽さで謀反を宣言するに決まっている。
 それでも時臣が王に従いつづけるのは、やはり一種のプライドが邪魔をしたからなのかもしれない。反旗を翻されることを承知していながら甘んじて臣下の立場を守りつづける行為など、他人から見れば愚かでしかないのだろうが。そういったわけで、彼らの主従関係はお世辞にもうまくいっているとはいえないものであった。付き従う時臣をギルガメッシュは嫌悪し、顔を合わせればひたすらに罵詈雑言を浴びせる始末。さらに機嫌が悪いときには手や足が飛んでくることもあり、マスターの心労が絶えることはなかったのだった。その大前提があった上でのこの奇妙な現状であるならば、呆けてしまうのもやはり当然だ。
 くすり、英雄王は雅に微笑んで擽るように時臣の顎を撫で上げる。さながらペットを手懐ける飼い主のようだ。息を呑み、そのまま動きを止める。これも何か思惑があってのことなのだろう、下手にこちらから行動を起こすのはまずい。彼もここ最近になって随分と王の扱いには慣れてきたのだったが、このパターンははじめてであり、つまり対処法がわからない。おとなしくしているが吉だとは何となく理解できるのだが。

「どうした、時臣。そのように押し黙っていてはわからぬぞ」
「……はい、……いえ、王よ、その……」
「ああ、そうか。言葉ではなく行動で示せとでも言うか? 我を自ら求めようとは貴様も随分と烏滸がましくなったものだな。……まあ良い。忠義を尽くす家臣にはそれなりの褒美も必要だろうと常日頃から思っていたところだ」

 わからない。いや、言葉の意味は理解している。だからこそより一層わからないのだ。自分を前にして珍しく饒舌なギルガメッシュを見やり、時臣はふたたび閉口した。普段どおりであったのならば、王の目の前で、王の言葉を遮るような真似をすれば必ずや彼の逆鱗に触れていたことだろう。だが今はどうだ。苛立ちを見せるどころか、臣下が言葉を発することを望んでいるようにすら感じられる。ただ、そこで勝手に意思を汲み取って解釈するのも躊躇われてしまうのだ。
 おそらくは性質の悪い冗談であろう。それを真に受けてこちらがボロを出す瞬間を蛇のようにぎらついた目で待ち構えているに決まっている。そうとわかっていたのなら、最初から誘いになど乗らなければよかったのだ。部屋で主の帰りを待っていたサーヴァントに腕を引かれ、その腿の上に簡単に腰を下ろしてしまうなど、自分らしからぬ失態である。あのとき、言いようのない異常が室内を満たしていたことになぜ気づけなかったのか。
 一人、悶々と悩み耽る時臣の滑らかな頬をギルガメッシュの掌がうっすらと撫でていく。考えてみれば、暴力をふるわれる以外に、こうしてやさしく触れられたことなどただの一度もなかったのではないか。それが常であったから何もおかしいことはないと甘受していただけで、本当は。

「また貴様は、愚鈍極まりない思考で脳を埋めおって。……それだからいつまでも我の寵愛に値しないというのだ」
「私は……王の、一介の臣下に過ぎませんゆえ」
「痴れ者が。相応の罰を与える必要があるな」

 瞳をきつく閉じ、身を竦ませたのはほとんど条件反射でしかなかった。冷たく投げかけられた言葉のあとに待っているものは痛み以外の何物でもないと、他でもない身体が知覚していたのだから当然の成り行きといえよう。しかし、時臣の想像したものはどれだけ待ってもその身に降りかかることはなかった。
 うっすらと瞼を開いた先にある王の表情はやはり不機嫌そうな色を浮かべてはいたが、そこには怒りも殺意もない。ただどうしようもないものを見るように、ほとほと呆れた様子であっただけで。今度こそ口を開こうとする。何か言おうと思ったわけではなかったが、何か言わなければならないと思い。ぐっと息を呑み込んで吐き出そうとした瞬間の唇は、しかし王の気の向くままに掠め取られてしまい、意味を成すことはなかった。
 はじめは柔く表皮を食むだけ。だがそれは徐々に本来の獣としての牙を剥き、角度を変えて奥深くを探るよう食いついてくる。思考は追いつかなかった。けれどただ、身を任せていることになぜか安心もしていた。貪欲に求める舌が我が物顔で口内を蹂躙する。綺麗に整えられた歯列をなぞられる感覚に背筋を電流のようなものが走ったが、気に留めている余裕もなかった。呼吸を奪う、それは殺人行為にも似ている。
 確かにこの英雄王はどこまでも強欲であり、望むものならばすべて手に入れなければ気が済まないといった性質であった。だが、そこに己の名が連ねられている可能性など時臣はただの一度たりとも考えなかったのであって、当然驚きもしたし、反面で喜ばしくも思った。彼が自分を求めているという、何とも不可解な事実を。

「んっ、ふ、……ぁ、……!」
「そんな表情もできたのか、……どれ、もっと近くで見せろ」
「王、……んんっ、息、が……は、」

 間近で頬を緩ませて悦ぶ顔など、見たこともなかった。舌を出せ、言われるがままに実行すると、後頭部をしっかりと引き寄せられてふたたび濡れた唇が合わさる。ギルガメッシュは目に見えてわかるほどにひどく興奮していた。まるで盛りのついた雄猫のようだと、考える余裕もある程度は生まれてきたところである。だが相変わらず呼吸はまともに行えない。王がそうすることを認めないのだ。逃れようと、離れようとすることも。それほどに厳重に拘束されているというわけでもない。少し力を入れれば時臣でも抜けられるほどのものであったはずだ。しかし思うように身体に力が入らず、結果として動くことができない。というのも本当は離れたくない言い訳であったのかもしれなかったが。
 そうか、ずっとこうしたいと望んでいたのは彼の方ではなく自分であったのだ。今ようやくそのことに気づき、時臣は少しだけ、身を乗り出して自ら唇を押しつけた。それが意外であったのか、ギルガメッシュは一瞬瞳の色を変えたが、また先ほどまでと同様に獲物を喰らう作業に戻る。そこにはまだ確たる感情が芽生えたわけではない。もしかするとこれはただの気まぐれであって、暇つぶしにちょうどいい遊戯でしかないと、たとえばそういった可能性も十分に有り得るわけで。

「……時臣。貴様、本当は理解しておるのだろう?」
「は、……い……」
「ならばそれ以上、くだらぬ思考に労力を費やすな。我に愛でてほしくば尚更のことだ」

 やはりこの男は唯我独尊、決して根本を覆すことのない筋金入りの英雄王である。だからこそ、その徹底した姿にまた、己は惹きつけられたのかもしれないと、今となってはそう思うこともできた。
 熱を帯びた身体を長い指が生き物のように這っていく。このような児戯では足りぬと訴えかける妖艶な視線に、一度火の付いた感情を鎮めることは不可能なのだろうと知り、言うまでもなくそのまま身を委ねた。



(120122)





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