甘い共犯 | ナノ




 自分と彼との間には一切の愛情などないと、おそらく、いや確実に断言できる自信が切嗣にはあった。それはもちろん、今まさに無造作に唇を押しつけておもむろに舌を差し入れようとしている綺礼にも言えたことであろう。幾度の夜を共に過ごし、あまつさえ肌を重ねたこともある。しかし彼らは、そういった行為に何の意味も見出しはしないのだ。かといって単に快楽を貪るのとも少し違う。そもそも敵対している人間同士、決して相容れることのない二人がなぜ人目を忍んでこのような禁忌を犯しているかなど、問いただしたところで理由が判別するわけでもない。当の本人たちにさえ理解の及ばない密会は、だが、確かに必要なことではあるのだ。
 年下の神父は、それこそ劣情を表に出すことはしないものの、血気盛んな若者には違いない。こうして自らに牙を剥く瞬間を目の当たりにしたとき、あらためて切嗣は実感させられる。歯の凹凸を確かめるようになぞる蛇のような舌先に自然と背筋が震え、吐息が洩れた。やんわりと押しのけようとする腕はしっかりと拘束され、もはや抵抗の動きも儘ならない。何を考えているのかわからないような仏頂面でありながら、やはりこの男は根本から貪欲であった。
 仮にも聖職者を名乗る身でありながら、そのような背徳は赦されるのだろうか、いや、もし自分が彼の信仰対象であったとしたならばそれは赦されざるを得ない話であると思う。だが、切嗣は実際に神でも、ましてや正義の味方でもない。そうした取り留めもない質問を投げかけること自体が不毛であることを彼は理解していた。だからこそ、二人の間に会話は少ない。口を開けば罵り合い、果ては殺し合いにまで発展してしまう間柄である彼らには何より沈黙が似合っていた。

「神は私を信徒と認めないのだろうな」
「っ、……何を言うかと思えば、今さら」
「考えてもみろ。今宵は他でもない我が主の聖誕祭だ。それが祈りを捧げるべき祭壇で貴様のような男と泥にまみれようとは、さぞや遺憾なことであろう」

 当然のように自分のことは棚に上げてそのような戯言を吐くものだから、切嗣としては一度その頬を殴ってやりたいとさえ思う。しかし、こうして冗談めいた台詞を己に向かって言い放つ綺礼の姿は滅多にお目にかかれるものではなかった。彼が自主的に言葉を紡ぐことすら珍しいというのに、一体どういった風の吹き回しなのか。
 解放された唇をコートの裾で乱暴に拭い、切嗣は息を零す。教会の壁高く、備えつけられた大きな窓から差し込んだ月光が、ちょうど祭壇に身を凭れさせた自分と、その肩に手を置く彼へとスポットライトを浴びせている。それはまるで神への反逆者を晒し上げにするかのようで、先ほどの綺礼の言葉もあながち間違ってはいないのかもしれないと、どことなくおかしそうに微笑を洩らした。
 逆にそれをおもしろく思わないのは笑われた相手の方である。不機嫌そうに眉を顰められるかと思えば、よもや嘲笑されるなどと。しかもあの衛宮切嗣に、だ。綺礼の腹の虫はどうやら収拾もつかず暴れ出しそうな勢いである。だが、簡単に怒りを露呈させてしまうのもそれはそれで気に入らない。なにしろ言峰綺礼という男は、常に目の前の男より優位でありたがった。己の前で成す術もなく崩れ落ちるその身体こそ、陵辱のしがいもあるというものだと、実に歪んだ思考を持ち合わせていたのだ。
 だからこの状況は、綺礼からしてみれば絶対に許されないそれである。思い立ったがそのまま。カソックの袖口から忍ばせた黒鍵の鋭い刃を瞬時に伸ばし、一瞬の間のあとにゆっくりと、それでいて深く、動きを封じられた切嗣の肩口を鈍く光る刀身で貫いた。しかし、先ほどまでの生温い空気など一蹴されてしまうほどの衝撃を受けてもなお、切嗣は僅かに呻いただけでたいした反応も見せない。彼らにとってはどうしようもなくそれが日常の一環であったのだから、驚きを見せる理由も見当たらないというものだ。加えて、痛覚に疎い彼がこの程度でどうにかなるはずもない。
 黒で統一された切嗣の衣服をじわじわとどす黒い赤が染め上げていく光景は、なかなかそそるものがある。ずぷり、肉を裂く音を立てて黒鍵を抜き去った刹那、眉間に皺を寄せて苦悶の表情を露わにする彼に喉が鳴った。けれど。それだけで事足りるほど、綺礼はよくできた人間などではない。

「う、あっ……ア、おい、何を、っ」
「どうせ反旗を翻すのだ、徹底的にやらねば意味がない」
「やめ、……は、ぁ、……言峰ッ……!」

 血、血、血。視界が赤に染まる。夜の冷えた空気に混じるは、戦場を彷彿とさせる鉄の錆びた匂い。それは切嗣の、綺礼の、脳を身体を内側から支配する麻薬にも等しい。ぽっかりと空いた穴を埋めるようにふたたび刃物を挿し込み、骨は傷つけないよう丁寧に皮膚を削るだけ。綺礼の代行者としての、洗練され、卓越された腕であったからこその賜物とも言うべき紙一重の技。それはもはや芸術と呼ぶべきであったかもしれない。
 漆黒を塗りつぶす鮮血は綺礼の頬に、衣服にも飛び散り、キャンバスを汚す絵の具のようでもある。首からぶら下げた黄金に輝くロザリオも、今はその身を下賤な血液で穢された。よもや言い逃れもできぬ裏切りであっただろう。指に絡ませるように掴み上げたそれにねっとりと舌を這わせ、ごくり、嚥下するその様をぼんやりと見つめる切嗣の瞳はすでに焦点も合わないほどに揺らいでいる。
 堕落した聖職者など、野に放たれた獣でも堪能するが似合いだと、そう、神の声が聞こえたような気がして。べったりと汚れた赤い掌で切嗣の両の頬を包み込み、綺礼は祝福の口付けを送る。

「これでお前も同罪だ」



(111225)





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