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 遠坂家の小さな姫君が身を丸くしてベッドに入り込んだのは、午前一時を回った頃であった。結局彼女は父の心地よい腕の中で眠ってしまい、そのまま彼の手によって部屋まで運ばれてきたのだったが。
 自室に戻ったあとも、時臣は腕に抱いた凛の温もりを忘れることができなかった。それは一般の父親からしてみれば当然のことである。己の子供というものは、やはり何を差し置いても愛しくて仕様がない。だが本来ならばできるだけの愛情を注いでやるべき存在の凛も、魔術師としての観点から見ればただの家督でしかないのだ。余所の家へ養子に出すことになってしまったもう一人の娘も、結局は魔術師の家に生まれ、類まれなる素質を宿したがゆえに、こうした未来を辿ることになってしまった。それが幸か不幸か、時臣にはわからない。
 彼には人間として、父親として、自分がどうするべきであったか、いまだに考えても理解できないことの方が多い。時臣の父は、徹底した遠坂の魔術師であった。だからこそこうして思い悩んでしまう自分は未熟であると、何度も葛藤を繰り返すのだ。人間がもつ当たり前の感情に困惑する自身が、中途半端で一番許すことができない。そうやって今まで何度も言い聞かせてきたはずなのに、妻を、娘を、大切な家族を完全に切り離して考えることなどできるはずもなかった。

「王よ。日頃の娘の度重なる非礼、どうぞお許しください」
「……ふん、また貴様はつまらぬことを。我はあれについて別にどうという感情も抱いてはおらん。お前のような父親よりはよほどできた娘であるからな、時臣よ」
「……重々、承知しております」

 父親を自らの我儘に付き合わせてはならないと心得ている凛は、彼女にとって母親以外の身近な存在へと興味を示すようになった。具体的に挙げれば、ギルガメッシュや言峰綺礼がそうである。
 時臣ははじめ、当然のことながらそれをよしとはしなかった。弟子の綺礼ならばまだしも、王の中の王である己のサーヴァントをあろうことか遊び相手に任命してしまうとは。我が娘ながらとんでもないことをしでかしたと、あのときの彼は頭から冷や水を浴びせられたような心持ちであった。どんな処罰も甘んじて受けようと、そう心中で肝を冷やしつつ重い足取りで英雄王の元まで向かったのだったが、彼の返答は時臣の予想したものと大きく違っていたのだった。あのとき受けた衝撃は今でも忘れることができない。
 というのもあって、王が何と言おうと時臣は娘の無礼について事あるごとに頭を下げていたのだ。凛がこのような行動に出たのも元を辿ればきちんと教育してやらなかった己の責任である。だからといって娘と思うように遊んでやることもできず、つまりそれはギルガメッシュに迷惑をかけるということになり、ますます時臣の苦悩は深まるばかりであった。
 しかし当の英雄王からしてみれば、そのようなことを憂うこと自体が笑止千万に値するというわけである。己も退屈な日々を過ごしている身だ、ギルガメッシュにとって凛の存在はそんな毎日に刺激を与えてくれるスパイスに他ならない。時臣が思うよりもずっと、彼の娘は英雄王の寵愛を受けているのであって、だが元より頭の固い彼がそれを理解することはない。王はむしろ、そんなマスターに対して苛立ちを覚えていた。

「しかし、一介の人間の、それも私の娘が」
「時臣。貴様はそんなにも我の怒りを買いたいというのか」
「いえ、そういうわけでは……私はただ、」
「ほざくな。少し黙れ、雑種」

 いつまでも言い訳がましく言葉を紡ごうとする時臣を、いい加減に見ているのも腹立たしくなったのだろう。それまで我が物顔でソファに腰かけていたギルガメッシュは立ち上がり、深々と下げられた時臣の頭を掴んで無理矢理宙を向かせ、薄い唇を噛み千切るかの勢いで歯を立てた。
 びくん、彼の撫で肩が跳ねる。ギルガメッシュの鋭く、人間離れした犬歯が食い込み、ぬるりと血液が滴り落ちる感覚がした。痛みもさながら、唇と唇が触れ合い、互いの体液が行き交うという口付けそのものに時臣は眉を顰めたが、しかし抵抗などしようものなら何をされるかもわからない。ここはおとなしく好きなようにさせておくのが常套だとは思われる。頭では理解しているのだ。それでもプライドの高い貴族が屈辱を強いられるのは、いくら英雄王が相手だとはいえ舌を噛み切りたくなる所存である。
 時臣の表情が嫌悪に歪んだのを見て、そこでようやくギルガメッシュは絡ませていた舌を解放してやった。突然酸素を肺に取り込んだことで咳き込む彼のことなど無視し、気儘な王はその体躯を絨毯の敷き詰められた床へ投げ捨てる。何が王の怒りに触れたのか、結局まだ時臣は理解できていない。ぼうっとする頭の奥で思考を巡らせてみるも、答えが見つかることはない。
 それだからこの男はいつまでも愚かしいのだと、荒い息を吐き出す時臣の腹を踏みつけてギルガメッシュは思った。と、同時に、あの娘も成長すればこの男のように退屈な人間に成り果てるのだろうかと考え、いかに魔術師という存在が愚かな生き物であるかと思い知らされた。

「時臣師、失礼いたします。アサシンからの伝令で……」
「き、れい……っ、ぐ、あ」
「……アーチャー、何を」
「丁度よいところへ来たな、綺礼。どうやら時臣の奴め、娘の非礼を己の身体をもってして詫びるらしい。どうだ、貴様も我と愉悦を分かち合うか?」

 そこへ綺礼が偶然に現れたのも、あるいは必然であったのかもしれない。無様に転がされた己を弟子の双眸が見下ろしている、たったそれだけで時臣の脳内は色を失くし、もはや思考するにも至らない。
 ギルガメッシュは確かに退屈の象徴ともいえる己のマスターを虫けら同然にも思っていた。だがこうして、彼の表情が人間に戻る瞬間。そのときだけは彼を自らの玩具として扱ってやってもいいと思うこともあった。最後まで退屈極まりない男でありつづけるならば、せめて一時でも己を興じさせるべきである。こうして冬木の地に英霊として自らを召喚したのならば尚のこと。
 一方、歪な唇で語りかけてくる英雄王を一瞥した綺礼は、何をするでもなくただ眼下の導師に目をくれてやっただけだった。それは興味であり、無関心でもあった。哀れみでもあり、慈しみでもあった。綺礼はそうした師の姿を前に、不思議と気持ちが昂揚していく自身に戸惑いもしたが、他でもない、それこそが己の願望であったのだと瞬時に理解する。
 あの、凛の小さな掌を握ったとき。××してしまいたい衝動に駆られたそもそもの元凶は、彼女ではなく、この男にあったのではないかと。今まさに苦しんでいる時臣を目前にして己が抱いている歪みきった感情が、何より神に仕える自身にあるまじき劣情であることを理解してなお、彼はすでに答えを見出していた。

「導師を解放しろ」
「ほう? して、お前はどうするつもりだ」
「さてな。ただ、私は貴様とは違う。権威を振り翳すだけの王に真の征服など望めないことをその眼に焼きつけておけ、英雄王」
「……さすがは我の見込んだ男よ、綺礼。好きにしろ」

 それまで容赦なく腹部を踏み躙っていた足が離れ、ふらつきながらも懸命に立ち上がろうとする時臣を、しかし綺礼の腕が阻止する。こんなときにでも娘の笑顔が頭を過ってしまう自分はやはり、魔術師として未熟であるのだろうか。
 ギルガメッシュの下卑た笑い声が耳の奥に残って離れない。己を見下す弟子は相変わらず無表情であるがゆえに、何を考えているのかも理解しがたい。しかし、何をしようともこの状況がもはや覆ることはないのだと、それだけは時臣にも理解できた。
 やはり凛には、彼らに必要以上に近づかないようにと強く言い聞かせておくべきだろうと、あらためて頭の片隅でそう思い、それから哀れな貴族は思考することをやめた。綺礼の首に下げられた光り輝くロザリオが、これから行われるであろう背徳を決して赦しはしないと囁いている。



(111211)





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