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 財布を片手に冬木市街を練り歩く神父が一人。綺礼は修道服の懐から一枚の紙切れを取り出し、あらためてそれに目を通した。記載されているのは、今晩の夕飯に使用する材料の一覧である。師の妻である葵から、街に出るのであればと、ついでに頼まれたのが一刻ほど前のことだ。
 時臣はそうまでして妻の言うことを鵜呑みにせずともよいと、わざわざ綺礼に助け船を出したのだが、弟子として彼の家に世話になっている身だ、できるかぎりの協力は惜しまない方向性でありたいというのが綺礼の考えであった。もともと根が真面目なこともあり、彼にはそうするより他に恩を返す術がわからない。自分のできることであればやはりすすんで名乗りを上げるべきであろう。
 とはいえ、綺礼も教会に所属する神父である。一般的な家庭での常識というものをあまり理解できていない彼には、そもそも買い物をするという行為が初めてのことであった。生活に必要最低限のものはすでに用意されてあったし、欲心のない綺礼が何かを求めることなど生まれてこのかた一度もありはしない。成人し、結婚してからもそれが変わることはなかった。
 綺礼はそんな己を恥じているわけではなかったが、いざそういった状況に立たされるまで気づくことすらできなかったのだ。葵にメモを渡された瞬間はどうということもなかったのに、街に降り立ったそのとき、ようやく自分がどういった現状におかれているか理解したのである。
 さて、どうしたものか。とりあえずは道路の向かい側に建っている大型のデパートへと足を踏み入れてみることにする。一階部分は野菜や肉をはじめとした生鮮食品売り場となっており、適当に歩き回りでもすれば目的のものは見つけられそうな気がした。と、小さく弱い力で綺礼の服を掴む者がある。後ろに引っ張られる感覚に不思議に思って振り返ってみると、そこには意外な人物が仁王立ちしていた。

「おや、凛じゃないか。学校の帰りかな?」
「こんなところで何してるのよ、綺礼」
「君のお母様から夕飯の買い出しを頼まれてね。勝手がわからなかったもので、すぐ目についたここへ入ったというわけだ」

 幼い少女相手にもわかりやすいよう、綺礼は一言一言を丁寧に告げてやる。小学校の制服を身につけた凛は普段とはまた違ったように見えたが、彼に対する不躾な態度は相変わらずのようであった。だがしかし、凛が両親の前では決して見せないような粗雑な姿を自分の前でだけ見せるのを、綺礼は好ましくも思っている。
 尊敬する父と愛する母の前では完璧なまでに「遠坂凛」を演じる彼女は、なかなかにおもしろい。この歳でそこまでの思考ができるということはやはり、遠坂の血が色濃く受け継がれている証拠なのかもしれない。魔術師の家に生を受けた性だろうか、綺礼には理解の及ばないことも多々あったのだが。それを抜きにしても、凛という少女の観察をする行為は彼にとってひどく有意義なことであった。

「……そう。じゃあ、つ、付き合ってあげてもいいわよ」
「付き合う、とは?」
「お買い物に! あんただけじゃ、ほら、不安だし? それにこういうのはわたしの方がよくわかってるもの」

 早口で一気に捲し立て、一瞬その場から姿を消したかと思うと、凛は入り口に積んであった買い物かごを携えて綺礼の元まで戻ってきた。さながら小さな妻のようで何だか微笑ましい。葵と連れ添って買い物をする凛の姿を想像して、綺礼は少しだけ笑ってみせた。滅多に見せない仏頂面の男の笑みに彼女はあからさまな動揺を見せたが、すぐさま家訓を頭に思い浮かべて我に返るあたり、きちんと遠坂の娘だという自覚があるらしい。
 どんなときも余裕をもって優雅たれ、か。とはいうものの、常に優雅でありつづけるなど到底不可能な話ではなかろうか。特にこの少女は、まだ幼いこともあって感情の起伏も大きい。それが本来のこの年頃の子供の性質に他ならないのだから、とりたてて罰することもないのだろうが。父の背中を見て育ってきた凛は、それこそこんなことを言われれば傷つくに違いない。もしかするとそれもまた、試してみる価値もあるやもしれないけれど。
 どこか頭の片隅に時臣の姿を思い浮かべ、しかしすぐに綺礼は平静を取り戻し、自然な動作で凛の小さな手をはぐれないようしっかりと握りしめる。ぎゅう、返された力は僅かなものだったが、彼にはそれで十分だった。

「では、私にお付き合い願えますか。小さなお姫様」



(111211)





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