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 この冬木の地に召喚されてからというもの、英雄王は実に退屈な日々を過ごすことを余儀なくされていた。最初の数日間こそ、自ずから街を散策し、そこへ住まう人々の観察などをすることによって無聊を慰めることはできていたのだが、だからといって特別彼のお気に召すような出来事があったわけではない。せっかくアーチャーのクラスを得て現界したのであるから、マスターによって自由を制限されることなく、好きなように、気ままに羽根を伸ばすつもりでいたのに、これではまったく意味のないことである。かといって、肝心のマスター自身が退屈を象徴するような男であるのでは、もうどうしようもない。
 そういったわけで、ギルガメッシュは時臣から与えられた一際豪勢な一室で、昼間から酒を呷る以外の愉しみを知る由もなかった。まったく、王が暇を持て余しているにもかかわらず臣下の人間が何もしようとしないとは一体どういう了見であるのか。ワイングラスを片手に革張りのソファへ寝そべり、ギルガメッシュは大きく欠伸をする。英霊である彼には人間の持ち合わせる、いわゆる三大欲求という概念が存在しない。つまり食事も、睡眠も、性交も、生きていく上で必要不可欠といったことはないのである。それでもあまりに退屈でたまらないときは、こうして自然と欠伸が出てしまうらしい。
 二度目の欠伸をしようと僅かに口を開いた瞬間だった。何者かの気配を扉の向こうに感じ、ぴくりと眉を上げる。それはマスターの時臣でも、ましてや彼の弟子の綺礼でもなかった。王の占拠する部屋と知っていながら、こんなにも堂々と、臆すこともなく正面突破を試みる愚か者など、彼はたった一人しか知らない。

「こんにちは、アーチャー」
「……誰の許しを得て我の部屋に立ち入る、雑種」
「わたしはザッシュじゃないって、何回言ったらわかってくれるのよ!」

 こっそりと、隠れるような仕草で扉の隙間から顔を覗かせたのは、まだ年端もいかないツインテールの少女の姿である。遠坂凛。何を隠そう、遠坂時臣の実の娘であった。ギルガメッシュもこの無礼極まりない小さな少女については認知していた。というのも、彼女がこうして王の部屋を訪れるのはこれが初めてではない。
 最初は広い屋敷の中、うっかりここへ迷い込んだらしかったのだが、きらきらと輝く王が放つ黄金のオーラにどうやら強い関心を抱いてしまったらしく、それ以来こうして頻繁に足を運んでいるのだ。いかにも子供らしいといってしまえばそれで終わりである。一応は、時臣の方からも何度か言って聞かせたようだったが、普段は聞き分けのいい凛もこのときばかりは父の手に負えなかったらしい。
 ギルガメッシュはのちに時臣から娘の非礼を詫びる謝罪の言葉を受け取ることになったが、実のところそんなことはどうでもよかった。むしろ、不機嫌極まりない英雄王が、ここのところ楽しみにしていることといえば凛の訪問以外には有り得ないのである。とはいえ、プライドの高い彼がわざわざ幼い少女にそのような言葉をかけてやることはなかったのだったが。

「ねえ、アーチャー! お父様からご本をお借りしたの。読んでくれる?」
「なぜ我が貴様ごときのためにそのような徒労を」
「いいでしょ、ギルガメッシュ……ねえってば」

 大きく分厚い魔道書を胸に、じい、つぶらな瞳が英雄王を見据える。凛のたたずまいにはやはり父の面影を感じる。魔術師としての絶対的な誇り。常に優雅であること。胸元に咲いた真紅のリボンは時臣の身に纏うスーツと同じ色をしていた。白い肌に、よく映える。
 ようやく上体を起こしたギルガメッシュはグラスの中のワインを飲み干し、空になったそれをテーブルへと置くと、凛の小さな身体を軽々と抱き上げていつものように己の膝の上へと乗せてやった。王の中の王たる彼が決してやってのけないようなことを、たとえば時臣が目にしたとすれば、途端に絶句してしまうのだろうが。楽しそうにはしゃぐ凛を眺める英雄王の視線は、どこか慈愛の念すら含んでいるようにも見えた。

「いいか? これはお前だけに与えられたいわば特権のようなものだ。他人には一切口外するなよ、凛。……さて、魔術師とは元来……」



(111211)





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