落椿 | ナノ




 女のように艶めいたその唇から吐き出される悲鳴にも似た喘ぎは、私からしてみれば小鳥の囀りも同然だった。こんなときにすら、彼の頭の中では遵守せねばならない家訓が渦巻いていることだろう。ふとした瞬間に我に返り、息を呑んで声を押し殺す様子を見れば容易く想像もできる。己の弟子にあたる男にこのような屈辱を強いられ、それでもなお自らの姿勢を崩さないあたり、さすがは貴族といったところだろうか。
 というより、彼は認められないのかもしれない。手首を縫いつけられ、身動きを封じられ、そうした上で触れてくる見知らぬ手の動きに快感を覚えている現状など。当然といえば当然である。何も私は、師の合意を得て行為に臨んでいるわけではないのだ。言ってしまえば強姦と捉えられても何ら不思議はない話であって、だからこそ時臣師が抵抗の動きをやめないのも無理はない。
 彼は確かに私を拒んでいた。いや、拒もうとしていた。押し倒された瞬間の表情は今でもはっきりと思い出すことができる。如何なるときも優雅であることを心がけている彼には決して有り得てはならないほどの動揺と焦燥が入り混じったその顔が、何より私の心臓を鷲掴んで離さなかった。
 言葉が通じるとでも思ったのか、最初のうちは私に向かって、やめなさいだの離せだの、とにかくそういった類の幼稚な戯言を投げかけていたのだが。やがてこれが冗談などではなく、至って本気であることを知って、いよいよ危機感でも覚えたのであろう。だが、師の軟弱な身体が暴れたところでどうということはない。彼の娘が駄々を捏ねるのをやんわりと諌めるが如く、私は自分でも驚くほどに難なくその肢体を組み伏せたまま、強引に唇を押しつけたのだった。
 そもそもなぜ時臣師に性交を強要しようと思ったのかと聞かれると、実のところよくわからない。彼にそれほどまでの好意を抱いていたわけでもなく、ましてや同性の、年上の男を相手によくも興奮できたものだと、いまだに実感も湧かない。こんなことを言えばさすがの彼でも怒りを露わにするのだろうか、しかしすでにその余裕も失せてしまったところだろうか。
 私を見上げる視線はひどく切なげで、瞳に溜まった水滴がぼろぼろと止め処なく頬を伝い落ちていく様は哀れである。接吻を与えれば弱々しく首を振るが、心の底から嫌がっている素振りには見えない。それが彼の素直な心情であるのか、身体を弄られるうちに目覚めた本能であるのか、私には到底判別などつかなかったが、もはやどうでもよかった。

「そんなにも気持ちのいいものですか、男に蹂躙される感覚は」
「ち、が……ぁっ、ふ、私、は……んああっ!」
「ならばなぜ私を求めるのか、お聞かせ願いたい」

 本来ならばそのような涙に濡れた表情すら、私には見せたくもないのであろう。眼前で逃がさぬよう視線をぴったりと合わせると、師は顔を背けようと躍起になった。今さら突きつけられた現実から逃れようなどと、つくづく往生際の悪い話である。この空間には最初から私と彼の二人きりで、邪魔立てをする者も救いの手を差し伸べてくれる者も存在しないのだから、早々に諦めるべきであるのに。
 この遠坂時臣という男は妙なところで意地を張るもので、そうであるからこそ己の使役するサーヴァントにまでも退屈だと罵詈雑言を吐かれる始末なのだ。何を言われたところで自らの行いは徹底しているあたり、そこに貴族としてのプライドというものが存在しているのだとは思う。どのみち私には理解しがたい感情であるが。
 しかし、我ながら意地の悪い問いかけをしてしまったものだ。今の時臣師にまともな思考は儘ならない。つまるところ、彼の行動には一切の思慮など伴わず、たとえていうならばそれこそ野性の本能に近いものが現在の彼という器を司っていると考えていい。ともなれば、当然そこに理由など生じるわけもない。
 陶器のように滑らかな肌を指先でなぞり、それを上から辿るよう舌を這わせていくたび、肢体が震えるのも。太腿をねっとりとした手つきで撫で上げ、ひくつく孔へ異物を押し込んでやると、嬌声が洩れるのも。何一つ、師の意思とは無関係の生理現象でしかないのに。

「知る、わけ、ないだろうっ……私だって、わからなくて、き、君が、あっ、そうやって、さわる、から」
「……もしやとは思いますが、陵辱されている自覚がない、と」
「……? ふ、は、ああっ、ん、やめ、動かすの、は、ひい……」

 どこまでも愚かな男だと思った。なるほど、あの英雄王に邪険に扱われるだけはあるほどに愚かしいと、しかし、それゆえに愛しいと、そのとき私は考えた。もはや両腕を拘束する必要はなく、時臣師は完全に抵抗の動きを止めてしまっている。それどころかカソックの裾を掴み、まるで娼婦にも似た縋りつくような視線をこちらに投げかけてくる有様だ。
 無意識なのか、無自覚なのか。それにしてはあまりにも危機感が欠落している。元より男色の気のない私にもそういった意味で捉えられてしまうような、危うく儚げな彼の姿は、だが同時に極上の馳走でもあるように思えた。ごく自然に喉が鳴ったことに気づいたのは、数秒後の話である。自覚できていないのは私も同様だったか。今ならば認められよう。乱れきった師の姿を前にして確かに気分が昂揚していると。

「ッ、あ、ああっ、あ、……! きれ、い、ひぎ……っ、ふ、あ、いた、い、いたい」
「……心配せずとも、直に快楽へと変わるでしょう、」
「いあっ、あ、う、抜い、……あああっ、や、いや、あ!」
「あまり下品な声で喚かないでいただきたい。興を殺がれます、師よ」

 わざと突き放すような言葉で叱咤すれば、内部の締め付けが強まったような気がして思わず口元に笑みが零れた。いわゆる素質というものだろうか。何にせよ、彼には元より内に秘めた才能が存在していたと、そう解釈してしまってもあながち間違ってはいないらしい。腰を掴み、揺さぶりながら思う。食い込ませた下半身は肉を抉るよう、私の意思を離れて勝手に暴走を始めるが、放置しておいても構わないだろう。むしろ師はそれを望んでいるに違いない。先ほどの言葉とは裏腹に自ずから腰を揺すり、快楽を求め動く様はすでに遠坂時臣の原型を留めていなかった。
 悦ぶべきか、愛しむべきか。いまだ己の愉悦を見出せない私には辿り着くことのできない答えであろう。しかし、判然としていることもある。自らの師の、苦しみ嘆く姿こそが私の欲すべきものの一つであると。この際、どうせ後には退けないのならば。ごくり、生唾を呑み込み、ゆっくりと時臣師の柔らかな首へ、まるで花を手折るかのように恭しく両手を添えた。



(111215)





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