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#綺礼が時臣のサーヴァント



 淹れ立ての紅茶に角砂糖を二つ落とし、ミルクを小さじに一杯。どうやら見かけによらず随分と子供舌であるらしいマスターは、窓際に立ち尽くしぼんやりと空を仰いでいた。冬木の地は驚くほど平和だ。この場所で聖杯を賭けた戦争が始まるなど、誰も想像できないくらいに。
 正直なところ、時臣はこの不自然な現状をあまり芳しく思っていない。偵察に誂え向きの己のサーヴァントから他のマスターの情報を逐一耳にしても、彼にはいまだに信じられないのだ。マスターもサーヴァントも、共に自分たちを含め七人全員出揃っていることは確かである。此度の聖杯戦争の監督役を担う神父がそう言っていたのだ、間違いはない。だがしかし、そのうちの誰一人として行動に出ようとしていないのもまた事実である。まるで、最初から誰も戦争を始める気など持ち合わせていないかのように。
 しかし、ならば自らが先に立って何かしでかしてやろうとは決して思わないのが遠坂時臣という人間だ。バトルロイヤルにおいては、一つ一つの行動を見極めることが非常に重要となってくる。勝利をもぎ取るならば尚のことだ。ここは迂闊な真似をせず、相手の出方を辛抱強く待つのが正攻法といえよう。
 そういったわけで、時臣は今までと何ら変化のない生活をここ数日の間、強いられる羽目になっているのである。本来ならばこのサーヴァントをできるだけ己から切り離し、行動を別にしたいところではあったのだが、こうも平穏な日々が続くとそのようなことも言っていられない。
 ぴったりと寄り添うように隣へと立ち、ティーカップを差し出す綺礼の表情は普段と変わりなかった。やはり自分はこの男が苦手だ。内心で嘆息し、それを受け取ると時臣は渇いた喉を潤すよう、一気に飲み干した。

「……何もそうして、四六時中私に付き従う必要はないんだが」
「しかし、マスター。それがサーヴァントたる私の役目でありますゆえ」
「そう言われると何も言い返せないな……」

 主人に従順、というのもまた少し違う。何より綺礼は感情の起伏が乏しいために、一体何を考えているのかマスターである時臣にも量りかねることが多いのだ。ただひたすらに黒い瞳でこちらを見据える彼には、どこか薄ら寒い感情を抱くこともあった。
 考えてみれば、時臣は綺礼をあまり得意としていないが、彼の方は自分をどう思っているのだろう。こうして常にマスターの傍を離れないという見上げた忠義ぶりは、たとえそれがかたちだけのものだったとしても、不本意では成し遂げられない偉業であると時臣は感服もしている。ならば少なからず、好意のようなものは抱いているのかもしれない。綺礼を見ている限りではおおよそ見当もつかない話であったが、あながちその考えは間違ってもいないのだろうとも思う。
 やたらと触れ合いを求める綺礼の行動は、魔力供給の範疇を明らかに超えている。自分より背も高く体格もいい彼に背後から抱きすくめられてしまえば、時臣は簡単に身動きがとれなくなってしまうのだ。確かにこの男は英霊で、人間である自分を遥かに超越する存在ではあるが、あくまで主導権を握るのはサーヴァントではなくマスターでなくてはならない。そうでなくては示しがつかない。由緒正しい魔術師の家に生まれた時臣だからこそ、余計にそう感じてしまうのも無理はなかった。しかしだからといって、綺礼がそうした事情を理解することもまた必定ではない。

「ッ……やめなさい、アサシン」
「声は悦んでいるように聞こえますが」
「わ、私を愚弄する気か! いいから離せと……」
「でしたら、それを用いて命ずればよいでしょう」

 一瞬でも声を荒げてしまった自分に、余裕が欠落してしまっている状況を悟る。ここで取り乱して冷静な思考を失えば元も子もない。それこそ相手の思うつぼであり、完全に掌の上で転がされてしまうことになるだろう。綺礼からしてみれば、すでに時臣はおもしろいように自分の思い通りに動いてくれていたのだが、この際それは黙っておくことにする。
 うなじを舌で舐め上げると震える身体は、生まれ落ちたばかりの小鹿のようにひどく頼りない。元より貧弱な時臣の体躯が、より一層細く、小さく見えてしまう。今、綺礼の腕の中にあるそれは、一流の魔術師であると同時に脆弱な人間でもある。彼の力をもってすればいとも簡単にその命を奪うこともできるだろう。
 だが、それと同じくらい容易く、マスターはサーヴァントの心臓を射抜くことができることを綺礼は知っていた。その鍵となるのが、時臣の手の甲で存在感を放つ令呪の存在である。命令権を発動できるのは三度までと、回数に限りはあるものの、マスターはそれによってサーヴァントの命を握っているに等しい。もちろん使い道はそれぞれだが、どうにかしてこの戦いに勝利したい時臣が無暗に令呪を使用することはないはずである。制限を強いられている以上、よほど重要な局面でない限り行使は控えるべきだと、事実時臣はそれをその手に宿した瞬間から誓いを立てていた。
 その心を知ってか知らずか、綺礼は敢えてそう問いを投げかけたのである。時臣が己の手から逃れようと藻掻く様はとても愛おしく、そうして告げられた言葉に唇を噛んで声を失う様はより美しく感じられた。元より言峰綺礼という男の感性はひどく歪みきったものであった。だからこそ、仕えるべき主が苦悩する様子をできるだけ近くで堪能することができたなら、それが綺礼にとっての幸福に違いなかったのだ。
 右手の令呪を見つめる時臣の瞳はやや焦燥の色を帯びているようにも見える。当然のことながら、このような些事で貴重な令呪を消費するわけにはいかない。わかっている。わかりきっているのだ。なればこそ、サーヴァント如きにすべてを見透かされている今の状況が悔しくて仕方がないのだろう。そうした時臣の嘆きは綺礼への褒美でしかないというのに。

「……令呪は、使えない。だが君は、あくまで令呪による命令しか聞き入れないと、そう言いたいのか?」
「さて、そのようなことは一度も。ですがマスター、私を拒むのであれば相応の力が必要であると、ご理解はいただけているでしょう」
「綺礼……、……っ、ん、う」
「……察しがよろしいことで」

 色のない綺礼の表情が愉悦に染まり、唇が嗤う。頭で理解するより先に身体が反応してしまえば言い逃れもできまいと、時臣もすでに諦めたのだろう。もうこのサーヴァントが現界してしばらく経つ。大体のことは彼にも把握できていた。それに、純粋な魔力供給と信じて疑わなければ別段苦痛というわけでもない。こんなことをせずとも、時臣ほどの魔力を潜在的に秘めた者ならば、己のサーヴァントに十分な魔力を与えることができているはずだという事実からは目を背けて。
 結局は、綺礼に魅せられてしまっているのだ。生身の肌と肌がぶつかり合う瞬間、あらためてそれを実感してしまう。認めたくなどはない、断じて。そうであるから時臣は綺礼との接触をできるだけ避けたいと思う。彼の願いが狡猾なサーヴァントに聞き入れられることはまず有り得ないが。
 腰を抱く腕に力が入る。つい数刻前までかっちりと着こなしていた自慢のスーツも崩れ、膝は今にも折れてしまいそうなほど弱々しく震えている。耳元で囁く甘い声が脳髄を蕩かすようで、途絶えそうな理性を懸命に繋ぎ止めるので精一杯だ。綺礼はこの、誰よりも完璧であろうとする男が自分の手に堕ちていく瞬間を何よりも美味だと感じる。身体が慣らされてしまったのだと、そう言ってしまえばそれまでの話だが、そうだとしてもあの頑なだった時臣をここまで解したのは他でもない、自分であるのだから同じことだ。
 かぷり、一切傷のない耳朶へ静かに歯を当てる。滲んだ血液は僅かに甘い。昼間から己のサーヴァントに唆され、挙げ句の果てには自ら進んで不埒な行為に溺れようなどと、やはり彼はマスターに不向きのようだ。そうしてその手に刻まれた紋様をも奪取できれば、本当の意味で掌中に収められように。それが叶わぬ願いであればこそ、綺礼の心は火花が燃え上がるように歓喜するのだ。



(111213)





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