さすれば等しい罰を | ナノ




#もし時臣が携帯を受け取らなかったら



 綺礼は子供というものを昔からあまり好かない。喧しく、何より大人の言うことを素直に聞き入れないからである。時臣の娘の凛は、父や母の言いつけをきちんと守り、類まれなる素養を授かったおかげもあって、その歳にしてはたいした魔導の心得を身につけてもいた。正義感が強く、クラスでは頼れるリーダーといったところか。幼いながらにしてひどくよくできた子供であった。
 しかし、そんな彼女でさえも最近では父と滅多に遊ぶことのできない悲しみを時折表情に浮かべるほどである。迷惑をかけたくない一心で自らの心の内を曝け出すことはなかったが、同じ年頃の友人たちが両親と楽しそうに遊んでいる光景を見つめるのはさぞつらいことであったろう。
 そんな小さな凛の苦悩を遠目に、綺礼は食事の入った器をのせたトレーを運びつつ考える。あの師も、娘のようにもう少し聞き分けのいい人間であればよかったのにと。

「時臣師、お食事をお持ちしました」
「……綺、礼……」
「どうかされましたか、顔色が優れないようですが」

 平然と、何食わぬ顔で開けた扉の先。豪奢なベッドの片隅で時臣は膝をついて蹲っていた。綺礼はそれを一瞥しただけで特に表情を変えることなく、静かにテーブルへ皿を置く。こちらを見つめる時臣の瞳は何か言いたげだ。だがひたすらに沈鬱で、重い口を開こうとはしない。先ほど彼の名を呼んだだけで精根尽き果ててしまったような有様である。眼の下は窪み、頬はこけ、髭は伸び放題。さながら病人のように変わり果てた師を前にして、綺礼が労りの言葉をかけることはそれきりなかった。当然といえば当然である。彼をそうまでして弱らせたのは他でもない、綺礼自身であったのだから。
 修道服のポケットの中には、結局時臣の手に渡ることのなかった携帯電話が今も眠っている。愚かにも彼は自分の忠告を無視し、やはりそれは必要ないと声を大にして拒絶したのだった。取り返しのつかないことをしてしまったと、後悔したときには何もかもが遅く。時臣が次に瞳を開いたときにはすでに、その首には戒めの鎖が繋がれていたのである。
 綺礼は何も冗談を言うような男ではなかった。彼の口から発せられる言葉は常に確定事項でしかない。笑って済ませられるような戯言は元より口にはしない性質なのだ。結果として、彼の言葉どおり、時臣は鎖に縛りつけられることとなってしまった。もちろん妻や娘の与り知らぬところでの出来事である。そういった立ち回りは綺礼もうまくやっていたため、今のところは事が露見せずに済んでいるのだが。時臣から言わせてみればまったくそういう問題ではない。

「……いつになったら、これを……」
「さて。私の気が済むまで、とでも言っておけばよろしいでしょうか」
「っ、ふざけたことを……それが師に対する態度なのか、」
「ならば外してみればいいでしょう。貴方ほどの魔術師であればその程度の拘束具、容易に破壊することが可能かと思われますが」

 間違ってなどいない。実際、時臣は魔力を制限されているわけでも何でもない状態であったのだから、いつでも魔術行使が可能なのである。ならばなぜそうしないのか。邪魔立てをしているのはやはり、遠坂家の家訓に違いなかった。
 こんなことで焦り、狼狽えているようでは後に控えた聖杯戦争を乗り切れるわけもない。この不逞の弟子とて、自らの駒として存分に働いてもらわねばならぬ存在だ。彼をどこまでうまく扱えるかどうかが要となってくるというのに、逆に掌の上で転がされるようなことなど決してあってはならない。何より時臣の、一流魔術師としてのプライドがそれを許さない。どう見ても劣勢である今の状況を、単なる魔力ではなく、自分自身の力をもってして打破せねば意味がないのだ。
 だからこそ時臣は動けずにいた。それに、おそらくはこれも綺礼にとって一興でしかないのなら、やがて近いうちに解放されるだろうという甘い考えもあった。あんなことを言ってはいるが、時臣もそれなりに綺礼に信頼をおいている。今まで信じてきた彼がこんなどうしようもないことがきっかけで自分を裏切るような行為に出るとは、どうにも想像しにくい。
 時臣は黙ったまま皿を手に取ってこちらへ近づいてくる綺礼を見上げた。もともと体力の乏しい彼だ、この状態で三日も放置されれば衰弱もするはずである。身体には力が入らず、おそらく立ち上がることなどできないであろう。何とも情けない姿に思わず目頭が熱くなることもあった。だが時臣はひたすらに堪えたのだ。まだ、彼は言峰綺礼という存在を赦そうと心のどこかで甘やかしていたから。その考え自体が極めて愚かであるということにも気づかず。

「理解力の乏しさは時に重罪にも成り得ます。導師よ」
「ぐ、ぅ……げほっ、……」
「いかなるときも優雅に、ではなかったのですか」
「きれ、……うっ、かは……」

 動かない時臣の身体など無視して、強引に開けた口の中へ麻婆豆腐をのせたスプーンを喉の奥まで押し込む。当然のことながらえづく彼の目尻にはうっすらと涙が溜まっているようにも見え、我ながらどうしてこのような非道なことができるのだろうと綺礼はふと疑問に思った。この行為にだって結局のところ意味はない。ならばなぜ、その苦痛に歪み、プライドをへし折られ傷つく表情をもっと目に焼きつけていたいと願うのか。
 からん、乾いた音を立ててスプーンが落下する。ひりひりと喉が灼けつく感覚に噎せかえる時臣の頬を撫で、処女の柔肌のような耳朶に食らいついてもなお、答えは見出せそうになかった。



(111130)





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -