認めてしまえ | ナノ




 月明かりの美しい夜のことだった。こんな日はアイリでも連れてドライブに繰り出せば彼女もさぞ喜んだことだろうと、結局僕はいつも胸の内で思うだけである。実際にそんなことをする勇気はない。アイリや、今は遠く離れた場所で暮らすイリヤと過ごす時間は僕にとって幸せであり、それと同時に己の残虐さを思い知らされるようでどことなく苦しい。この手で彼女たちを幸せにすることができない僕に、あの細い腕を引いて抱きしめる資格など決して与えられはしないのだ。
 コートのポケットから煙草を一本取り出し、夜の冷えた空気と吐き出した煙とをゆっくりと交わせていく。やがてそれらは闇に溶け込んで見えなくなり、ふたたび冬木の街を静寂が支配した。不意に、背後から腕が回される。油断を決め込んだわけではない。僕も魔術師の端くれだ、これまで何度も戦場へと足を運び、数多の血でこの手を染め上げてきた。今のように背後から気配を消して襲われることだって、今回が初めてというわけではない。ならばなぜ咄嗟に反応できなかったのかと聞かれれば、その相手が僕の天敵であったからだろう。
 よもや彼がこのようなところに姿を現すなど想像できるはずもなく、だからこそ動きが遅れ、銃を掴みかけた腕を真っ先に封じられた。おそらく得物なしでは、力ではこの男に敵わない。それは確かに屈辱極まりない事実であったが、認めざるを得ない現実でもある。八極拳を体得している彼の実力を僕は嫌というほど思い知らされている。数日前、アインツベルンの森にて、アイリと舞弥に重傷を負わせたにもかかわらず平気な顔をしているような外道だ。自分も人のことはまったく言えない立場であろうが、しかし。
 僕は彼に、言峰綺礼に会いたくなどなかった。いずれ戦うべき相手であることは理解している。だが、彼が僕を狙っていることも理解している。何の所以かはわからない。ただ、あのとき僕が城に残りケイネスを待ち伏せていなければ、結末は変わっていたのだろうかとも思う。どちらにせよ今この場に言峰綺礼が現れてしまったのは覆しようのない現実だ。
 さて、これからどうしたものか。この男は僕を殺しにきたのか、それとも。警戒を怠らないままゆっくりと思考を巡らせていると、何か首筋に吹きかかるものがある。生暖かい空気。それが彼の吐息であると気づいた瞬間、言い知れず背筋が震えた。

「……衛宮、切嗣」
「っ……何のつもりだ」
「安心しろ。何も殺す気はない。私はただ貴様に会いにきただけだ」

 そのまま流れるような動作でうなじに触れたのは間違いなく言峰の舌であったのだろう。振り向かずともわかる。腕に渾身の力を込めて振りほどこうとするも、抵抗は無駄に終わった。自分よりも遥かに体格のいい彼に押さえ込まれてしまった今、やはりどうすることもできないのだろうか。
 それにしてもひどく気分が悪い。一体何の意図をもってこのような行為に走るのだ、この男は。そもそもこいつは元はといえば教会の神父で、こういった世俗からは隔絶された存在であるはずなのであって、だからこうして僕を羽交い絞めにしてまるで陵辱する準備を整えようとしていること自体がおかしいわけであって。
 抵抗して殺されるか、抵抗しないで殺されるか。どちらをとるかと問われれば明らかに前者の手段である。どのみちあのサーヴァントは僕の危機など察したところでこちらへ出向こうともしないだろう。元よりそれは承知の上だ。ならばこの状況は自力で打破するしかあるまい。固有時制御を使えばどうにかなるかもしれない、ひとまずはこの腕から逃れなければ。
 しかしそれまでうなじを這っていた言峰の舌が耳朶を舐め、孔の中に入り込んできたところで僕の集中力は途絶えてしまった。膝が震える。見せかけだけの聖職者が笑ったような気がして、悔しさに舌を噛みそうになった。

「なるほど、ここが弱いのか」
「やめ、……っ、くぁ……」
「あまり私を駆り立てるなよ、衛宮切嗣。それ以上の挑発は自分の首を絞めることになるぞ」

 そのつもりで来たわけではないのだからな、苦笑を零すように耳元で囁く声に腰が跳ねる。それさえも彼にはすべてお見通しだったようで、軽く歯が当たる。心地のいい甘噛みが、ずくん、中心を疼かせた。嫌なはずなのに、気持ち悪いはずなのに、どうして僕の身体は。言峰の腕が伸び、指先が口を抉じ開けて入り込んでくる。舌を抓まれ、指の腹でゆっくりと撫でられ、自ずと快感が全身を支配する感覚に、それでも僕はどうにかして堪えるしかなかった。
 洩れる吐息が熱を帯びている。両腕はとうに解放されたはずなのに、その手が彼を拒絶することはなかった。だから、出会いたくなかったのに。シャツの下から差し入れられた掌はひどく冷たく、気持ちがよかった。



(111123)





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