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 食卓の中央に置かれた大きな土鍋の中、ぐつぐつとほどよい具合に煮込まれた肉や野菜がたっぷりと満たされた真紅のスープで身を泳がせている。菜箸を片手にその様子を頑なに見守っていた綺礼は、ふとこちらへ注がれる視線へと目をやった。
 先ほどまで偉そうな態度でふんぞり返っていたにもかかわらず、椅子から身を乗り出して物珍しそうにそれを眺める英雄王。武装を解き、豪華絢爛な鎧から人間の用いるような一般的な衣服に衣替えした今も、周囲に纏う黄金のオーラは健在である。さすがは王の貫禄といったところか。しかし彼のような英霊がよもやこのような庶民的な食べ物に興味を示すとは意外だ。などと頭の中で考えるも、綺礼の表情は相変わらず変わらない。鍋の中で踊る具材たちをじっと凝視するギルガメッシュを一瞥しただけで、特に声をかけるようなこともしなかった。

「綺礼。一体これは何という料理だ」
「鍋だ。日本の家庭ではこの時期になるとよく振る舞われる」
「……ふむ。して、王である我の口に合うものなのか?」
「さてな。気になるのであれば食べてみればいいだろう」

 何も邪険に扱ったつもりはなかったが、そうとでも言っておけば余計に関心をもつだろうと思い、綺礼はいつものように素っ気ない口ぶりで言い放っただけだった。その言葉を聞いたギルガメッシュは特に怒り出すこともなく、それきり黙ってふたたび鍋の観察を続けている。よほどこれが気になるのか。綺礼にとってはどうでもいいことではあったが。
 聖杯戦争が幕を開けて以来、この遠坂邸にて食事を作るのは綺礼の担当となっていた。本来ならばそれはここで雇われている使用人たちが成すべきことであったのだが、あいにく今は全員出払っている状態である。亭主である時臣は生まれながらの高貴な貴族であったために、家事というものをまるで経験したことがない。かといってアサシンたちにわざわざ魔力を消費させてまでそんなことをさせるわけにもいかず、消去法という手段で綺礼が担うことになったのだ。
 元より彼には一人で生きていけるだけの知識が備わっていたため、料理の支度をすることについては特に苦労をしているわけではない。サーヴァントたちは食事をせずとも問題ないわけで、作る分量も自分と師である時臣の二人分だけでいい。簡単な料理であれば一時間も要さずに用意できるわけだし、綺礼が不満を抱くことはなかった。今日はここ数日では一番の冷え込みなので何か温かいものをと、こうして鍋を準備したのである。まさかこの場に英雄王までもが同伴するとは予想もしなかったが、構うことはないだろう。
 やがてようやく仕事を片付けてきたのか、食堂の大きな扉を開いて時臣が入室してきた。が、途端、蓋の隙間から洩れ出た、室内を満たす猛烈な匂いに彼は思いきり眉を顰める。つかつかとこちらへ歩み寄り、その中身を覗き込んだ時臣は思わず卒倒しそうになった。匂いを嗅いだだけで、それが唐辛子や香辛料をふんだんに用いた激辛鍋であることが理解できる。

「……綺礼、今日の夕飯はこれなのかい」
「はい。師のお口に合うかどうかはわかりませんが」
「……、……せっかくのところすまないが、私は遠慮しておこう」

 そう即答して僅かに首を振る時臣に、綺礼は訝しげな視線を向ける。見ると額からはうっすらと汗が滲み、あまりの匂いにやや涙も浮かんでいるようだ。さてはこの男、辛いものが苦手であるな。即座に理解した綺礼は、無言で器にそれをよそいはじめた。わくわくと鍋を見つめるギルガメッシュの目の前に、そして時臣が座るはずの席の前に、湯気の立ちのぼる椀を静かに置く。
 一瞬、時臣の表情が引き攣った。先ほど言った言葉が彼には聞こえなかったのだろうか。あんなにも神妙に断ったというのに。いや、まさか理解した上でこうした行為にうつったのではあるまい。時臣は綺礼に信頼をおいている。彼が頼れる弟子であることは確かな事実だ。師に対してそのような不躾な態度をとるはずはない。重苦しい空気と鍋の辛みを含んだ匂いが混ざり合い、時臣は何とも言えずに仕方なくそのまま席についた。
 確かに彼がせっかく用意してくれたものをまったく口にしないというのは失礼に値するかもしれない。いくら自分の方が立場が上とはいえ、弟子への感謝の気持ちは大切にしなければ。それに何より、ここで動揺を見せるのはあまり優雅なことではないだろう。あろうことか王を前にして失態を働くわけにもいかず、ごくり、息を呑み、箸を手に取る。最後に自らの器によそい終え、すとんと着席した綺礼は、横目だけで時臣の動向を探った。明らかに躊躇っている。いざ箸を握ったにもかかわらず、その手は僅かに震えて先に進もうとしない。
 一方のギルガメッシュといえば、箸などという道具は今まで使ったこともないらしく、彼専用の黄金のスプーンでスープと共に肉を掬い頬張っていた。見たところ表情に変化はない。感想もない。可もなく不可もなくといったところなのだろう。なるほど英霊ともなれば、味覚に何らかの障害をきたしている可能性もある。この綺礼特製の鍋は、常人ではとても食べられないような辛さに調整して作られているのだ。普通ならば口にした途端、何かしら反応は示すはずである。しかし、ギルガメッシュのつまらない態度など綺礼には最初からどうでもよいことだ。
 いまだに動きを止めたままの時臣を見やり、試しに自分も一口、運んでみる。なかなかちょうどいい味付けだが、辛さを求めるにはまだ足りない。ここまで辛みを増したにもかかわらず、やはり綺礼にはそれほどまで感じられないらしい。これにさらに唐辛子を投入したところで、おそらく結果は同じことだろう。
 そうして平気な顔をしてぱくぱくと次から次へ口に運んでいく二人を交互に見つめ、時臣はいよいよ焦りはじめた。彼らの味覚がいかれていることなど知りもしないおかげで、食べられない自分が異質なのではないかと錯覚してしまう。だがしかし、視界に入れ、匂いを嗅ぐだけで気絶してしまいそうなのに、こんなものを本当に食べるべきなのか。時臣はまだ思案している。

「おい時臣。貴様何をしている」
「……いえ、……あまり食が進まないもので」
「……その面、見るに堪えんな。口を開けろ」
「っ、王、何を……!」

 焦れたギルガメッシュが時臣の前に置かれた器を奪い取り、己のスプーンで中身を掬うと動揺する時臣の顎を掴み、くいと持ち上げた。抵抗しようにも相手が相手なだけに迂闊な真似はできず、しかし時臣も必死に力を込めて身を引く。そんな二人の攻防を何となく見守りながらも、綺礼の視線はやはり時臣に注がれている。ギルガメッシュを前にすれば彼は思うように身動きがとれない。これは好都合だ。あの王の立ち位置はそれなりに魅力的であったが、こうして傍観に徹するのも悪くはないかもしれない。
 思考を巡らせつつ、綺礼は時臣の口が無理矢理に開かれ、そこへ鍋の具材をのせたスプーンが突っ込まれる瞬間をまるで他人事のように見つめていた。想像はできていたはずだった。予想以上の辛さに噎せた時臣は咳き込み、しかし口に入れたものを吐き出さないよう必死に堪える。目尻に涙を溜めつつも数回咀嚼した後、ごくりと喉を鳴らし嚥下した。まったくの想像どおりの光景、しかし、それがやたらと淫猥に映るのはなぜであろうか。
 まだギルガメッシュの手は時臣の顎に添えられたままで、呑み込みきれなかったスープが、つう、伝い落ちて王の指を赤く染め上げる。時臣は灼けつく喉も無視して、は、と息を呑んだ。

「も、申し訳ありません、王の御手を汚すような真似を……」
「特別に許してやろう。しかし時臣、これでは我の手は使えまい」

 たったそれだけの言葉で、時臣は己が今何をすべきなのかを判然と理解する。この傲然たる王をサーヴァントとして使役するには、貴族だった自分が下僕に成り下がるしかない。もっとも屈辱的であるその手段を、だが時臣は躊躇いなく実行してきた。
 掲げられたギルガメッシュの指から滴り落ちる液体を吸い上げ、丁寧に舌を這わせ舐め取っていく。王の口元が不敵に歪むのを、綺礼はただ見つめるばかりだ。マスターとサーヴァントの絶対的な関係。自身の辿り着けない境地。だが悔やむことも、嫉妬することもない。いずれその玉座に自らが腰を下ろす図を、綺礼はぼんやりと想像した。
 「掃除」を終えた時臣はからかうように指で顎を擽る王の戯れに恥じ入るように頬を染め、それからすべてを見ていた綺礼の視線に気づくや否や慌てて口元をナプキンで拭き、冷静さを取り戻すとグラスの中の水を一杯呷って早々に席を立った。冷めた鍋の中にはまだ大量の具材が残されたままである。綺礼は無言のままふたたび器にそれをよそい、時臣が座っていた空席を一瞥して何事もなかったかのように食事を続けた。愉しそうに口元に笑みを浮かべ、ぺろり、己の指を舐めた英雄王の表情は優越感に満ちている。

「なるほど、雑種の味というのもなかなか美味なものだ。気に入ったぞ」
「……まったく王というやつはつくづく性根が悪い」
「貴様がそれを言える立場か? 綺礼よ」

 妖艶に微笑むギルガメッシュは優雅を重んじる時臣よりも遥かに余裕である。唇を噛み、そこから流れた綺礼の血液がスープの赤と相まって鮮やかに混ざり合っていく。あのとき王に成り代わり、他でもない我が魔術の導師に手を添え見下していたはずの自分の姿は、なぜだか驚くほど素直に脳内へと思い描くことができた。



(111119)





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