熱に浸蝕 | ナノ




 日本の冬は寒い。ただでさえ気温が低いというのに、今のこの状況では余計に。がちがちと意思とは無関係に勝手に震え出す身体を毛布で抱きしめるよう、時臣は頭まで深くそれを被った。何とも優雅さとはかけ離れた間抜けな光景である。彼自身、それは一番よくわかっていた。先ほども己のサーヴァントに鼻で笑われ、額を軽く小突かれたばかりである。
 一流の魔術師たるもの、自己の体調管理には常に最善の気配りをせねばならない。それに彼らは今、聖杯戦争の真っ只中に身を置いているわけであって、こうした一瞬の気の緩みが招いた病原菌は命すら奪うものと成り果てる可能性もある。誰よりもそれを理解していた時臣だからこそ、ちっぽけなウイルスに侵された自らを呪う以外に術がなかった。罵られたところでそれも当然のことである。
 英雄王はそうして弱りきった時臣をいつものように見下して愉しそうに笑ったものだったが、当然反論の余地もなかった。そのまま霊体化し、姿をくらましてしまったサーヴァントを焦点の定まらない瞳で見送ったあと、部屋の扉が控え目にノックされたのに時臣は顔を出し、鼻にかかったような声で返答する。やや間があって向こう側から姿を現したのは、弟子の綺礼に他ならなかった。喉を通りやすいようにとの配慮を込め、卵粥と、コップ一杯の水、それに薬を運んできたようだ。
 本格的に聖杯戦争へ参戦するにあたり、遠坂邸から妻と娘、使用人たちをすべて家の外に放り出していたため、今この家に住まう者は実質、時臣と綺礼の二人きりだ。師の身に何かあった場合には彼が何とかする必要がある。幸いなことに、綺礼は一通りの家事全般を容易にこなすことができたため、その点では時臣も助かっていた。自分一人ではろくに食事の支度もしたことがなかったのだ、などと言えばさすがに笑われるかと内心戸惑っていた亭主であったが、何のことはない、綺礼の表情はいつもと変わらず、時臣師は何もご心配なさらず、そう一言だけ告げたのだった。
 だが、いくら自分が本物の貴族で、幼い頃より使用人に身の回りの世話を任せていたとはいえ、この年になってまで誰かの力を借りなければ生活できないとは、何とも。しかもその使用人たちに成り代わって今、時臣の面倒を見ているのは彼自身の愛弟子だ。複雑極まりない心境に時臣はそっと綺礼の様子を窺い、しかし首を傾げる彼に、何でもないと苦笑いを零した。

「お加減はいかがですか」
「ああ、朝方よりはいくらか和らいだよ。すまないね、綺礼」
「いえ。問題ありません。……時臣師、口を」
「……そのくらい、一人でも食べられるんだが」

 匙に掬われた適量の卵粥を、ふうふうと息を吹きかけて冷ましたものが時臣の口元のすぐそばまで運ばれてくる。もちろんたじろいだ貴族ではあったが、綺礼の眼差しは真剣そのものだ。風邪で寝込んでしまった師を彼なりに心配してくれているのだろうか。その表情の裏に隠されたものを時臣は理解することができなかったが、ならばここは羞恥をも呑み込んで好意に甘えるべきかもしれない。
 暫しの沈黙のあと、ようやく口を開いた時臣は差し出されたそれを思いきって口内に含んだ。綺礼の料理の腕は人並み、といったところであろうか。妻の葵の作るものに比べれば簡素に感じることはあったが、十分に満足することができるレベルだ。それなりに舌の肥えた彼が認めるのであるから、決して悪くはない。病人食はこのくらいがちょうど適しているのだろうし、この際文句は言うまい。
 次々と運ばれるそれを何度か咀嚼し、呑み込む。その繰り返しをしているうちに、卵粥の入った器はいつの間にか空になっていた。腹も満たされ、一息拍を置く。ありがとう、あらためて礼を言われ、こくりと頷くも綺礼は心ここにあらずといった状態であった。
 大きなベッドに身体を沈ませる時臣の白い肌はいくらか上気し、ほんのりと桃色に染まっている。発熱しているせいもあり、額には汗が浮かび、やや目尻にも涙が溜まっているように見えた。時折咳をする際にわざわざ口元に手をやって押さえる仕草も、何だか。おまけに普段のようなきちんとした身のこなしとは正反対に、白のシャツ一枚で胸元を大きく寛げているだけ。呼吸をすることすら苦しいのだろうか、しきりに喉をさする指の動きがいじらしくてたまらない。
 そうして見られていることにすら気づいていない様子の時臣が、不意に綺礼を見上げる。無防備で、艶めかしい。これが三十路の妻帯者の醸し出す色気であるなど、俄かには信じがたい事実である。視線を逸らせずに、そのまま熱気に包まれる師を凝視した。一方時臣はといえば、綺礼が何をそんなにも必死になってこちらを注視しているのか、気になっても尋ねることができないでいた。そんなことよりも早く薬を飲んで休息をとってしまいたい。こうやって眠っている暇すら本来なら彼には存在しないのだから。

「綺礼、薬をとってくれないか」
「……導師はそのままの体勢でいてくだされば」
「いや、さすがにそれは……っ!」

 押しのける間もなく、いくつかの錠剤と水を同時に含んだ綺礼の唇が時臣のそれに重ねられた。熱い。抵抗しようにも儘ならず、開いた隙間から彼の待ち望んでいたものが舌を介して受け渡される。ごくり、喉を鳴らしてそれを呑み込み、これにて事が終わったかと思うも束の間、さらに肩を押し返そうとする手首を掴まれ、残酷にもシーツに押しつけらてしまった。
 この弟子の悪いところは、一度こうして火がつくとどんなに制止しようとも融通がきかない部分にある。まるで師匠の言うことを聞こうともしない。普段はきちんと従っているだけあり、駄々を捏ねる子供のようだとも思う。しかし、これが幼子のすることであろうか。
 存分に舌を吸われ、歯列をなぞられ、どっぷりと長い接吻に酔わされた時臣は、解放されてもなおどこか恍惚とした表情で呆然としている。己を見下ろす綺礼の口元が僅かに歪んだような気がして、だがどうにかする気にもなれない。熱のせいでひどく身体が重いのだ。

「恐れながら我が師よ。こうなった原因はあなたにもあるかと」
「っ、……綺礼、離しなさい」
「代償はきちんと払ってもらわねば道理にかないません」

 私が言わずともおわかりでしょう、耳元で囁く声に時臣の身体がぞくりと震える。それは熱による悪寒とはまったく別物の。実に、身体は正直であった。なぜなら時臣は離せという言葉とは逆に、しっかりと綺礼の服の裾を握りしめていたのだから。



(111118)





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