籠の鳥 | ナノ




 時計の針も深夜零時を指し示す頃。客人用にあつらえられた豪勢なソファに長々と寝そべり、グラスの中のワインに波を立てながらも、かれこれ数十分は沈黙を貫いたままの英雄王を横目に、時臣は内心で深く溜息をついた。彼の機嫌が芳しくないことなど、周囲に漂う空気で察することはできる。だが、その原因が何であるかわからない以上は致し方もないわけであり、そこに頭を悩ませているのだ。かといってこちらから声をかけようものなら、あの鋭い眼光で射抜かれ、ますます肩身を狭めるような思いをする羽目になるであろうこともわかりきっている。一体どうしたものか。つくづく扱いにくい自らが召喚した英霊を時折見やるだけで、時臣もいまだに一言も声を発しようとしない。
 そうこうしているうちに偶然視線が重なり、反射的に目を逸らしてから、まずいことをしてしまった、頭の中でそう思考した瞬間にはすべてが遅かった。それまで優雅に長い脚を伸ばし、まるで自分の部屋であるかのようにのびのびとくつろいでいたギルガメッシュは不意に上体を起こし、さも不機嫌そうに時臣を睨みつける。これではマスターとサーヴァントの関係性が逆転してしまっているようなものだ。どちらが手綱を握っているかなど、王の放つ絶対的なオーラを前にすれば歴然であった。

「時臣」
「……お呼びでしょうか、王よ」
「ここへ」

 その不穏な匂いを漂わせるばかりの声色が己の名前を呼んだ瞬間から、嫌な予感しかしていない。いつものこと、と、それで済ませてしまえば簡単なことである。この英雄王は何にせよプライドが高く、少しでも気に入らないことがあれば形振り構わず当たり散らす、何とも横暴な性格の持ち主だ。
 時臣とて、ギルガメッシュを自らのサーヴァントとして召喚するにあたり、その程度のことは肝に銘じていたはずである。それが聖杯を獲得する、遠坂の勝利を掴む条件であるのなら、どうということはない。実際、傲慢極まりない英霊の姿を前にしても、時臣は常に冷静さを欠くことなく、余裕をもって振る舞うことを心がけていた。それが代々伝わる遠坂の家訓なのである。何があろうとも自分を見失うようなことはあってはならない。一流の魔術師として、相応の対応を。
 最初のうちはそうして、自らを律することによりどうにかして堪えることはできていたのだが。時臣は魔術師である前に、一人の人間であった。どんなに鞭を打ち、煮えたぎる心を諌めることができたとして、それには当然限界というものがある。常々考えてきたことだ。この王の身の振り方にはとても感心はできないと。

「何だその顔は。気に入らんな」
「……お気に障りましたのなら、非礼をお詫びします。申し訳ありません」
「……虫唾が走る」

 ばしゃり。水の跳ねる音がしたと思えば、グラスの中で泳いでいたワインがそこから身を投げ出し、ギルガメッシュの前まで進み出で、深く垂れた時臣の頭へと雨のように降り注いだ。つん、と香る芳醇な葡萄酒は確かに時臣が愛飲しているそれである。理解するより先に無理矢理に髪の毛を鷲掴まれて、彼の意思とは別に上を向かされ、こちらを見下す赤い瞳と交錯する。直後、獣が噛みつくように唇を貪られるも、しかし時臣は一切の抵抗を示さなかった。
 彼の心はすでに綻んでしまっていたのだ。もうこれで何度目になるだろう。英雄王が自分を退屈で疎ましい存在としていることは、彼にも理解できていた。だが、退くことは許されない。時臣も聖杯戦争に臨むべく覚悟を決めているのだ。何としてもギルガメッシュの力は必要不可欠であった。そこで王は彼の決意に少なからず興味を示すと同時に、サーヴァントとして時臣の勝利に貢献するにあたり、いくつかの条件を提示してきたのである。
 我の力を欲するならば、我に貴様のすべてを捧げよ。答えは聞くまでもなかった。文字通り時臣は、ギルガメッシュの奴隷と成り果てた。そうすることで聖杯に近づくことができるならば、それ以上の喜びはない。すでにこの身は遠坂の礎になることを決定づけられている。今さらどう足掻いたところで、何が変わるわけでもあるまい。
 甘い酒に濡れた髪が肌に張りつく不快感も気にしている余裕などなく、ギルガメッシュの思うままに嬲られていく身体はどこか他人のもののようだ。悲嘆することはない。ただ、虚しいだけ。

「さあ、今宵も淫らに舞い我を愉しませてみせろ。時臣」

 全身を血液のように流れる魔力が吸い上げられていく感覚も、もはや彼にとってどうということはなかった。



(111115)





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