終わりのみる夢 | ナノ




#原作ネタバレあり



 黒い、どこまでも黒い。闇に満たされたその空間で切嗣はうっすらと瞼を開き、ぼんやりとした脳を奮い立たせるように覚醒した。それはまるでこの世のどこにも存在などしていない、黒一色で塗り固められた異世界。しかし彼にとってはどうということもなかった。幼い頃よりその光景を目の当たりにするのは慣れていたのだから。
 漂う死の匂い。鉄が錆びたような独特の形容しがたい香りがつんと鼻をつく。ふと見渡してみれば、漆黒と思われたそれは赤が時を経てどす黒く変色したものであった。ここはかつて戦場であった場所。転がる屍の山と夥しい量の血の海に、切嗣は判然と理解する。彼らは自分が殺したのだと。
 大切なものを救うために、世界を守るために、礎となった生贄とでも呼べば聞こえはいいかもしれない。けれど本当に彼らはこんな場所で命を落とすべき人間だったのだろうか。いや、おそらくは。切嗣はその答えを知っている。知っているからこそ、己の下した決断を今さらになって取り消すことなどできるはずがなかった。
 切嗣の振り翳す正義など決して美しいものではないし、栄光ともかけ離れている。それは澱んだ濃霧の中を一歩ずつ確かめるように進んでいくだけの、右も左も前も後もわからない、不安定極まりない人生。しかし彼は父親を手にかけた瞬間から、あの父親の元に生を受けた瞬間から、こうした生き方を義務づけられてしまったのではないかと諦観している。大いなる目的のためには愛しい人さえ平気な顔で手にかけることができる、非情ではあるが、それこそが衛宮切嗣としての人生といっても過言ではない。
 実際に切嗣はそういった自分に何よりも揺るぎない自信を抱いていた。そうでもしないと彼の心はとうに崩壊していたかもしれないし、途中で目的を違えてしまったかもしれない。一片の迷いも許されないのだ。此度の第四次聖杯戦争においてもそれは同じだった。背後に倒れた数多の屍を振り返ることなく、ただその手に聖杯を獲るために。
 なればこそ、このようなくだらない幻想は一刻も早く打ち払わなければならない。くたびれたコートの懐から愛用の煙草を一本、唇に咥えてライターで火をつける。一瞬燃え上がった炎に照らされた影は、切嗣のよく知る、それでいてこんな場所で出会いたくはなかった相手であった。

「言峰……綺礼……」
「ようやく、会えたな」

 苛立たしげに煙を吐き出す切嗣の表情には、しかし感情の色は見えない。それと相対する綺礼もまた、いつもと変わらぬ能面のような顔で彼を迎えた。これは現実ではない。敢えていうならばおそらくは夢のようなものなのだろうとは思う。決して出会ってはいけない二人が出会ってしまった。早すぎる運命。それはもしかすると迎えうるもう一つの世界の顛末であったのかもしれない。この夢物語もまた真実と捉えるならば一興か。
 二、三度、空間にゆるく白煙をたなびかせ、泥やら血やら肉片やら、もはやそれが何であったか判別の仕様もない地に吸殻を落とした。現実であれ夢であれ、今切嗣の視界に綺礼が映り、綺礼の視界に切嗣が映っている事実は揺るぎようもない。ならば最初から答えは決まっているようなものだ。
 右手で確かめるよう愛銃のグリップを握り、ゆっくりと動かぬ神父の額へと銃口を向ける。その指の隙間から黒鍵が生えたように現れたのに、気勢十分、トンプソン・コンテンダーが火を噴く準備にとりかかる。間合いを詰めようと綺礼が地を勢いよく蹴った。息をつく暇もない。起源弾は一介の神父とはとても思えないような動きでこちらへ突進してくる綺礼の頬を掠めただけで、すかさずフルオート射撃で応戦するも、がら空きの身体は難なく血溜まりに沈んだ。
 生死を賭けた戦闘の決着ほど呆気ないものはない。百戦錬磨の切嗣であるからこそ、その残酷な事実を痛感していた。ふたたび弾を込め、眼前の綺礼の眉間に叩き込むまでの間に彼の息の根は止められてしまうことだろう。覆しようのない圧倒的敗北だ。それを認められないほど切嗣もまた愚かではない。喉元を抉るようにして突きつけられる黒鍵に、もはや言葉を発する必要性も感じられなかった。
 元よりこれは聖杯の見せる気まぐれの悪夢。心配せずともここで彼の命運が尽き果てることはない。目を瞑れば世界が暗転する。至極簡単なことだ。この憎い神父とて、次こそは心臓を貫かれ絶命することだろう。そうして切嗣は聖杯を獲得する。アイリスフィールの眩しい笑顔と引き換えに。
 それきりいつまでも微動だにしない綺礼が、果たしてその空虚な胸の内に何を思ったのかは知れない。だが、終わらせるにはまだ惜しく、おそらく自分はこの男についてさらに深く知ることを切に願っているのだと。乾いた唇から香る煙草の匂いに、綺礼は黒鍵を握った手に力を込めた。切嗣の喉の奥から吐き出された、噎せ返るように鮮やかな血の色だけが、綺礼を愉悦の根源へと誘うのだ。薄れゆく意識の中、切嗣は思う。やはりこの男こそが己の願望の邪魔立てをする最後の悪に他ならないのだと。

「安心しろ。貴様は必ず私が××してやる」



(111111)





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