わらう贋物 | ナノ




#10巻読んで妄想した結果の産物



「ちくしょう、ここから出しやがれ!」

 冷たい留置所に響く罵声に反応を示すものは誰もいない。聴覚を研ぎ澄ませてみるも周囲にどうやら人の気配はないようだった。どうしてこんなことに。舌打ちして悪態をつき、静雄は簡易式のひどく固いベッドへと乱暴に腰を下ろした。
 その化け物じみた力のせいで自身の意思とは裏腹にいろいろなものを傷つけてきた彼は、幼い頃より警察の世話になっていたこともある。まだ小学生だった静雄に彼らも強くは発言できず、しかし、異形の者を見るような視線を向けられて、ああ、こいつらも同じか、そう思った。中学、そして高校に上がり、今までのようにはいかず補導されることも増えた。成長するにつれて少しずつではあるが己の力と向き合おうと当の本人は努力していたのだが、「害虫」とも呼べる今や彼の仇敵でしかない存在が姿を現したおかげでそうも言っていられず。ようやく高校を卒業してさまざまなアルバイトを転々としながらも、彼がノミ蟲と罵倒する相手、臨也が新宿へ居を移してからはそれなりに平穏な毎日を過ごしてきたはずだったのに。
 いつかこんな日がやってくるのではないかと、自分で考えるのも嫌になる話だが、静雄は薄々感づいていた。考えてみれば当たり前のことで、今までそうならなかったことが不思議なくらいに今の状況は自然だ。人を殺したわけではないから相応の罰を受け、罪を償えだとか、そこまで大袈裟な話にはならないだろうけれど、それでも少年法で守られていたあの頃とは確実に状況が違ってきている。留置所でことが済めばいいが、これはもしかすると、刑務所に送還されることも覚悟しておかなければならないかもしれない。
 元はといえばすべてあの思い出すだけで忌々しい男のせいだというのに。なぜ、自分だけがこんな目に遭うのか。やり場のない怒りをぶつけようと思いきり壁を拳で殴る。ひびが入り、そこから亀裂が生まれ、ぼろぼろと崩れた破片が床に散らばった。ここから逃げるのは簡単なことだ。でもそうしたら、一体どうなってしまうのか。漠然とした不安に囚われ、静雄は深い溜息を吐き出した。

「なーにしてるのかな? 平和島静雄くん」
「っ……」

 騒ぎを聞きつけた見張りの警官が足音を立ててこちらに近づいてくる気配を察し、思わず肩をびくつかせる。無意識でしたこととはいえ、また破壊行動に出てしまった。留置所の中でまで懲りずにこんなことをして、ただでは済まないかもしれない。言い訳をしたところで無駄だとは思ったが、とりあえずは弁明してみようと頭の中で考えながら、先ほどの声色を思い出してぴくりと身体が固まる。どこかで聞いたことのあるような、そう、あの耳につく、いやにねっとりとした声は。
 はっとして顔を上げた静雄の目の前、鉄格子の向こう側に立っていたのは、忘れもしない仇敵の姿に他ならなかった。なぜか警官の制服を着用しており、しっかりと上までシャツのボタンを閉め、ネクタイを結び、だが悪意に満ちたその表情はあまりに似つかわなくて。臨也がここにいる理由や、警官に扮装している理由などはどうでもよかった。きつく、血が滲むまで唇を噛みしめて怒りで全身を奮わせる獣の姿を嘲笑う彼は、まるで地獄から這い上がってきた悪魔のようだ。

「あーあ。壁壊しちゃったの? いけないんだ」
「手前……この、ノミ蟲野郎……ッ!」
「落ち着きなよ、化け物。今ここで俺に暴力をふるったらどうなるかくらい、頭の悪い君でもわかるだろう?」

 檻の奥から拳を振り上げて今にも殴りかかってきそうな静雄を窘めるよう、臨也は淡々と言葉を吐き出す。そうだった。自分の置かれている立場を思い返して静雄はつとめて冷静になろうと自制するも、込み上げてくる怒りは尋常ではない。こうなるよう仕向けた当の本人がすぐ、目と鼻の先にいるのに黙っていられるはずがない。けれど。これ以上騒ぎを大きくしたらそのときは、間違いなく刑務所送りだ。離れて別々に暮らしてはいるけれど、静雄には父も母も、弟もいる。家族にだけはもう迷惑をかけたくはない。彼らが犯罪者の家族と呼ばれる日がくるなど、あってはならないのだ。自分はどうなっても構わないけれど。それならば今はどうにかしてこの場を凌いで堪えるしかない。たとえ相手が静雄のこの世でもっとも憎むべき虫けらのような人間だとしても。

「ねえ、それよりさ。俺がなんで警官のコスプレなんてしちゃってるか気になったりしないの? するよね? ほら、よく一日警察署長ってやってるじゃない、アイドルとかが。あれに似たようなもんだと思ってもらえればいいかな。どうせ難しいこと話したってシズちゃんには理解されなさそうだし……そう、何を言いたいかっていうとつまり、どんな事情にせよ今の俺は正真正銘の警官ってことなんだよ。正義の味方みたいでかっこいいだろ? 昔は憧れてたんだよねえ、警察官。どう、なかなか似合ってるでしょ?」

 べらべらと相変わらずよく喋る口だ。二度と聞けなくなるよう縫いつけてやったほうがこいつのためなんじゃないか。制服を見せびらかしながらにこにことどこか感情の読めない笑みを浮かべる臨也を前に、静雄はぼんやり考える。本当は彼が口を開いて言葉を発するたびに苛立ちを募らせているわけなのだが、先ほど自分に言い聞かせたばかりなのだ、何を言われたところで耐え抜いてみせる。静雄のすべきことはそれ以外にない。それには、相手の言うことに耳を傾けないのが一番の良策だ。あからさまに耳を塞いで遮断してしまってもよかったのだが、それではあまりに露骨すぎて臨也が次の行動に移る可能性がある。できるだけ悟られないよう、聞いているふりをしながらも頭の中では違うことを考える。難しいことではあったが、不可能ではなかった。ひたすらに捲くし立てる臨也に何度か相槌を打ってやる自分がひどく滑稽に思えたが、しかし静雄は堪えた。
 目を瞑り、それを視界に入れないようにして。心を閉ざして。聞いてるのシズちゃん、遠くの方で臨也の声が聞こえたがさすがにうんざりしてついに無視を決め込むことにする。早くいなくなれ。お前がいなくなればこんなところからすぐに解放されるに決まってるんだから。呪文を唱えるように心の中でぶつぶつとそればかり呟く静雄の様子に、彼の表情が僅かに変わる。
 腰にくくりつけてあった合鍵のひとつで牢を開け、中にするりと身体を滑り込ませ。強く肩を押され、反応が一瞬遅れた静雄はそのまま背後のベッドに倒れ込んだ。目を白黒とさせている表情からすると、瞳を閉じて心に蓋をしていたおかげでいつ臨也がこちら側に入り込んできたかにも気づいていないようだった。そんな静雄を優越感に浸ったような笑みを湛えて見下ろし、くい、指の先で軽く顎を持ち上げる。状況は読み込めないが、猛烈に腹が立つことに変わりはない。ぎろり、精一杯の殺意を込めて睨みつけるもそれさえも心地よいといったふうに余裕でかわされるのだから余計に苛立つ。

「ふざけんな、どけ、殺す」
「馬鹿の一つ覚えみたいに殺す殺すって、ああ、シズちゃんは馬鹿だけどさ。でも悪いことをしたらお仕置きされるなんて、子供でもわかることだよ」
「……何が、言いたい」
「意地でも許しを乞いたくなるように仕向けてやるって言ってんだよ」

 彼の言う「正義の味方」とは半ばほど遠い、純粋な悪意をその瞳にぎらつかせ、ぬるりと静雄の唇の表面に舌を這わせる。あまりの気持ち悪さに声も出なくて、けれどこのままではいけない、押し返そうとして、耳元で下卑た声が囁く。俺は君のことなら何でも知ってるんだよ。逆らったらどうなるかわかるよね。それは脅迫以外の何物でもなかったし、そんなものに屈するわけがない、考えて、しかし冷静になって逆らうことは許されないのだと気づく。これは単なる脅しなどではない。この外道な人間のやることだ、何一つその言葉に偽りなどないのだろう。抵抗のひとつでもすれば、大切な家族が傷つけられることになるかもしれない。それだけは、それだけは。
 突然おとなしくなった獣の肌を撫で、臨也はほくそ笑む。何が警官だ。何が正義の味方だ。化けの皮を剥がせば人間なんて、どす黒い欲にまみれたけだものでしかないというのに。しかしまったくもって自分は彼らを愛してやまないのだ。この化け物は一生そのような存在にはなれはしないのだろうけれど。愛することができないのならせめて支配してやろうと、そんなくだらないことを、臨也は思うのだ。



(110811)





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