再帰のセパレーション | ナノ




#Steins;Gateパロ



 頭がぼうっとして視界がぐらぐらする。脳の奥が揺れているような感覚だった。結局昨日は一睡もできなくて、ぼんやり、ぐるぐると考えても仕方のないことばかり考えていたせいでどうにもすっきりしない。結論なんて最初から出ていたはずなのに、俺の決意はいつまでも不安定で、それが彼を怒らせる原因となってしまった。当然のことだ。同情するつもりなんてあるわけないし、そんなことくらい彼にだって伝わってはいるのだろうけど。
 怖くてたまらないのだ。この世界から自分の存在が消えることが。それは日常に身を任せた人間たちにとってはまったく現実味のない話である。俺も、彼も。こんな運命に巻き込まれなければ知ることはなかった。苦しむことはなかった。悲しむことはなかった。あの日、俺と彼が出会った瞬間からすべては始まっていたのに。

「おい、折原」
「シズ……ちゃん?」

 昨日、俺の吐き出した不用意な言葉で機嫌を損ね、もう二度と会いにくることはないと宣言したはずの彼が。俺以外に誰もいないラボの扉をノックもせずに乱暴に開けた。いつもの仏頂面でこちらを睨みつけるシズちゃんに、しかし俺はひどく安心した。あれを彼と交わす最後の言葉になどしたくなかったから。
 どうしたの、尋ねると、俺がここに来たらいけない理由でもあるのかよ、相変わらずぶっきらぼうな返事が返ってきた。そういえば出会ったばかりの頃、こうして顔を付き合わせては俺たちは口喧嘩ばかりで、よく「あいつ」に仲裁されていたこともあったっけ。でも、憎まれ口を叩きながらも「あいつ」を助けるためタイムリープを繰り返す俺を何度も助けてくれて、くじけそうになるたびに激励して背中を押してくれた。シズちゃんは大切なラボメンの一人で、それで。
 考え事をしていて上の空だった俺の表情をじっと見つめ、眉を顰める。彼の言いたいことはわかる。ああ、わかってるさ。俺だって馬鹿じゃない。「あいつ」一人を救うため、どれだけの犠牲を払ってきたか。仲間たちを傷つけてきたか。しっかりとこの脳にこびりついている、俺の歩んできた軌跡。無駄になどできるはずがない。こんな、感情で迷うことは許されない。

「決心はついたか」
「……俺は、君を、助けられない」
「……、……ああ。それで、いい。お前は、そうしなくちゃならないんだ」

 彼と「あいつ」。俺の救うことができるのはどちらか一人でしかない。二人とも助けてみせる、そんな綺麗事で突っ走ろうとしていた俺を諌めたのはやはりシズちゃんだった。馬鹿なことを言うな、肩を小刻みに震わせて。今思えば、あのとき泣いていたのだろうと。
 俺より年下のくせに、世界にも認められた天才科学者の彼は、その若さ故つらい目にもたくさん遭ってきただろうに、いつだって強気な姿勢で決して怯むことなんてなくて。何も怖いものなんてないのだと勝手に思い込んでいた。そんなわけがないのに。ここにいる彼は天才少年なんかじゃない、ただのちっぽけな平和島静雄だ。誰だって死ぬのは恐ろしい。「あいつ」の命が尽きる瞬間をこの目で何度も見てきた俺には、それが痛いほどよくわかる。だから「あいつ」を助けようと俺が努力してきたことで彼を殺すことになるなんて、そんな真実、受け入れることはできなかった。
 失いたくない。大切な仲間だから。いや、違う。それ以上の感情を俺は知らぬ間に彼に抱いていたのだ。ずっと心のどこかで惹かれていた。彼の強さ、科学者としての魅力に。気づかないふりをしていた。この想いの名に。俺がシズちゃんを救いたいと思う理由は恐らくそこにあるのだ。だけど、それは。「あいつ」を助けたいと願う俺のこれまでの思い、仲間たちの思い、彼の、思い。そのすべてをなかったことにするということに他ならない。だから俺は、俺には、こうすることしかできない。
 俯かせていた顔を上げてシズちゃんを見やる。どこか吹っ切れたような、清々しい笑みを浮かべていた。お前の決断は間違ってねえよ、そう、言葉を発さずとも聞こえたような気がして。胸が締めつけられた。

「……言えなかったことがあるんだ」
「……なんだよ」
「シズちゃんが、……好き」
「なっ、な……は、ぁ? おまっ、じ、自分が何言ってるか、わかって……!」

 普段の余裕など一瞬で消え失せ、明らかに動揺している彼をおもしろそうに眺める。こんなふうに他愛のないやりとりをできるのもこれで最後かと思うと心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになるけれど。
 元の世界線に戻る。シズちゃんが死んでしまった世界線へと。そこでは「あいつ」が生きていて、俺は退屈で、だけど平穏でそれなりに幸せな毎日を過ごしていて。そう、元に戻るだけだ。それだけ。すべてを知ってしまった俺にはあまりにつらい未来が待っているのだろうけど。世界に置き去りにされる。彼の存在と共に。それはある意味で幸福なのかもしれない、とも思う。
 赤くなって黙り込んでしまったシズちゃんに一歩近づいた。驚いて一歩後退する彼に追い討ちをかけるよう、二歩進む。下がろうとして壁にぶつかり、シズちゃんは恥ずかしそうに下を向いた。ねえ、シズちゃんは、俺のことどう思ってるの、不安でたまらない気持ちを堪えて問いかける。声が震えていたような気がした。今言わなければ二度と言う機会はないけれど、こんなことを言ってしまって余計に彼を傷つけてしまったらどうしよう、とか。思いきって告白してしまったことを後悔しはじめたところで、ぽつり、蚊の鳴くような小さな声。

「……、じ、ろ」
「え? なに……」
「目、閉じろって言ってんだよ!」

 ぼそぼそ喋っていたと思ったら急に大きな声を出すから、従わないとまた怒鳴られると思っておとなしく言われるままに目を瞑る。まったくもってシズちゃんの考えていることはよくわからない。一体何をされるのかと息を殺していたそのとき、唇にやわらかいものが一瞬触れて。思わず閉じていた瞳を開くと、すぐそこにシズちゃんの顔があって、今自分が彼にキスをされているのだと遅れて理解する。心臓がどくんどくんとうるさい。
 だって、そんな、シズちゃんが、俺に。ということは、ええと、どういうことなんだ。思考が追いつかなくて、やがてゆっくりと離れていく唇の先をいつまでも見つめていた。シズちゃんはといえば、先ほどよりもさらに赤い顔で、何か言おうとするもうまく言葉が出てこないのか、もじもじとして何だかいじらしい。キス、されたってことは。彼も俺のことが好きなんだって、自惚れてもいいのかな。きちんと息継ぎができているかもわからなくて、落ち着くために深呼吸をした。……唇、思った以上にやわらかくて。全身が熱い。

「た、頼みが、……ある」
「な、……に」
「折原だけは……俺のこと、忘れないで、ほしい」
「……じゃ、あ……こんなんじゃ、足りないから。もっと刻みつけてよ。シズちゃんを」
「っ……手前、ほんとに変態だな……!」

 確かに今のは中二病をこじらせた自分でもどうかと思うような発言ではあったが、今さら取り消すこともできまい。黙って待ち構えていると、暫しの躊躇いがあったあとにもう一度。軽く彼の唇が俺のそれに触れた。それからはもう想いを抑えることなんてできなくて、彼の両頬を掌で包んで、ありったけの気持ちを込めて何度も何度も。まるで恋人たちが愛を確かめ合うかのような儀式を俺たちは繰り返した。互いの酸素を奪って肩で息をして、それでもまだ足りなくて、俺は、俺は、平和島静雄のことを、本気で。ん、ん、息を吸う合間に洩れる吐息が耳元を擽る。シズちゃんのくせにこんな声出すとか、なにそれ、反則だろ。あまりに近すぎる距離に、明日にはこれが泡のように消えてしまうだなんてまったく想像もつかなくて、俺たちは。ただただひたすらに求め合った。
 ひとしきり口付けを交わしたあと、シズちゃんが目尻に溜まった涙を拭いながら笑う。その一挙一動を、この目に、脳に、焼きつけておかなければならない。平和島静雄は確かに世界に存在して、ラボの一員としてここで仲間たちと共に夏の数週間を過ごしたということ。俺が、心の底からはじめて好きになった相手だということ。忘れない。忘れないよ。

「俺……ここにきて、みんなと、お前と、過ごすことができて、……よかった。ありがとう……臨也」
「……うん……」

 明日の早朝、シズちゃんはアメリカに帰る。俺は仲間にすべてを話し、「あいつ」が変わらず息をして微笑みを浮かべる元の世界線へと戻る。たとえすべてがなかったことにされたとしても、俺は平和島静雄を、平和島静雄の温もりを。生涯忘れることはない。
 あのさ、シズちゃん。最後にどうしても君の口から、たった一言、それだけでいい、聞きたかった言葉があるんだ。だけどもうその願いは二度と叶わない、消えていく、変わっていく、俺の周りの世界が。ねえ、痛いよ。



(110809)





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