芽生え、実る | ナノ




 その人は、わたしがいつもお庭のお掃除をしているときにふらりとやってくる。ううん、正しくは人ではないと思う。あれが、悪魔なのかな。目つきは鋭くて、大きな口から覗く歯はぎらぎらと光っていて、長く伸びた爪は尖っていて。人を見た目で判断しちゃいけないっておばあちゃんも言っていたけど、でもこの人は悪魔だ。だって彼自身がそう言っていたんだもの。
 最初に出会ったとき、わたしはお花の種を植えるのに必死で全然気づかなくて、ふと気配を感じて振り向いたら彼がそこにいてひどく驚いたのを覚えている。その悪魔さんは外見こそ少し怖かったものの、言葉遣いは丁寧で、きちんと自己紹介もしたし、わたしのお庭にも興味を持ってくれたみたいだったし、みんなには内緒のお友達ができたみたいでとてもうれしかった。燐や雪ちゃん、それに祓魔塾の友達には、悪魔さん、アマちゃんのことは黙っていた。悪魔と仲良くするだなんて知ったらきっと驚くだろうし、心配もするだろうから。アマちゃんは悪い悪魔じゃないけど、そんなこと言っても信じてもらえそうにない。だったら秘密にしておこうと思った。
 塾が終わって今日は寄り道せずにまっすぐ家に帰る。燐が一緒にご飯食べていかないか、って誘ってくれたけど、アマちゃんが待ってるかもしれないからと思って断った。別にあの子だって毎日遊びにきてくれるわけじゃないけど、何となく、勘みたいなものがあって。今日は来るんじゃないかって、そんなふうに期待して家の門をくぐる。そこに、彼はいた。いつもみたいに地面に座り込んで膝を抱えて、掌で土を撫でる姿を見て、自然が好きなのかな、と思う。そういえば地の王だとか何だとか言っていたような気がする、頭の悪いわたしにはよくわからないけど。

「アマちゃん! ただいま」
「その呼び方はやめるようにと言ったはずです。何だか馬鹿にされているみたいだ」
「そんなことないよ。かわいいよ」

 不貞腐れたように少しだけ頬を膨らませて身体を丸める。こう言ったらまた怒られちゃうかもしれないけど、彼は動物に似ている。牙を剥いて噛みつこうとしてくるアマちゃんはライオン。こうやっておとなしくわたしの横でぼうっとしながらたまにじゃれついてくるアマちゃんは子犬。だからといって彼はわたしの友達だし、それはあくまでたとえ話。実際に口にすることはない。
 制服が汚れることも気にしないでスカートのままぺたりと地べたに座り込む。ぐるぐると指で土の上に無意味な線を描きながら、どこか遠くを見るような目で、それが何だか切なくて、ううん、わたしは唸る。何かあったのかな。お兄さんがいるって話を聞いたけどその人と喧嘩でもしたのかな。だけど余計なことを聞いたら機嫌を損ねられるかもしれないし。考えながら近くに咲いていたシロツメクサをいくつか摘んで手の中で結び、繋いだ。アマちゃんはわたしの手元をじっと見つめ、でも何も話しかけてはこないから不自然な沈黙が流れる。花についた土がちょっとだけ手を汚したけれど気にはならなかった。
 土や、草や、花の匂いは大好きだ。亡くなったおばあちゃんのことを思い出すから。彼の隣にいると、昔に戻ったような気がする。誰かと一緒にこうして自然に触れるということは、わたしが忘れかけていた感覚だった。だから安心する。祓魔師になるだなんていきなり大きな目標を掲げてしまったけれど、やっぱりわたしは不安に押し潰されそうだった。塾は楽しい。覚えることがたくさんあって、実際にみんなで協力して悪魔を倒したり、大変なこともそれは多いけれど。でも、だから、こうして日常に帰る瞬間がわたしの癒しでもある。祓魔塾生じゃない、ただのちっぽけな杜山しえみに戻るこのときが。なんて、しえみのくせに生意気だな、とか燐に馬鹿にされそう。

「手、出して?」
「……何をするつもりですか?」
「これをね、あげようと思って」

 興味を示しながらも首を傾げて、不審物を見るような視線を向けてくる。そんなにめずらしいものなのかな。小さい頃はみんな作って遊んでたものだと思ってたんだけど。あ、もしかしたらアマちゃんのいた世界ではそんなものなかったってことかな。悪魔の住む虚無界はわたしたちの住む物質界とはまったく違うところで、ここからしたら地獄のような場所なんだって、何かの授業で聞いたような気がする。どんな場所かなんて行ったこともないからあんまり想像できないけど、こんなに鮮やかなお花がたくさん咲いているところではないんだろうなと何となく思う。だからかな。アマちゃんの視界に映る物質界のあらゆるものはすべてが新鮮で、眩しく感じるのかもしれない。いろんなことに興味津々で、今は京都の方に観光しに行きたいんだとか。悪魔なのにほんとにおもしろいなあ。
 そんなことを考えながら差し出された左の手首にシロツメクサで編んだブレスレットをつけてあげた。あんまり丈夫なものじゃないからすぐに壊れちゃうかもしれないけど、そうしたらまた作ってあげるからね、しげしげとそれを凝視する彼に声をかける。聞こえているのかいないのか、返事はなくて、指で軽く突いてから食べようとしたところを止めた。食べてもおいしくはないと思う、わたしもそうしたことがないから何とも言えないけど。というか、食べるのはだめ。せっかく作ってあげたんだから。ぷう、頬を膨らませてぎゅっと膝を抱える。手を曲げたり伸ばしたり、いろいろな方向からそれを観察して、そんなわたしにも気づかないで、アマちゃんは。

「なるほど。これがコンヤクユビワというものか」
「こんやく……婚、約……? 違う、そうじゃなくて……!」
「では、しえみにも。今度会ったときにボクからプレゼントをあげましょう」

 今はこれで我慢してください、手を取られ甲にやわらかい唇が触れて、それからわたしはどうやって彼を追い払ったかよく覚えていない。でも、悪魔って人とは価値観が違うのかな、とか、プレゼントって何だろう、とか、アマちゃんのことはやっぱりわからない、とか。次の日のわたしの頭の中はそればかりで、まったく勉強どころじゃなかったから、テストでは燐より低い点を取ってしまって、補習からはまだ帰れない。



(110808)





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