その時、私は死んだ。






体全身が麻痺している。暑いのか寒いのかも分からない。
痛いほどに眩しい光が目に差し込んで、歩くたびに吹く風に背を押される。

それなのに、今日という日は何故か心地がよくて何だか自然と目を瞑っていた。
そして、大好きな歌を口ずさんでしまいたくなる。けれど、私はきっと大好きな歌は歌えないに違いない。そう、途中で歌詞が途切れてしまうのだ。もう何年も聞いていない、歌っていない歌だから覚えていなくて、思い出そうとしても思い出せなくて頭の隅っこらへんがどこかモヤモヤっとし出す。ああ、あの頃に帰りたいという結論に辿り着いた先、ついには諦めてしまうのだろう。『大好きな歌だったのになぁ』と諦めてしまえば、いつの間にか今いる場所も、時間も、自分自身の存在さえも分からなくなって頭の中が不思議と真っ白になっていく。そして、深い眠りに落ちていこう。永遠に目が覚めないほど深い眠りに落ちていく。



落ちていたかった、のに。



「・・・何か用?」
「用はないよ」
「じゃあ、なんでここにいるの」
「君がいるから」


にっこり、裏がないような、清々しいしその表情。けれど、瞳の奥で怪しく光る何かを秘めた笑顔。そんな彼の存在のおかげで、私は呆然として、真っ白になりつつある脳内が、また一段と真っ白になって、しまいには何も考えられなくなった。そしてだんだんと重たくなる瞼。開け続けることなど今の私には辛い。

それにしても、にこにこと何が楽しいのか分からないけれど、彼は笑っていた。今に言えたことではないが、大体いつも彼は、にこにことしている。いつも、そうだった。しかし今ほど怖い笑顔でいて(私の目には不気味に映っていたのだからしょうがない)、真正面にある雑草がそんなに面白いのか、と思ってしまったけどそんなバカな事を聞くのはやめておいた。さすがに彼でも、そこまで雑草にお熱な人ではないだろう。は、と短く溜息が出て、あれから長い年月が過ぎたけど、私は未だに彼という人間の存在が意味不明であって、きっとこの人を深く知っているのは、というか理解できるのは兄弟のように仲の良いあの男ぐらいだとつくづく思う。


「ねぇ、君は・・・  」


生暖かい風が、吹いた気がした。

そして、何かが途切れるように頭の中から何かが消えていく。もう、何もかも考えたくなくなってきて、口ずさみたかった大好きな歌のことも忘れた。



「あのさ」
「うん」


彼の言葉をさえぎって私は言葉をつないだ。



「わたし、寝るから」
「ここで?」
「そう、ここで」


今からここで寝ます。

邪魔はしないで、という目で私が見れば、彼は困ったような顔をして髪の毛をくしゃりと掻いた。

困らせているのは目に見えて分かっているのに、私にとって彼の存在は鬱陶しいものでしかなかった。願わくば嫌ってほしい、呆れてほしい。

『ああ、早く解放されたい』

もう、1秒でもこの世界を見ていたくはないのだ。もとよりくしゃくしゃだった髪の毛が、荒く掻いたことで、余計にくしゃくしゃになっていた。どうでもいい人で、嫌いになってほしいはずなのに、鬱陶しい人間のはずなのに、彼から目が離せなかった。きっと、彼のせい。どうも思っていないのに、こんなに優しくしてほしくない。ああ、「友達だから優しくして当然じゃないか!」と言われてしまえばオシマイだけど。


「ここで寝たら風邪引くよ」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないよ」
「大丈夫だから」


ふと、見れば以外にも、にこにこしていた顔に皺がよって怒っている顔を彼は見せた。驚きながらも、私が負けずと「大丈夫」と言った瞬間、私達の存在を無視するかのように強い風が吹いてきて座り込んでいるのにもかかわらず、ぶっ倒れそうになった。だけど、眼鏡が鼻の下までずれて変な顔になっている彼が少し上に見えて私は、もうすでに自分がこの地に倒れこんでしまっていることに呆然と気がついて、溜息さえも呼吸さえも出ることもなく、ただ、ゆっくりと、だけど確実に目を閉じた。襲ってくる睡魔。今ではもう大好きなあの歌の歌詞のことなんてどうでもいい。彼の存在さえも、今しがたの強い風に飛んで行ってしまったかのように私の中から追い立てられ居なくなっていく。もう気にしない。でも隣から聞こえてくる溜息。嫌でもその離れて欲しい存在を感じてしまう。




ああ、本当に意味が分からなくて、いや意味は分かっているんだけれど、それを認めたくなくて、そんな自分が酷く惨めな気がしてきて涙が出そうになってしまった。彼が何を考えているのかとか、思っていることとか、分からなくて。分かる訳なくて。だけど、きっと気づいてしまっているんだろうと思ったら胸のどこかが疼いた。もう、どこかに消えて欲しい。いっそ本気であの風に彼が攫われてしまっていたら、どんなによかったことか。何のために彼がここにいて何で自分に話しかけてきたんだろう。ああ、私が友達だからだ。彼という人間は、どんな時でも友達を見捨てない素晴らしい人なのだ。分かっていた。分かっていたけど、そんな事分かりたくもなくて。少し夢を見ていたかった。夢なら冷めた時に全てなくなる。現実は、分かりたくもない、知りたくもないもの。にこにこ笑っている彼も、友に対して優しい彼も、現実だ。

そう、私は絶望している。優しい笑顔を向けてくる彼に。


「ちょっと、本気で寝るの?」
「もう寝てる」

『お願いだから、もうかまわないで』と言わんばかりに淡々と間髪をいれずに返事をした。だけど、彼はびくともしなくて、だんだんと不穏な空気になっていくのを微かに感じる。なんてことだ。余計に彼をここに留まらせてしまった。





「風邪引いても知らないよ」
「大丈夫」


だから、一人にして。

勿論だが、風邪をひかない絶対的な自信があるわけじゃない。だけど風邪を引くと100%言えるわけでもない。それでも、彼が眉間に皺を寄せている理由は知っている。


「今、何月か知ってる?」
「知ってる、1月でしょ」
「じゃあ、今日の最低気温は」
「マイナス14度」
「いま空から降ってるのは」
「あー、気がつかなかった」


今、初めて感じた冷たいもの。それは頬を掠めて、目を空けることもなく私はその存在に気がついた。きっと青白い空から降っているのは、冷たい冷たい雪。思えば、こんな所にいて風邪を引かないと胸を張って言える人間はそうはいないだろう。そして、こんな寒い日に1人フラフラとマフラーも手袋さえもしないで出て行った私を、きっと彼は心配して追ってきてくれたんだろうと思う。

だけど、私の体は、もう既に寒いとか暑いとかそういう感覚がなくなってきていた気がするのだ。
なにより彼がここに来る前、私は本当に平気だった。更には煩わしいことから解放されたかのように、とても幸せだった。あの時、あのままここで眠っていればきっと心臓は凍てついて動かなくなったのだろうか・・・とふと思う。




「そろそろ本気で怒るよ」
「私の事なんてほっといて帰ってよ」
「それは、無理だよ」
「どうして」




「僕がこのまま帰ったら君は死んでしまう気がするんだ」


ポタポタ、冷たいものが頬に降ってくる。

冷たくない、別に寒くない。大丈夫。
こんなものよりも、もっと冷たくて痛くて苦しいもの。それはあなたという現実だから。



「何言ってるの、死なないよ」
「嘘だ」
「ハハ、私は死なない」



ああ、もう死なない、死なないから、どうか私を1人にしてよ。
口元だけ笑ってみたけど、何故か筋肉が固まっていてぎこちない動きになった。彼にそんなもの通用しなくて、すぐに嘘だと見抜かれてしまっていて。本当は、最初から私が死のうとしていることに気がついていたのかもしれない。


ねぇ、このまま眠らせてください。夢を見せてください。現実は痛いだけなんです。なのに、夢さえも見せてくれないのですか。








「僕は、君に


  言わなければいけないことが、あるんだ」







また、冷たい何かが降ってきた気がした。


「ごめんね」






その言葉と共に、彼の存在が離れていく気配がした。
私たちの間にあるもの。そこには、もう現実だけだった。
遠ざかっていく足音が聞こえる。
優しかった彼はもう振り向かないのだろう。


私の頬には生暖かいものが流れ出ていた。





そう、彼は知っていたのだ。
私の気持ちを全て。

だから、これが最後だったんだ。
最後の言葉。彼が私に振り向くことは絶対にない。
「ごめんね」という彼の残した言葉が、冷たく私の心身に深く突き刺さっている。








そして、うっすら目を開けた先に見えたもの
降ってきた冷たい“何か”は、彼の涙だったことに。






 





もしも、意味があるなら その涙の意味を教えてください










back



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -