ブラックチョコ











口に広がったのは苦い焦げた、何とも言えぬ味だった。


我ながらすごいものを作ってしまったという感動。
それに引っ張られてついてきたのが、舌がしびれるような感覚。
「良薬苦し」というが、これは言うならば毒薬だと思った。


ウヘウへと沈む思いで頭を持ち上げ空を見やる。
鮮やかに変化する広い世界。
どこまでも続いている終わりの見えない空。
気味が悪いほどの真っ赤な空に浮いているのは大して意味のない雲たち。
ものを何も言わない。目の前にちらつくのは真っ黒い物体。たったひとつの。





互いの空間を飛ぶのは知られぬようにひた隠しにした甘い想い。
いつの間にか握り締めていたのは、荒っぽい包みだった。
これの言い訳が未だに思いつかなかった。
必要以上に息を吸い込んだためか、喉が小さく鳴った。

緊張していると嫌でも実感させられる。
抑えきれない想いが必死で訴えかけているような苦い音だった。





「あなたのためだけに作りました!受け取ってください!」




演出はバッチリだ。
目薬を使用し、涙目で頬をチークでピンク色に染めている。
さも【恋する乙女】のようにキラキラとした目で訴えかける。

傍から見れば、あの赤い空さえもずり落ちてきそうな、顔が綻んでしまいそうな微笑ましい愛の告白。
女は両手で確かに、だけど弱弱しく男の目の前にひとつの包みを突き出していた。




一刻程前の出来事が脳裏に過る。
目の前の女は、先ほど男の前に飛び出て来た女子を真似したのだろう。


が、生憎だ。この女にはそのような仕草は全くもって似合わない。
男は頭を抱えて、空と大地の間に酔う。
いつだったか「私の笑顔は世界を救う」とか何とかほざいていた女がすぐ傍にいて、笑顔で立っていた。
そして何やらこちらに差し出している。




「てめぇ、俺の前から消え失せろ」




突き刺すように睨み返し、差し出されていたぞんざいな小さな包みをバシッと払いのける。
目を見開けて傷ついた顔をした女。
一体何を楽しんでいるのか知らない。


そもそも、胡散臭すぎる演技。
彼は、そこまで付き合ってあげるほど、人間出来ていない。
この女のやっている事1つ1つ、全てが意味不明すぎて気分は急降下中だ。


「ヒドイわ!どうして受け取ってくれないの!」
「受けるも何もお前、わざとだろ」




盛大に溜息をついた。
その力なく塞ぎこむシュウを見て吃驚したように、目をパチパチさせる女。
だけど口元がニヤついていたのを見逃さなかった。


風が吹き付けて表情が一転。
言葉を1つ1つ噛み締めるように確認してから、女はわざとらしく口を尖らせ、やっと本性を現した。
コロコロと変わる表情が妙に緊張する。
その顔にどんな思いが込められているのか。いつ見ても分からない。
きっと15秒後には全く違う顔になっているのだ。


恐ろしい現実から目を逸らして深い空を見上げていると真っ赤な空が血のように見えた。
その内、天に召されていくような軽い感覚。
真っ赤な血が体にまとわりついていく。
記憶が遠のいていく瞬間、地上が揺れた気がして反射的に音のした方向に顔を戻してしまった。
あの赤い空の先にあるのは一体何なのか分からないままで、この世に戻って来てしまった事を少し後悔する。
まだ、誰も知らない場所。
行ってみたかった。
月も星も赤い空も全て越えた先にあるものは、何だ?


しかし、先に見えたのは表情の読めない女の顔。
眉を潜めた渋い顔が口元から円を描くように緩やかになっていくのをスローモーションで見てしまった。
突然のことで呆然としていると「ウヒャヒャヒャヒャ」という世にも奇妙な笑いがそこらじゅうに充満していった。
それが世界に木霊していて余計に奇妙感を煽った。
さくらは笑いのた打ち回っている。


まるで、悪魔の生まれ変わりのような女だと、ぼんやりと思う。
そう思ってすぐこの女自体が悪魔なんだ、と自身の誤りを清く正す。



「さっきの子、丁寧にラッピングされたチョコを持ってたね」
「欲しいなんて誰も言ってない」
「貰えるものは貰っとけって」
「タダより怖いモンはねーよ」
「タダじゃないよ」
「金がいるのか」
「愛を払えばいいじゃん」
「お前バカか」
「バカ言うな、バカ」
「お前こそバカ言うんじゃねぇ」




眠たげで人生に疲れたような目で返す。
冬から春はまだ遠い。だけど、風が心地よい。
赤い空が神秘的だとウヒャヒャと笑いながら女が呟いた。
興味がなさそうに男が僅かに頭を下に降ろした。


もうすぐ夜が来るなんて考えられない。
さっきまで真っ青な空だったなんて誰が思えるのだろう。




「でもさ、アンタしか見えてない目だったねー」
「うっさい」
「何お怒ってるんですかー、大人気ないよー」
「・・・」
「ウヒャヒャヒャヒャ」





奇妙に笑う口から挨拶する白い歯。
赤い空に全くの場違いで浮いていた。






「そもそも、俺はな。チョコなんつー、甘いモンは好かん」
「良いじゃん、別に」
「甘いものを貰って誰が喜ぶか」
「大抵の男は嘆き喜んでる」


だからと言って、あんないっぱいのチョコ誰が好んでもらうか。



「アンタも嘆き喜べ」
「・・・」
「モテる男は嫌味だね」
「ああ、もういい」





眉間に皺をよせ片目を細め女が口を尖らして呟く。
ちくしょう。避難先には悪夢が潜んでいた。
全身から不機嫌なオーラを遠慮なくまとう。


追いかけて来た女から非難して来た事を今更ながら悔やんだ。
愚かだ。
ああ。世界全てが愚かだ。


「悪夢だ」
「夢は寝てから見るもんだよ」


毎年のことながら、今日という日は本当に厄介だ。
貰って嬉しいだなんて。それが当たり前だと誰が言えるか。

それでも見上げる空は同じで。
同じで。

皆同じ生き物なのだということ。
それにしても、こんな所に吃驚たまげた事があったなんて。
女は何が可笑しいのか「ウヒャヒャヒャヒャ」と盛大に笑い始めた。




思い返せば今日という日は、男女の運命を左右する大事な行事を担っていた。
喜ぶ男たちの眩しいほどの目の輝き
かたや女どもの殺気。
一瞬で顔を真っ青にした野郎は自分以外にもきっといるだろう。





「バレンタインは女の子の日なんだ」



頭上から静かな声が聞こえる。
そういえば、何故にこの女がバレンタインを楽しみにしていたのか。
なんて考えてみたりしたが、分からなくて溜息が漏れた。



「誰かに渡す気だったのか」
「うん、そうそう」


質問される事を分かっていたかのように返答は早かった。


「でもさー、毒見したら失神するぐらいの失敗作だった」



「ウヒャ」と短く笑う女に冷たい微笑を返す。
今は味見ではなく毒味と言ったことよりも、女が誰かにチョコを渡すつもりだったということが重要だった。
面倒この上ないが、どっかりと座り込んでいた態勢から、背筋を正した。
真っ赤な血のような空はどうでもいい存在になっていた。



「なぁ」
「そうだ、失敗作だけどいる?」
「あ?」
「チョコ」





女の手に握られていたのは、やはり荒っぽい包みだった。
先ほどの女しかり、大半の女子が持つような包みとは比較にもならないほどに杜撰なラッピングだった。
この女は、そんな物を好いた男に渡すつもりだったのかと少し憐れに思う。
ああ・・・疲れさえ吹っ飛んでしまう。

空に向かって力なく掲げている女の手に届くようにと思いつつ男は腕をゆっくりと伸ばした。
気だるさが残っている。




「死んでも知らないから」
「死んだらお前も死んでくれ」
「死なないことを願ってるよ」
「化けて出てやるよ、そん時は」
「つーか、こんなんで死ぬわけないし。バカ?」
「バカ言うな、このバカ」



袋がガサガサ音を立てる。
中には焦げたチョコがケンカしながら押し込まれていた。

風とともに空へ香るのは幾ばく潜む甘い香り。






「にがっ」





1つ口にほおり込めば、冷たい環境下にチョコが存在していたせいか暖かな口内の中で瞬時に溶け出した。
焦げめのついた粘着質のある塊が歯に引っ付く。
女がまた「バカ」と小さく呟いた声が聞こえた。




苦いといえば苦い。
苦くないといえばそう。
甘いのが苦手な人間ならちょうど良いくらいかもしれないが、甘党なら殺人的だが。



どういう思いで、女がこれを作ったかなんて知らない。
ふと、2個目に伸ばしている己の手が止まる。





残る疑問は焦げた苦味。
これは、本当に失敗作か。
聞こうとした。

が、どうしてか、その言葉は空気に触れず声にはならなかった。







「ありがたく貰えよ、コノヤロー」




さっきまで陽気だった女の声は、震えていた。


















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