彼は笑ったのだ。


そう、笑っていた。


















キズ
キズ


















「やあ、ミス七瀬(ななせ)
「何の用かしら」





正直、話しかけてくるなんて思わなかった。
だから思わず顔は不審になっていたのか、彼は苦笑して私の隣に腰掛けた。
その時に、甘い匂いが鼻に香ってきた。
私はその匂いに溜まらず、顔を背ける。





「何をやっているのかな」
「見りゃ分かるでしょ」
「いやぁー、僕馬鹿だから分からないよ」
「よく言うわ」





この男はとても厄介な性格だと思う。
分かっていながらあえて私に言わせるなんて性格が悪すぎる。
彼ならこの状況をどう判断するかなんて意図もたやすい事なのだから。





「頬がはれてるね、しかも引っ掻き傷まである」
「最悪よ」
「早く冷やした方がいいんじゃない?」
「いいわよ、別に」
「女の子なのに、跡でも残ったりしたら大変だよ」

「アンタには関係ないことだわ」




そうだったね、と爽やかな笑顔で返した彼に苛立ちが募ってくる。
一体彼は何のためにここに来て、何のために私に構ってくるのか、今まで別にかかわりなどなかったはずだ。
それなのに何故いまごろになって



彼はポケットからある箱を取り出した。
それは、私の大嫌いなものだった。だから思わずそれを睨みつけた。
私がずっとそれを見ていることに気がついたのか、彼は私にいる?と聞いてきたのだ。
ピリピリした空気の中、「大嫌い」そう返すとまた彼は苦笑した。






「はぁ・・・何だかなぁ」




彼が口から出した白い煙に、わざと咳き込んで彼を睨んだ。
だけど、ニコニコ笑っているだけだった。





「ウザイから、息吐かないでちょうだい」
「君といると疲れるよ・・・」
「じゃあ、どこかに行けば」
「君が行ってくれればいいじゃないか」
「アンタ、最低ね」



「いやいや、そういう君もじゃないか」
「私は彼の願いを叶えてあげただけなのよ」
「でも、それは彼女を傷つけたんでしょ」
「つまり私が悪かったって言うの?」
「誰もそんなこと言ってないよ」
「じゃあ、何だというのよ」





草っぽい匂いと胃にグッとくる匂いと白い煙が、私の体を包み込んだ気がした。
大嫌いな匂いな筈なのに、如何してわからないが安心できた気がする。ピリピリの空気が静まったことが自分にも分かったぐらいだ。
そんな私を見て彼はまた息を吐いた。





「これ、いい香りでしょ」
「そうかしら」
「アイツから奪ったモノなんだ」
「今頃それがなくて困っているんじゃないの」
「あはは、そうかも」





地が揺れる。
そんな錯覚に陥った。





「肺が真っ黒になるわね」
「うわー、嫌だねぇ」
「早死にするがいいわ」
「あいにく、僕は初めて煙草とやらを吸ったのだよ」





初めてだと?なんと、ぬけ抜けと嘘をつくものだ。さも愛煙家の如く、馴染んでいうるような口調でその煙草を吐く。初めてでよくもまぁ自慢したな、と本気で突っ込んでしまった。
そして、こいつは本気で一体何がしたいのだろうか?
その煙草を自慢しに来たのか、ただ哀れな私を笑いに来たのか、どちらにせよこの男が最悪な事に変わりはない。





「君は1人の男に誘われた。だけど君はあからさまに怪しく思って1度、断った」
「そうだったかしら」




わざと惚けてみる。
とてもじゃないが常識のない自分にとって、こうする事しか逃げ道はないのだ。





「何故なら、彼は付き合っている彼女がいたから。だけど君が断っても彼は一歩も引かなかった。しつこいほどだった。1度だけ寝てくれればいいなんてそんな事頼まれて誰が許すのか。だけど君はとうとう折れた。そして彼女がいることを知りながら君は男と寝た。その事は、彼の彼女にばれた。そしてその結果がこれ」





頬を殴られて、あげくにはご苦労様に跡が残りそうな引っ掻き傷まで彼女は残していった。
私は今や最低最悪の尻軽女と言われているに違いない。頼まれれば、誰にでも簡単に足を開くような安い女だと、
どうして自分がこんな目にあわなければいけないのか、私はただ男が「どうしても」としつこく付き纏うから寝てあげたのだ。


つまり私は利用されたというわけ
思えば、彼女も彼女だ。彼の事が好きならちゃんと繋ぎとめていろっていうんだよ。





「アンタも私としたいわけ?」
「いやいや、勘違いしないでくるかな」
「じゃあ、何の用よ」




風が吹いてタイトスカートがなびいた。
気がつくと彼が咥えていた煙草は消えていた。




「七瀬は馬鹿すぎるね」
「光栄だわ」
「君は哀れだ」
「慰めてくれるのかしら、ドウモアリガトウ」





そうだ。彼女に言ってしまえばいいのだ。
コイツの今、出来てしまった秘密を。コイツの彼女は確か煙草は嫌いだったはずだ。





「それもいいかもしれない」
「なんで」
「もう潮時かもね」
「彼女の何が不満なのよ」
「不満なんてないさ、むしろ満足しているよ」
「あ、そう。惚気ならよそでやって」
「ただ、君が見ていられなかったんだよ」
「大きなお世話よ」





嗚呼、彼は何もかも知っているんだ。
彼は一体何者なのだろうか、果たして彼は私の痛みを気付いているのだろうか。





「空が泣いてるわ」
「泣いているのかい?」
「どす黒い空よ」





空を見上げる私の目には空が涙を流しているように見えた。
地面にポタポタ音を立てているかのように落ちていく涙に、
私の目に見えたのは、彼のさわやかな笑顔とは違い、対照的な真っ暗な空





「君は彼の事が好きだから断れなかったんだ」
「うるさい」
「馬鹿だよ」
「うるさいってば」





冷たい雨が降っているように、地面が濡れていく。
ああ、空が泣いているんだ。
誰かの代わりに泣いてくれている。

















僕は別に、〔空が泣いている〕と君が思うなら別に否定はしないけど。

だけどね、空は笑っている
少なくとも僕には、空が笑っている。そう見えてるよ。


そう彼が1人呟いた気がした。


















































「ああ、・・・雨が降り出したね・・・」









彼の優しい嘘に私は黙って頷いた。
どんな顔をしているのか私はもう知らない。分からない。彼の声は、不釣り合いなほど酷く落ち込んでいた。






























































































































だけど彼はやっぱり笑っていた。


























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