いったい、いくつの過ちを犯せば済むのだろうか。


そう、誰にいうでもなく目の前のぽっかりと空いた空間に問いかけて私はふぅ・・・と小さくため息を漏らしてから、顔を覆っていた両腕を下ろし、ベットから起き上がった。
体がだるいなぁ・・・というのが今一番の感想であったが、このまま何もせず、天井と何もないぽっかり空いた空間を見ているだけの人生じゃあ寂しすぎる。


今日1日のだらしない何もない時間だとしても、すでに私は2日も学校を無断欠席しているのでこのままさびしい人生、いや時間を過ごすわけにはいかない。それでも、いざという時には体は動くのだけれども、普段休みの日や学校がない日にはめちゃくちゃだらしない。



土日は必ずダラダラと誰に命令されたわけでもなく、お決まりのお昼の時間に起きて寝転がりながらテレビを見て適当に冷凍食品を食い漁る。休みの日は、母親や姉はそれぞれ個々の用事に出かけていることが多く、家にはだーれもいない。私だけが、ただ1人寝転がっているだけである。

こう言うと、なぜ人は心配したり悲しそうにしたり憐れむような顔をするのはなぜだろうか。別に家に1人でいるのはだれもが経験していることだし、お昼ごろに起きてみたら家の中には自分しかいなかったという悲しい経験をしているのはきっと世界中のだれもがわかってくれる気持ちだろう。

それに、私にとってはこの誰もいない自分だけが存在しているこの家の中が大好きなので、とてもじゃないけれど心細くなったりお母さんを恋しくなって泣くことはありえない。小さい時からそうだったが、本当に自分はひとりでいるのが好きなんだなぁとこういうとき実感してしまう



なにせ、家族全員(と言っても、母と姉の3人きりの家族だが)が、この家にいるときはうっとうしいほど恐ろしいほどにうるさくてうるさくて仕方がないのだ。

もう、すべての世界から閉ざして自分の中に閉じこもって好きな音楽を聞いてしまっているほうがいい、もちろん勉強なんてできるはずのない環境だ。
姉なんて大学3年生になったにもかかわらず、いまだにアニメを見ているし録画したアニメ・ドラマの数は数知れず家の中には大量のビデオと漫画の本、単行本、アニメのグッズが散乱している。彼女には卒業という文字もなく掃除という文字も正しく適応していないほどの物に執着して捨てに捨てられない性分である。積もり積もった部屋のモノを見るたびに自分は強く思ってしまう


きっとこの家が奇麗になる時はこの家が火事にあってすべてのものが丸焦げになって灰になったときなんだろうなぁ・・・と。一人ぼっちの家に女の子は一人で留守番をして、母と姉が帰るのを待つ、それも外から見ただけでも思う、汚らしいボロ家だとわかるちっぽけな倒れかけた一軒家で。

もしかしたら私は本当にかわいそうなのだろうか。そうかもしれない。


≪ああ・・・そういえば≫


と可哀想な自分の中でふと、今まさに思い出したことを私は大して心の思い出に大切にしまっておくことはせずに鼻を(ハッ)とひとつ鳴らしてその思い出 ―ふと何気なく思い出したこと― をポイっとゴミ箱へ投げずてた。・・・が、きっとその思い出はゴミ箱の縁に当たり跳ね返ってまた、処理されることなく整理されることなく私の心の思いでの中へ帰ってくる。


そんなことを繰り返した私の可哀想の原型に最もあてはまるのは
【父親がいないから】ということだろう。いや、それにしても父親や片親しかいない子どもは世界中にどこにでもいるし、それ以上に自分の命さえ保証がない戦地の孤児の子どもは、きっとそれ以上に憐れみや同情の顔を向けられてきているのだろう。

別にそんな悲しそうな顔を向けてほしいと願っているわけでもないのに、人は時として分かったような気持で「かわいそう」とか言ってくれるから変だ、全くもっていい迷惑だ。かわいそうなんて恵まれていないなんてそんなことは本人が一番分かっているものなのだ。

けれど、それでも懸命にここまで生きて逃げてきたのに「かわいそう」なんて言葉は間違っている。「頑張って生きてきたんだ」という人に何を言うか。私は心の中でその言葉を戦地の子どもかどこかにいる頑張っている人に向けて言った。もしかしたら、その言葉は自分に言っていたのかもしれないが。
しかし実に残念ながら私は、とても平和な国と呼ばれる日本(きっと平和なんて言葉は遠に似合わない日本なのだが)に住んでいる今はまだホームレスにならずに済んでいる一般人のただの人間だけれど。

実は近所では知り合いの中では、可哀想とか不幸だとか辛いねぇと呼ばれちゃう私は、ただのちっぽけな本当に存在しているのかさえも不明確で実感の乏しい不を背負う人なんだなぁ・・・。私なんてきっと戦地を生きる子供や人々には敵わない。足元にも及ばなくて生涯1度きりとして彼らと会うことはないのだ。会うことなんてできない。
そうだ、私は弱虫だからだ。だから必死で生きる人間の顔を見ることも、友を作ることも出来ずに、いつの間にかパタリと心臓の機能が止まって死んじゃっているに違いない。


生きることを強く願い、それ以上に死さえも望み、けれど生き続けて走り続ける人生と、ひたすら可哀想と言われる人々の中に佇むボロ家で、うるさくて仕方がない家族と生活し、ただただ、息をして何となくここに自分という人間がいて何故だか苦しくなって悲しくて空しくて寂しくて、やっと一人になったボロ家の中で明かりをすべて消してゴミに囲まれながら寝転がり泣いている人生は、さてどちらが幸せなのだろうか。



私にはわからない。


それよりも、私は戦地に生まれていたとしても生まれる前か、もしくは鳴き声を発する前に爆弾が飛んできてあっけなく死んでしまうかもしれないなぁ・・・。そうだ、きっとそんな人生なのだろう。そうじゃなければ、誰かに売られ買われ売られを繰り返して最後には道端にだらしなく倒れて終わりゆく人生を送るのかもしれない。


ああ、なんて不幸だ



















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