あまーい匂いに誘われて、私は夜にやって来た。 「あのね、コウ」 「何かな」 「それ頂戴」 「やだよ」 「何で」 「何でって。どうして、僕がサチにチョコレートあげなくちゃならないの。」 「それは私が今日誕生日だからです」 「そうだったっけ?」 と意地悪に笑うコウを私は涙目で睨んだ。 勿論、涙などと可愛らしいものは本気で出てはいないが、今はこうする他に選択肢はなかったので、仕方なく≪乙女の定番≫で涙を流す。目薬を準備していた甲斐があり、完璧だ。だけどニコニコと微笑んでいるコウはきっと、いや絶対に。嘘泣きだと分かっている事を私は分かっていた。 「そのチョコレート欲しいな」 「生憎、君にあげるものなんてないんだ」 「恵まれない少女に分けてあげてよ」 「サチは十分恵まれているさ」 普通に生きていること自体が恵まれているのだから、僕にしたらサチは十分恵まれているんだよ。なんて考えていてもしょうがない。 「コウのケチー、そんなケチだと将来ハゲるぞー!」 「はは、何とでも」 「ブーブー」 「まるで、サチはブタだね」 「ぎゃー、それは言わないで!」 「ははは」 「(なんて奴だ!)」 私はもう1度チョコレートを確認して、コウの笑顔を押し切り、その手に握られているチョコレートめがけて手を伸ばす。だけど、コウがそれを許すはずもなく、私のもとからチョコレートを遠ざける。これは、きっとあれだ。大事な大事な、幻のクリーミーエクセレントチョコだったのだろう。誕生日だからといって譲ってはくれないらしい。 乙女の涙も効果なしだったので、今度はムカついた時の対処法で試みた。むむむ、と睨んでみる。だけどコウは手に持ったチョコレートを頬張りながら幸せそう。(ああ!私のチョコプリーズ!)私はというと、未だに伸ばしたきりの宙に浮かぶ手をしょんぼりしながらおろした。虚しくも何も掴めなかった手の中を見て、お腹すいたと思う。コウもそんな私の手の中を見たのか、目が合って恥ずかしくなってしまった。だけど私の頭の中にはコウからのプレゼントを何でも良いから貰いたいという気持ちがあったのだ。何でも良くなんかはないけれど、きっとコウは私が欲しいって言わないとくれなさそうだ。タカっておいて何て図々しい。ハチャメチャだ。やっぱり、将来ハゲる! 「こーうーくーん」 「わぁ・・・」 「ぎょえ!」 先ほど、宙に浮いていた何も掴めなかった彼女の手を僕は掴んでいた。その手は、とても小さい、と思った。当たり前な事なんだけど、やっぱりサチは女の子なんだ。なんて思ったりして、普段はとてもそんな感じはしないけど、よく考えたら、彼女は涙で男をノックアウトしてしまうぐらい可愛いと思う。まあ、僕には涙も睨みも何も効かないけど。 「コウ、どうしたの!」 「うん?何が」 「私の手なんか握って!」 「うーん、当たり前なんだなと思って」 「いや、分け分からんよ!?」 私はコウの顔の目の前で、コウの手ごとブンブン左右に振って、その目を覚まそうとするけど、コウはいたって笑顔で、笑顔過ぎて怖いぐらいだけど、数回それを繰り返したら私の手はぴたりと瞬間止まった。それは自分の意思で止めたわけでもない。コウによってしっかり止められたのだ。未だにガシリと掴まれていて、吃驚して、予想外の事に目を丸くした自分がいた。 何!と言おうとしたけど、私の視線は私の腕を掴んでいるコウの反対の手の中にある美味しそうなチョコレートに目が行ってしまった。まだ半分も残っているではないか。神は私を見捨てていなかった。 掴まれている事を良いことに無駄に近づいた距離を利用して、私は掴まれていない方の手を、チョコレートへと再び「すっ」と伸ばしてみた。 「僕にとってはね、サチが生まれてきた日なんてどうでも良いんだよ」 ヒドイ!酷すぎる。そんなひどいことを言うのは誰よ!何てそんな現実逃避は無理で、私は本気で涙ぐんで来てしまった。だって、コウは私の事なんてどうでも良くて私が生まれてきた日なんてどうでも良くて、つまり私の存在自体どうでも良い、と ああ、この先、私はどう生きていけば良いのでしょうか、チョコレートすらもらえない哀れな私、るるるー 伸ばした腕を力なくだらん、と下に下ろす。 ああ、もう今夜は自棄酒だ!へっへっへー、私はもう人生を捨てるのさ! 「(シクシク)」 何となく手首が痛いと思っていたら、私の手はまだコウに掴まれていたのだ。早くしないと美味しそうなチョコレートは溶けてしまうと言うのに。ああ、チョコレートなんてどうでもいいんだよ!私はコウからもらえるんだったら何でも良いのさ!ヘイヘイ!カモンカモン!プリーズ!チョコ! 「サチ、もう寝たら」 伝わっていた温もりがなくなって、ああ、寂しいなと思っていたら、私の掴まれていた手がだらん、と下に落ちた。コウは再びチョコレートを頬張る。まるでハムスターみたいだった。 「やだよ」 「寝る子は育つっていうじゃないか」 「どうせ私はペチャパイよ!(もうダメだー!)」 「誰もそんな事言ってないじゃないか」 「コウのバカ!」 「まあ、サチほどバカじゃないけど」と言うコウに私は立ち上がっていた。「どこ行くの?」と、図々しくも聞いてくるものだから「寝るの!」と怒鳴りながらドスドスと音を立てながら私はユウの部屋を出て行こうとした。コウの家と私の家は隣同士で、思春期を遠く過ぎた今でも、気軽に行き来し合う仲だ。(注意:男女の仲ではない) ああ、何か本当に自分ブタみたいと思ってしまったのはこの際、忘れよう。 どうせ私には寂しい人生がまっているのさ。いいんだ、いいよ。コウなんてどうでもいいよ。私だって、コウの誕生日には、何もあげないんだから。欲しいって言っても何にもあげないんだから!皆、プレゼントくれたのに!おめでとうって言ってくれたのにさ!! どうでもいいんですよー、私はどうでも良いんですよ。コウにとってどうでも良いんですよー。 「おめでとう」 なんて、空耳だろうか。私は勢いよく振り返る。そこにはやっぱり笑顔のコウ。だけどチョコレートはすでになくて、抜け殻の包み紙だけが転がっていた。何のつもりなんだろうか。今頃おめでとう、って・・・ 「私の生まれた日なんてどうでも良いんじゃないの」 「うん、どうでもいいよ」 射しかかった希望の光は、あえなく「ぶしゅー」っと音を立てて闇に飲み込まれていった。一体全体どうしてなの?コウは何のつもりで言っているのか。ああ、私はからかわれているのね! 「さいなら(頑張れ、私!)」 くるり、とまたコウに背を向けて今度は弱弱しくふら付きながら歩く。もう、力なんて出ないのです。私はもう寝ます。寝て寝てボン・キュッ・ボンの体になってコウを鼻で笑ってやるのさ。その時に好き、だって言っても遅いんだから、へへーんだ。・・・・こんな妄想してる自分が可哀想。というか哀れで他人事のように何故か同情してしまった。どこかで笑い声が聞える。皆楽しそうだけど私だけはブルーで 「僕は365日、24時間、1分、1秒、いつだって、サチがこの世に生まれてきたことを感謝してるんだよ。今だって、そう」 ボフン、とコウに抱きしめられて私はチョコレートより甘いな、と顔が火照った。 |