ずっと冬は隣にいた。










今はまだその目と向き合うことは怖くて、だから逃げ出してしまいそうになった。出来ることなら真っ白な雪景色みたいに私の視界がぼやけていて欲しい。お願いだから、お願いだから、もうそんなに真っ直ぐにこっちを見ないで。見透かしたような冷めた目を向けないで欲しい。破裂してしまいそうだ。






「お前さぁ、いつまでも引きずんな」


「ありえないー」と叫んでしまいそうになる(というか叫んだ)ほどの寒い寒い冬の日。真っ白な雪が降り落ちている。そんな白く霞む世界が私の前に広がっていた。その景色は「雪が積もってくれなくて悲しい」という幼い頃の記憶を思い出させた。涙が出てきそうなくらいに綺麗だった。口が自然にボワァと開いていって気がつけば口の中にも雪が入り込み溶けていった。ああ、寒さなんて吹っ飛んでしまいそうになるほどに現実感がない。この白い景色が眩しかったのです。きっと、流した涙さえも寒さで固まるのだろう。自分の存在のちっぽけさをひしひしと感じる。この景色はとても尊いものだ。大事な風景。いつまでも、いつまでも、一生この空間に浸っていたい気持ちがどんどん膨れ上がっていって、いっそこの雪の中に埋もれて眠りにつくことができたのなら、どれ程に素敵なことだろうと自殺願望まで沸きあがってくる始末だった。そうしている内に、いつの間にか彼がぶすっとした顔でこちらを見ていたことに気が付く。そして溜息をついた気がした。だけどそんな事どうだって良い。彼が吐き出した溜息が白くて濁っていない白色なことにも納得する。当たり前なことであったは、とてもそれは大切な事実だったのだから仕方ない。あははは。そうだ、もう死んでしまえばいいのだ。雪に埋もれてしまえばいい。さぁ、穴を掘ろうよ。



「そんな雪が好きか」
「うーん」


まるで子供みたいに、初めて雪を見た子どものように心が浮足立っている。はしゃぐ。何かが抜け落ちてしまったみたいに軽い。そんな私を眉を顰めながら鋭い目つきで睨みつけた彼に一瞥だけして、気にしないことにした。以降はそちらに目を向けることもなく言葉だけを投げ返した。降ってくる雪が不思議な感覚をもたらしてくれる。そういえば、今頃みんなは何をしているのだろうか。なんと言うか、私の足取りはおぼつかない。死にかけだった。息が荒いのはきっと気のせいだ。でもそんな事今となってはどうでもいいしあんまり考えない。気がついたときに考えよう。いつまでもこの場所に立っていて、空を見上げて、ぼけーっとしていたい。寒い世界。冷たい空気。白い道を見ていた。相変わらず隣にいる男は怪訝な顔をして突っ立っている。居心地の悪さを感じつつも、何にもしゃべろうとしない彼に何とか会話をつなげようと考えた私の頭。一番の聞かなければならない事を聞くべく口を開いた。導き出したのだ。

跳んでいってしまいそうになる足を何とか地に押し付けながら「何でいるの」と聞いたら「お前がいたから」と返ってきた。その言葉に、答えが頭の中を猛スピードで駆け巡る。彼はもしかして、私を殺す気なんだと今までの出来事から思ってしまった。今の言葉でハッキリしたのだった。
それもタチが悪い。心臓が本気で停止したかと思った。本気で遺書書いてなかったな・・・と悟ってしまったほどに。我ながら、そんな事を考えてしまう私の頭の中はめちゃくちゃだなと感心する。してしまっても仕方ないのです。


何とか、そこから離れたくて仕方がなかった私は変な奇声を発しながらも次に繋がる言葉を探した。その変な奇声に突っ込んでくれるかなぁと期待していたのに、本当にこいつは無口だ。彼は、ぼうっとして、さっきの自分と同じように空を見上げていて。しかもその顔がすごく真剣だったから吃驚して数秒目が話せなくなってしまった。
思い返してみれば、そんな急いで会話を見つけなくてもいいんだと安心したのもつかの間で、そんな余裕は私の心には全くなかったんですけど。何でそんな真剣なんだよ。いつもはそんな真剣な目しないくせに。・・・うがー泣きそうだ。鼻水もたれてしまいそうでヤバイし凍ってしまったらもっと嫌だと、身震いがする。


私は彼から目を離した。焦りは収まってくれずに挙動不審な怪しい行動をとってしまう始末でどうにもこうにも自分自身が嫌になってきてしまった。と言っても、嫌になったのは今始まったことではなくて。
鼻をさする彼に、寒さに耐えているのがふと分かった。


「ねー」
「何?」
「今まで、どこにいたの」


ここに来る前、どこを見てもどこに足を運んでも彼は見当たらなかったと思う。というか他の皆もいなくて1人ぼっちになった気がして寂しくなって寒かった。それでも、見つからなかったことに安心したような何だかやり切れない気持ちが混ざりに混ざって、だけどとうとう嫌気がさして、全てがどうでもいいと思いつつここにやって来た。そしたら探していたんではないけど、探していた人が来てくれて何なのだろうと思ってしまうのも無理はない。居てほしいときにはいないくせに。
どこに潜んでいたのだろう。


「女に追い掛け回されてた」
「へ?」
「んで、ここに逃げてきた」

ニヤリという彼。その光景が頭の中に浮かんできた。

「女の子ほっといていいの?」
「しらねーよ」
「うぎゃッ!」
「つめて・・」

ビュウっと強い風が押し倒すように吹きつけてきた。
規則正しく真っすぐ落下していた白い雪が、突如風に煽られ、斜め向きに吹く。
雪が顔めがけて飛んでくる。それをよけることも出来ずに冷たさだけが後に全身に残った。空が冷たく微笑んでいる。


溜息が溢れそうで出ない。あこがれ続けた雪も今では見慣れてしまった風景になってしまっていることに哀しみがあった。出来ればあの頃に帰ってしまいたいと言う。幼い頃には考えられなかった感情が存在していた。いつかは風化してしまう気持ちが今は羨ましくて仕方なかった。どうか、この気持ちが消えてしまえばいいとずっと思っていたし。ほんの数日間の間だけだったのに長くて長くて何十年も苦しんでいた気がして彼と隣にいる彼女を見かけるたびコソコソ物陰に隠れてしまう自分が何とも情けなくて惨めで仕方がなかったんだ。
それなのに、本当に逃げているのはそんな事ではないことに気がついてしまったら、どうなるんだろう。違う。気がついていないふりをしている。泣ける涙さえも見つからない。
見れば、彼は服に付いた解けた雪の残骸を追い払っていた。


ああ。今この時も、私と同じようにこの空を見上げているのかなぁって思ったら悲しい思いが、どこか心のどん底まで消えて行ってくれるようだったから、そのアホな考えでも良かったとつくづく思う。ていうか、これを今、言おうと思ったけど言ったらバカな人間だと思われそうなのでやめた。まぁ、そうじゃなくてもバカバカっていつも言われてるし思われているんだけど。
別にアホだとかバカだとか死ねとか言われてもどうだっていいはずなのに。いいはずなんだ。それなのに今の私には何だか変なブライドが顔を出して、言葉を消してしまった。


「ふつう何時間も外にいるか?」
「あー五月蝿いなぁ」
「なぁ、寒くない?」
「そんな寒いならどっか行ってよ」


「ぜってー風邪引く」とブツブツ言う彼が鬱陶しい。ムカつく存在で出来れば消えて欲しかった。だから、自分に都合のいいように解釈して早くここから立ち去りたいという気持ちを尊重させて追い払おうとした。でも反対にそれは逆効果で余計に彼は眉を顰めて目を細める。
その表情をうっすらと見てしまった途端これほどなく奈落のそこに叩き落されたみたいに眩暈が襲った。そんなに嫌いな奴ではないのに今は世界で一番憎い存在にまでなってしまっていた。私は彼を邪険にするしか出来なくなってしまっていて困らせて怒らせて。

そして同時に今、世界で一番私に近い存在になってしまっていた。それだけで、彼という男が大嫌いで苦手で冷え切ったはずの心が彼の1つ1つの表情で笑えたり悲しくなってしまう。そんな心臓は悪すぎる。気持ちがもういっぱいいっぱいだ。嫌で嫌で仕方がなくてもうここからいなくなって欲しいと心からそう思えた。何でこんなに近いんだろう。お願いだから、もう悲しい思いしたくなかった、のに。




「なぁ、そんなにアイツが好きかよ」



一瞬、耳が頭が体が急停止したのを感じたのは気のせいか。
だけど確かに分かるのは、息が止まるほどに苦しくて、苦しくて酸素は有り余るほどに周りに存在しているのに私自身が取り入れられる酸素は全く存在していないかのように息が出来なくて、意識がぼんやりとしてきて、もう何が何だか分からない。言葉が出ない。出てくれない。言葉は難しい。分かり合えるなんて言葉、大嫌いだ。ああ、もう。なんて言えばいいんだ。きっと、この場所にじゃなかったらちゃんとした返事が出来たのかもしれない。もはや、この場所に罪を擦り付けるしか術は思い当たらなかった。
もし、いつもどおりの平常心を保った自分だったら「あんたには関係ない」とか「もうあんな奴忘れた」とかけんか腰に言い返せたはずなんだ。全てはこの白い、美しい世界が悪いんだ。



「早く、忘れろ」
「ほっといてよ」
「ほっとけるわけないだろ」
「何言って、んの、さ」
「そっちこそ何泣いてんだよ」


この白すぎる寒すぎる世界に馴染んでしまったと思えていた私の心は思った以上に強くは出来ていなかったみたいで。
冷たい雪が残る頬に流れる温かな液体が熱すぎて目頭が温かくて、だけど締め付けられる心臓の痛さが苦しかった。深く吸える空気が欲しい。ああ。はやくこの雪に埋もれて感じられなくさせてよ。


「お願いだから、どっか行って」
「無理だな」

分かってたんだ、分かってたんだよ。
あんな奴なんてもうとっくの昔に忘れてしまっているなんてこと。ほんの数日前の出来事なのに懐かしいと思える自分の性格がすごく素敵だ。でも、そう思えたのは自分の性格が楽天的とかそういうもんで片付けられるものではなかった。悲しむ余裕もなくまた始まってしまっていた。恋は。
どうして、神様はそんな意地悪なんだろう。
雪に埋もれて涙も全てが凍ってしまえたら、どんなに良いだろう。なのに、どれ程立ち竦んでいても何かが邪魔して凍ってくれなかった。
ただただ、ポタポタと落ちる涙が雪に溶けていくだけだ。


「お前、死ぬ気か」
「うん」
「あんなことで死ぬなんてバカすぎるぞ」
「五月蝿い」


都合のいい女とか、変わりやすい女とか、そんな事どうでもいい。
もう、全て分からなくなってしまった。今の自分の感情が良くないとか良いとかそんな事が渦巻いてるだけだ。近くにいすぎたせいで分からなくなってしまった。何だ、何なんだよ。ただの友人のくせになんでこんなに心の中までに割り込んでくるなんて最悪だ。お願いだから、もう痛いんだってば。疲れたんだってば。驚くほどに早すぎて気持ちが追いついてくれない。どうにかして。



「死ぬわけないだろ」
「死ぬもん」
「変な意地張るなっつーの」
「死ぬからどっか行ってよ!」
「死人出したくないし」


一歩も譲らない男にムカついて睨み返してみれば、意外なほど彼の顔が強気な言葉とは裏腹に、ありえないほど情けない顔であったことに気がついた。
ガシッと言う豪快な効果音が鳴り響きそうなぐらい強くつかまれた腕が心臓の痛みよりもっと痛くて吃驚と言うより唖然としてしまった。真っ白い雪が彼の真っ黒な髪の毛に舞い落ちる。



「なぁ、お前は死なないよ」


情けない顔が痛いほど真剣な目で、どうしてそんなに断言できるのだろうと考えても分からない。そんな事が分かるのだろうか。そんな事はありえない。私の死ぬ時は誰にも分からないし決めれる訳もないのだ。それなのに、彼は真実を言っていると、信じてしまいそうになるのは何故なんだろう。


「空見てみろ」
「・・・あ」


どうやら、大雨のように降り続いていた雪が少しずつだけどやんでいることに気がつかなかったのは、寒さで感覚が鈍くなっていたせい。分からなかったらしい。それじゃあ、彼だって寒さで可笑しくなって、鈍くなっているはずなのにどうして分かったんだろう。心の中、問いかけた言葉はまたしても消える。
何故なら、真っ白な景色の中心には、眩しく光る太陽が見え隠れしていて、これ以上祈っても雪は降ってこないし雪は積もらないだろうし、温度は少しだけ高くなるかもだし、じゃあもう私はここで死ぬことは出来ないのだと思い知らされたのだ。

心の中が空っぽになったみたいに軽くなった気がして。
だけど、これからまた痛い思いをしなければいけないのかと思ったら眩暈が襲う。それでも、死ねなかったことが無性に嬉しいなんて。矛盾しすぎている。



「いい加減、俺を好きになれっつーの」


掴まれた腕がヒリヒリしていて、耳鳴りのように幻想的な感覚がやってくる。ぼわんとしていて鼻水がたれそうだったけど、彼の不安そうな表情と真っ赤な鼻がガタガタ震える体以上に、この場所の確かな冷たさを自覚させてくれた。自分の鼻も真っ赤だろうと思ってしまうと鼻水さえも涙さえも可笑しくて吹き飛んでしまいそうになった。


難しいこととか、痛いとか、分からなくても、まあそれも良いかなぁなんて思ったりしてしまったのは、いつの間にか私が彼を好きになってしまったからだなんだ。そして、勝手に向こうが入り込んできたんじゃなく、私が求めていたんだ、と。どうも、自分は情緒不安定な時期に差し掛かっているのだろうか。



「ねえ」
「何だよ」


不愛想な顔が掴んだ腕の力と比例していて。




「これからも、どうぞよろしくお願いします」




















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