今、この時を生きている自分がいることに。 今、私という人間がこの世に存在していて、この場所に立っているということを。 そう考えてみると、実に不思議な気持ちになってしまう。だって、今ここにいるのは確かに私で、私以外にはいなくて、知らず知らずのうちに、ここに来ていて、そしてまたもや知らず知らずのうちに自らが進んでなのか誰かの陰謀なのか何でか、窮地のどん底に入ってしまったという事実も偶然なのか、それとも生まれる前からすべては決まっていたことなのか、兎に角この世のあらゆること全てにおいて今の私には不思議なものに映ってしまっていた。 そして、一番気になるものは、なんで私はここにいるのだろうということ。 私が存在していること自体も不思議なのだけれど、それ以前にこんな遠く故郷を離れてまで来て何をしているのだろうと思わずにはいられなかった。実際、それほど離れている場所でもないはずだけれど、ここはどこだろうと一瞬、記憶喪失に陥ってみるのも面白い。問いかけても誰も答えはしない。 こんな事、誰がわかるんだろうか。そして、このなんとも滑稽な疑問は、ただただ過ぎていく時間と共に大きく膨れ上がっていて今にも私の体から飛び出してくるようだった。 世界中の、今生きている人たちに私は問うてみたいのだけれども、それは無理なのだろう。もしも、何かの間違いで答えてくれる人がいたとしても、その答えというのは、どこかの宗教的な思想で「君は君にしか出来ない使命を与えられて、この世に生まれ、そして今そこにいるのだよ」と自信たっぷりに答えられ、そう言った己にうっとりしながら、洗礼を受け祈りを示されるに違いない。 確かに、そういう答えでも良いかもしれない。 それに、与えられた使命なんていうことを言われちゃあ、誰もが夢を見てしまうだろう。 ロマンに満ち溢れて、これからの自分の未来に希望をもててしまう。しかし、そんな答えは求めてはいない。私が欲しいのは、確かなもので今この手で掴めてしまうような答えだった。あんな夢見がちの答えでは今まさに自殺を決意した人を救うには全く持って力が足りないだろう。だから、私は私が今生きて、ここにいる理由を納得できる答えでねじ伏せて欲しいのだ。ああ、誰か!教えてよ、私が納得してしまうほどの素敵な理由を! 「何でここにいるんだろう」 どうして、私は今生きて、ここに立っているのか。何で、こんなにも無性に寂しさ募るこの場所に来てまで大変な思いをしているのか。使命だか何だか知らないけれど、納得できる答えはまだでない。 「ここにいるのは、運命だろ」 目の前にいる人間は笑っていた。私は、この人間に対して、よく笑うなぁと思った。ぼんやりと脳内はそこで機能を鈍くさせる。 目の前の人間は嫌な感じでニヤリとする。意味ありげに「運命だからなぁ」と呟く。 ああ、そうか。そうか。運命か。 私が、今生きていてここに立っていて、運命と答えた人間と一緒にいるのは運命だったのか。よく考えることもできずに知らず知らずのうちに、ここに来て、そしてまたもや知らず知らずのうちに自らが進んでなのか誰かの陰謀なのか何でか知らぬが、窮地のどん底に入てしまったという事実も偶然なのか、そうだ、全て運命なのだ。 使命とか与えられていない人間は、それも運命だったのか。もしも、今まさに自殺を決意した人に「運命だよ」と言ったら、それもそれは運命だったのだろう。今生きていることも、今死ぬことも運命で、死ななかったのならそれも運命。つまりは、どうするか決めるのは自分自身だということなのかもしれないなぁと、ふと・・・ これは、運命だった。 私が今、生きていることもここにたっていることも私というちっぽけな人間がこの世に一人存在して、よく考えることもできずに知らず知らずのうちに、ここにやって来たことも全ては運命だったのかもしれない。 めぐりめぐって誰かの代わりに私が、この仕掛けに嵌ってしまうことも、陰謀にごっそりと落ちてしまうことも、全て。そしたら、無性にいろんな事を考えすぎていた自分がバカらしくなって笑いがこみ上げてきた。それじゃあ、これも運命か 運命と呼ぶものを笑った日
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