マギ | ナノ


紅顔の鶺鴒は悦楽と羽ばたく

 凶刃から逃げ遅れた数房の銀糸が散った。いや、銀というには些か輝きが足りない……灰と形容した方が適当かもしれぬ髪を斬られた珂燿は、その刃を振るった本人に心底申し訳なさそうに嘆願した。

「皇子〜」
「んー、なぁに?」
「私、そろそろ食事の支度があるのでお暇したい、なー……と」
「はあぁ? お前厨師じゃなくて従者なんだろ?」
「侍女も兼務してますので、配膳も私の仕事なんですよ? 主公は下っ端王子なのと皇女の教育のせ……おかげで、私がやらないと一人で用意してしまわれるんですよ」
「別に、いいじゃん」

 自分の事を何一つ自分で出来ない紅覇の下の兄とは真逆だ。野垂れ死にするわけでもないならそれこそ放っておけばいいじゃないかと紅覇は思うのだが、珂燿はそんなの堪えられません! と身を震わせた。

「私はお世話したいんです! 給仕したいんですー!」
「なんだ、そんなことしたいわけ? 僕のとこに来たらいくらでもさせてあげるよ」
「その……皇子のお誘いは大変光栄に思うのですが、趣味と仕事が一緒に出来る今の職場を離れたくありません」

 珂燿の拒絶に、紅覇は些かムッとしながら金属器に魔力を込めた。珂燿は紅覇の不機嫌を見て、慌てたように身に纏う気の厚みを増やす。

「主家の命に逆らっていいと思ってるの?」
「こうして皇子に斬られる事が代わりに成りません?」
「……いいよ。そこから動かなかったら許してあげる!」
「真正面ですか!? 皇子の刃は重いから腰にくるのにぃ!」

 空を裂きながら迫る長大な刃を、珂燿は目視出来るほどに厚く気を張った棍で受け止めた。通常の刀の数倍はある重量を受け止めた棍は無事だが、それを支える珂燿の足下が沈下した。

「お、重っ……!」

 珂燿は紅覇の命を素直に聞き入れ、歯を食いしばり堪えている。喜楽以外殆ど浮かべないその顔を歪めてやっているという現実に、紅覇の背筋を喜悦が走った。
 その膝を折ってやるべく紅覇は再び金属器へと魔力を込め、振り上げる。

「おら、もう一度っ……?」

 ざぐん、と振り下ろす前の刃が何かを斬った感触を伝えてきた。おっ? と紅覇は首を傾げ、珂燿も怪訝そうに伸びた刃の先を見て、ぱかんと口を開けた。間抜け顔、と思いながら紅覇も上を見て、顔を顰めた。
 紅覇の頭上では……伸びた金属器が、修練場の天井に突き刺さっていたのだ。

「げっ!」

 少し前も柱を数本駄目にして、屋根に穴を開けて兄に怒られたばかり。今日は自重して、二十尺程しか伸ばしていなかったのだが、興奮したせいか、制御を忘れたらしい。
 我慢の限界だと、紅覇は癇癪を起こしたように喚いた。

「あーもぉ! 思いっきり振り回したい! 外に行くよ、外!」
「外は衆目がありますので私はお付き合い出来ませんと最初に申しましたでしょう。神官殿に迷宮でも出して貰っては如何ですか?」
「迷宮は服が汚れるしやだ。つかジュダルくん今バルバッドじゃん」
「ああ、然様でしたね」

 修練場を貸し切り状態にしているのは、紅覇の金属器と、気を行使する珂燿の頑丈すぎる身体のせいだ。お互いに手加減をせずにやりあえる相手なのだが、如意練刀が周りを巻き込んでしまうし、紅覇に斬られた珂燿の惨状は目も当てられないことになるので、彼女は人がいる場所でこうしてやりあうことを好まないのを紅覇は知っていた。だから邪魔だといって従者たちも退けているのだ。
 わざわざここまで手間を裂いてやっているというのに、相変わらず珂燿の優先順位ぶっりぎりが白龍なことが紅覇は気に食わない。

「でしたら、皇子の従者に命じればよろしいのでは?」
「鳴鳳達は僕を相手にしたら真剣に刃を向けてくれないもん。だから金属器使って切り合いとか無理。珂燿は何回斬っても飽きないし、面白いから気に入ってるよぉー」
「はあ……それは、ありがとうございます。しかし同じような体質の者なら他にいるでしょう? 皇女の輿入れに何体か随行したとはいえ、未だ残っている者も確かいたかと」
「やだよ。あいつら馬鹿だし、弱いもん。だからいま僕の相手が出来るのはお前しかいないの」
「な、なるほど」

 征西の一環であった、海洋貿易の大国であるバルバッド国王と皇女の婚姻はもう済んだ頃だろうか。輿入れに伴って、皇女の側近だけではなく、引き出物として似たような特殊能力を持った兵も何体か同行したのを珂燿は見ている。

「第四皇子の従者のお前は何をすればいいかわかってるだろ?」

 このままだといつまでたっても帰してもらえないと思った珂燿は、紅覇の機嫌を取ろうとを賞賛する言葉を探した。

「えーと、その、私も皇子の切り口が綺麗な所は気に入ってますよ。くっつけやすいので」
「じゃあ真っ二つにしていい?」
「脊柱は狙わないで頂きたい!」

 嬉々として刃を翳した紅覇に、悲鳴の様な声を上げながら珂燿は切迫した。そして、紅覇が刃を振るうよりも早く、珂燿は金属器の八芒星を掌底で撃ち抜き魔力の流れを乱してやる。

「ちょっと! それ反則!」
「今日はここまでにしておきましょうよぉ。私くたくたです……」

 何度見てもこれは反則技だと紅覇は思う。金属器に珂燿の気が混じり込んで、制御が利かなくなってしまうのだ。時間がたてばそのうち使えるようになるのだが、確かに今日はここまでだろう……。
 しかし、このように器用な事が出来るのに何故珂燿はいつまでも将軍職に志願もせず、継承権など無きに等しい白龍の従者をしているのか、紅覇には理解しがたい。

「ま……いいけどさ」

 たしかに、紅覇も散々珂燿をいたぶって大分体もすっきりはした。結局今日は腕も落すことはできず、そしてまた別の不満はたまったのだが、そろそろ魔力量的にも金属器を使うのはきつくなってくる。
 仕方ないなぁ、という風を装って刃を収めてやれば、珂燿はホッとしたように肩の力を抜いて……高速で修練場の入口に顔を向けた。じーっと、何をするでもなく……何かを待つように入口を凝視している。
 そこから、紅覇が見たくなかった奴が入ってきた。

「珂燿、食事の時刻だぞ」
「若! 迎えに来て下さったのですか? ……感激です!」
「バ、バカ! くっつくな」
「では身体全体で喜びを現すことにします」
「抱き着くな!」

 珂燿は紅覇の前に残像を残す勢いで白龍の元へ戻っていったが、思春期真っ盛りな主に思いっきり邪見にされている。上背はまだ珂燿のほうがあるので、白龍はほとんど珂燿に抱き込まれた状態でもがいている。

「………………」

 気に食わない。本当に……気に食わない。
 気に入っている玩具が誰かの物であるというのも、それが自分以外を構うのも気に食わない。自分の所に来たら、もっと大事にしてやるのに。
 紅覇は金属器を抜きながら、白龍にべったりとくっつく珂燿の背中に近づいた。

「早くかっ、おおう?」
「どうした?」

 いきなりぺたんと座り込んでしまった珂燿を、先ほどまでうっとおしがっていた白龍はなにごとかと尋ねた。

「いえその下衣がですね」

 珂燿の言葉を遮り、紅覇はその背中に覆いかぶさった。見上げた先にある白龍の顔が強張ったのを見て、紅覇は少し留飲を下げる。

「珂燿はまだ僕といたいんだってさ」
「は?」
「だよね、珂燿」
「ええ、これは……ちょっと、はい。皇子に責任取っていただかないと」
「ほら、さっさと僕の部屋に行くよ」
「お待ち下さい。何故義兄上が珂燿と」
「そりゃあ男と女二人で責任云々の話なんて一つしかないだろ?」
「っ!」

 ごそごそと俯いてなにやら身じろいでいる珂燿を見てカッ、と白龍の顔が赤く染まった。言いたい事が見つからないと、口を魚のように開閉している。
 白龍が勘違いしていると紅覇は気付いたが、わざわざ訂正してやることも無い。そもそも、勘違いさせるような言葉を選んだのは紅覇だ。

「か、か……勝手にしろ!」
「え、若君待ってください! すぐ済みますから!」
「すぐっ!? うるさい! そのまま帰ってくるな!」
「そんな、若君っ? 若君ぃぃ!?」

 気持ちいくらいに勘違いして去っていく白龍に珂燿は手を伸ばすが、一顧だにされない。捨てられた子犬のような哀愁が漂っている珂燿の背中が、ぱっくりと紅覇によって大きく裂かれていたことなど白龍は結局気付けやしなかった。

「なぜ、私は怒られたのでしょう……」
「さーね」
「皇子に服の背をばっくり斬られたみっとも無い恰好で主公の給仕をするわけにはいかないでしょうから、斬ってくれた皇子に新しい官服を見繕って頂くことがそんなに悪いことだったのでしょうか……」
「さあねぇ」
「別に、私は半裸だろうが全裸だろうが構わないのですが、若君が嫌だろうし、風聞もあるでしょうからむしろ、私は、頑張って、我慢したのに……」

 上衣や下衣どころか、内衣まで斬られた哀れな従者にしなだれかかり、紅覇は嗤った。

――いい気味だ。

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