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血塗られた迷宮 三日目 前



「わざわざこのようなことまで……あと、鈴木さんのことも、ありがとうございました、本当に」

 五十嵐智恵は自ら滞在している部屋のドアをあけ、九を部屋の外まで見送ると、深々と頭を下げた。
 それを九は手で制して首を振る。

「厚木さんのこともあったばかりです。この屋敷を一人で行動するのは危険ですし、
僕の部屋も五十嵐さんと同じ方向でしたので」

 それに、と五十嵐智恵が滞在しているその部屋の壁の四方に貼られ、
異質を放っている自らの札を見て続けた。

「結界をはるのは僕の生業ですから 気にしないでください」
「結界、ですか。……やはり、そのような依頼をうけることが多いのですか?」

 日常会話の延長のような何気ない問い。九はひとつ間をおくとそれに肯定を示した。自分の人生のほとんどはその作業をしていた、と記憶を巡らせるが特にそれ以上言及せず、挨拶をかわす。疲れを残した顔で微笑む彼女に同じものを返すと、九は扉を閉めた。廊下にともる薄ぐらい電灯が屋敷を一層鬱々としたものに作り上げている。兆候もなく突然わずかに揺らいだ電灯に目もくれず、九はいつもの迷いのない足取りで足をどこかへと進めた。







 特になんの前ぶりもなく、九は夢から目覚め両目をぱちりと開いた。また今日もご丁寧に脳は記憶の細部まで鮮明に処理をしたようだ。ベッドの脇にあるサイドテーブルにおいてあった上着を肩にかけると、何かに呼ばれでもしているかのように迷いのない足取り―先ほどまで見ていた夢を彷彿させるような―で部屋を出ていく。 
 部屋と部屋の間に配置されてある窓のない廊下はわずかに灯っているあかりですでに日が昇っている時間だというのに薄暗い。広い屋敷からは、九が赤いじゅうたんの敷かれた床を踏むたびになる音しか聞こえない。それが屋敷の不気味さを助長していた。
 九はある部屋のドアの前で立ち止まると、無作法であるなど気にもせず、何の迷いもなく扉を開けた。

 突如として開かれたドアと現れた人物に綾子と真砂子―眠っている麻衣を囲むようにして佇んでいる―は敏感に反応した。
 いきなりの来訪者に二人は困惑を見せるが、九はとくに気にすることもなく、悪夢を見ている様子でベッドで魘されている麻衣の元へ向かう。ベッド脇にしゃがみ、麻衣を覆うように視線を合わせる。脂汗のにじむその額に手をやると、いつもと変わらない落ち着いた声色のまま真言を唱えた。

 おん まりしえい そわか

 そしてしばらくそれを繰り返すと、心配そうに麻衣の様子をうかがう女性二人を振り返り、大丈夫ですと伝える。

「とても怖い夢を見たようですから、落ち着かせてあげてください」

 しょせん夢、されど夢。
 どうして麻衣の状況を知ったかなどの疑問はあれど、なんとなく状況を察した二人は頷き九に礼をいう。二人と場所を入れ替わるように後ろに移動すると同時に麻衣がぱちりと目を覚まし、一番に視界に入ったであろう綾子に飛びついた。
 麻衣のただならぬ声をきいたナルとリンを除いた男性陣も部屋にやってきて、その怯えよう、そして殺される夢を見たと語る麻衣に一同に不穏な空気がよぎる。震えが止まらない麻衣を気遣うように寄り添うSPRの面々を一瞥すると九は部屋を後にしようとドアへと戻る。ドアをしめようとすると、ちょうど紅茶を片手に持つナルとリンが来たところだった。閉めかけたドアノブをひくと、小さくリンが礼を返し九はそれに微笑む。それぞれがそれぞれに意味深な一瞥を与えるが特にその場では何も言わず、九は顔を洗いに自室へと戻った。







 南心霊調査会の調査員の一人、福田三輪が深夜から早朝にかけて行方不明となった。これで三人目の行方不明者である。その日の締めとして九は今回の依頼人代理である大橋に現状や調査の結果を報告していた。SPRのように機材を持ちいったり、屋敷の計測を行ったり、といった目に見える調査をしていない分、彼が何を目的になにをやっているのかは分からない。だがそちらの界隈では名の知れた陰陽師の一族だということで大橋は九に一応の信頼を置いていた。

「ということは、行方不明になった方々はすでにもう……」
「はい。屋敷を回ったところ、どうにもここの中心部にいく手段がないようですが、少なくとも鈴木さんや福田さんはその閉ざされた中心部へ連れられています」

 つまり、この屋敷にいる何かは次元に干渉できるほどの力を持っているということ。護身のすべを持っている人間ならともかく、生身の人間ではとうてい相手にはできない。屋敷から離れることを提案しようとした九だったが、それを遮るように場が瞬時に凍った。カタカタと周囲が小刻みに揺れ始め、自身と大橋を守るように真言を唱える九の四方八方の壁を埋めるように字が現れる。

 たすけて しにたくない

 自らの斜め上の周りをぐるりと九は見渡した。部屋の壁や天井には「たすけて」「しにたくない」の字。あまりにも直接的な霊的接触に顔を青ざめた大橋だったが、すぐに立ち直り他の調査員の無事を確認するといってすぐにその場を離れた。
 大橋の背を見送りそこに佇む九は赤で埋め尽くされた部屋で思いを巡らせる。

 たすけて しにたくない
 いたい こわい
 うらど

 壁の赤にするりと手をやる。仏から借りた力ですでにあちら側にいる人間を救うことはできるのだろうか、疑問に思いながらも九はいつものようにその力強い声で真言を唱えた。







 SPRの面々は昨日のうちにおおよその真実―この屋敷で過去になにがあったのかを突きとめ、屋敷の中央部へと力技で侵入し、死体の確認までもしたという。ぱっと見たところ平均年齢がかなり若い調査員だがなかなかの有能ぶりだ。口角のゆるんだ九だったが、SPRの話に戦慄した者共は一様に戦線離脱を宣言する。それに対して自身の調査員である鈴木の遺体をせめて回収だけでもしたいと願う五十嵐智恵が異を唱えた。九は業界についてかなり疎いためその存在を知らなかったが他曰くかの有名なデイヴィス博士に直談判をするが、何かに怯えたようにつのられた腕を振り払い自分は偽物宣言をする博士。完全に蚊帳の外の九は何を考えているか分からない顔で人々の問答を眺めている。
 そうしたちょっとした修羅場の結果、その場に残ったのはSPRと五十嵐智恵と九のみとなった。相手が通常の除霊など効きもしない化物である以上、真っ向対決は無理、現時点の遺体の回収は難しいという結論に五十嵐智恵や麻衣は苦い顔をする。

「九さんはどうでしょう」
「残念ながら僕も化物を相手にするすべは持ち合わせていません」

 ですが、とジャケットのポケットをまさぐる九に何かを察したようにナルが頷く。ポケットから現れた右手にはライターが握られている。

「僕も同じ意見です。……浦戸はこの家から出ることができない」
「なるほどな。真っ向勝負じゃなくても、家を燃やせばいいのか。炎によって浄化できないものはないからな」
「それか直接、浦戸を火あぶりにするという手もあります」

 さらっという九に麻衣は目を見張るがちょっとお茶目な冗談かと処理し、そして物珍しげにナルをみる。ナルが逃げるなんてらしくない、とこぼす麻衣にナルは今回の仕事は心霊関係の調査ではなく偽デイヴィス博士の件についてだったという。わざわざそのためにこの危険な屋敷まで面々ははるばるとやってきたのだろうか。真実にショックを受ける一同をみて九はつい笑いをこぼす。その声が聞こえたのかどうか分からないが、ナルと少し言い合った麻衣が五十嵐智恵と九を名指して突然頭を下げた。

「ごめんなさい!うちの所長もニセモノです。ほんとはこいつが渋谷一也なんです!」
「あれ、そうだったんですか?」

 そう珍しく焦った様子のナルを指さして麻衣がしてやったり、といった顔でネタバレをする。
 一調査員にしてはずいぶんと貫録があると思えば所長さんだったのか、と九は大事そうにライターをポケットに戻しながらのんきに今までの屋敷においてのナルの不遜な様子に思いをはべらせた。





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