気紛れヒーロー | ナノ



「はい、芋焼酎ロック。椿ちゃん、これ、三番テーブルに持って行ってくれたら上がっていいよ」

「はーい……」


甘ったるい女物の香水とスパイシーな男物の香水、それからアルコールの香りが混ざる空間の中で毎晩笑顔を絶やさずに仕事をこなすマスターを、実は内心尊敬したりしている。増してや、無愛想だからとアルバイトを断られ続けていた私を快く受け入れてくれた寛大な人なのだ。アカデミーを辞めて暇で仕方のなかった私を受け入れてくれた彼は、素晴らしいひととしか言えない。面倒だから口には出さないが、尊敬せずにはいられないのだ。
そんな素晴らしいマスターから受け取ったグラスを手に、私は三番テーブルへと向かう。ひらひらと手を振るマスターはやはり寛大な人で、愛想なく頷くだけの私を咎めることはせず、口角を上げろと自ら笑ってその頬を人差し指で指すだけだった。


「お待たせしました、芋のロックです」

「お、虎徹、お前の酒が来たぞ」

「あー、あんがとな……」

「おいおい……いつまで落ち込んでるんだよお前は……」


カウンターからほど近いそのテーブルにいたのは、世間一般で言うところのおじさん二人組だった。そして芋焼酎を頼んだ客は、珍しいことに私と同じ人種らしい。少し日に焼けてはいるが黄色味がかった肌をした彼、虎徹と呼ばれた男の目の前にグラスを音を立てないよう小指をクッション代わりにしながら置いて、そんな彼の前にいるやけに体格のいい男の言葉をぼんやりと思い返す。落ち込んでいるらしい彼は、グラスを手に深いため息をはきだした。


「はあー……、何であんな男のために俺らが頑張んねえといけねえわけ……?」

「そう言うな、見つけたらデビュー時にアシスタントとしてポイントを稼げるし年俸だって上がるんだからよ」

「でもよお、んな簡単にNEXTなんか……」

「あー、はいはい、愚痴なら後で聞いてやるから、今は飲めって、な?」


体格の良い彼はそう言ってすでにテーブルに置かれていた自分のグラスを手にとり、空いた大きな手で落ち込むその背中を強くたたいた。ばしんと勢いよくたたかれた背中は痛そうだったが、勿論私は気遣う声なんてかけない。ただ、彼らがヒーローTVの関係者であろう会話は気になりはしたが。


「……ヒーローアカデミーに行けば?」

「へ?」

「お、姉ちゃんまさか今の会話……って、ヒーローアカデミー?」


落ち込む彼に言ったつもりだったが、体格の良い彼がいち早く私の言葉に食いついてきて、私はそんな彼をちらりと見ながら頷いてみせる。すると今の今まで落ち込んだように背を曲げていた方の彼が勢いよく背筋を伸ばして、それだ!と叫んだ。


「それだよ姉ちゃん!そうだ!ヒーローアカデミーに行きゃあ良いんだ!」

「で、でもよ、アカデミーならアニエスのやつがもう行ってるんじゃ……」

「馬鹿、アニエスが行ってたとしても、あいつが見逃してそうな掘り出しもんを探すんだよ!」

「……んなうまくいくかあ?」


二人の会話をぼんやりと聞き流しながら、私はつい先日辞めてきたばかりのヒーローアカデミーでの日々を思い返す。今思えば私は、ほとんど頑張るということをしてこなかったかもしれない。頑張るということを、しようともしなかったかもしれない。
頑張ったところで、何も変わらなかっただろうけれど。私も、周りも。


「よっしゃー!明日は仕事サボって朝一で行く!決めた!」

「いや、仕事しろよ!」

「これも仕事の内だろうが!あ、姉ちゃんありがとな!お陰でやる気出たわ!

「……そうですか。……じゃ、私、もう上がりなんで」

「おう!気をつけて帰れよ!」

「元気になりすぎだろお前……」


マスターと同じようにひらひらと手を振ってきた彼を一瞥して、私はそのまま出口へと向かう。荷物なんて邪魔なものを持ってきていない私にはロッカールームへ向かう必要もない。ポケットに突っ込んだアパートの鍵さえあれば、何も心配はない。
甘ったるい香水をつけたブロンドの髪をした女の横を通り過ぎて、アカデミーへ、この土地へ来る前のことを思い出す。思い出して、面倒臭い気持ちになった。
ずしり。頭が重くなる。


「あー……めんどくさ……」


ポケットから鍵を取り出して、右手でそれを弄ぶ。きらりと光るそれに一瞬だけ昨日出会った男だか男の子だか曖昧な彼のことを思い出したが、すぐに消えた。名前だって、もう覚えてない。思い出す必要だって、ない。西陣織の財布を手に顔を赤らめる、おかしな彼。
もう、あんな面倒はごめんだ。


「さっさと帰って寝ちゃおー、っと……」


店を出てすぐ目に入った酔いつぶれた男女を無視して、誰も出迎えてくれないアパートへと急ぐ。心なしか、足が重かった。








「ねえねえ、いた?」

「そんなすぐ見つかるわけないじゃん……。そっちは?」

「え、と、……お、おいしい中華料理屋さんなら、見つけたよ?」

「……、あ、そ」


それきり、今のトレーニングルームに二人きりしかいない女性陣は各々トレーニングの手を止め黙りこくってしまったのを、僕は朝からオフィスにも顔を出さず午後を一時間回った今も何の連絡一つ寄越さないおじさんの顔を頭の片隅に浮かべながら眺めていた。
見つかったか、とお互いに問うたその人物の事は、簡単に見当が付く。昨日アニエスさんに持ちかけられた新しいヒーローを探せという件についてだろう。はあ、と顔を見合わせてため息を吐いた二人の背中を見ながら、僕もまたため息を吐いた。
虎徹さんは一体、何処で何をしているのだろうか。


「バーナビー君、やけに難しい顔をしているね」

「……スカイハイさん」


虎徹さんの名を表示させていた携帯をジャージのポケットにしまった途端後ろからかけられた声に、僕は眼鏡を指で上げながら振り返る。ランニングマシンでもしてきたのだろうか、タオルで汗を拭いながら水の入ったペットボトルを片手ににこやかに笑う彼は、昨日の事など頭に無いかのように思えた。まだ此処に来ていないファイヤーエンブレムさんやロックバイソンさん、折紙先輩はどうだか分からないが、わざわざ僕の隣までやってきて腰をおろし、良い汗をかいた、なんてご満悦気味に言う彼が、昨日の事を考えているとは思えない。きっと彼の頭の中は彼の飼っている愛犬の今夜の餌のことか、僕がどうして難しい顔をしていたのか、なんてその辺りだ。


「ところでバーナビー君、君は良い犬の餌を知っているか訊いて良いかい?そしてどうして難しい顔をしていたのかも、訊いて良いかい?」

「……まさか当たっていたとは」

「ん?何がだい?」

「いえ、何でもありません。それから僕は犬を飼っていないので犬に関する質問には答えられません」

「そうか……それは残念だ。とても残念だ。」


世の中の人が皆スカイハイさんのような人なら、争いなんてものは存在しないだろう。膝に肘を乗せて前屈みの体勢で肩を落とすスカイハイさんの顔は真剣そのもので、犬の餌ひとつでここまで真剣な顔が出来るなんて、と感心してしまう。が、やはり、世の中の人が皆スカイハイさんのようであったら、それはそれで回らないだろうとも思う。彼は真剣な顔をしたまま僕に投げかけた質問も忘れ、ぶつぶつと何かを呟いていた。
テレビのコマーシャルで聞いたことのある犬用品の会社の名前が幾つか彼の口から呟かれるのを聞きながら、ポケットから携帯を取り出す。着信一つないそれに思わず眉を寄せ連絡先から虎徹さんの名前を引っ張り出したが、発信ボタンは押さなかった。彼が仕事をサボってまで今どこで何をしているのか問い質してやりたいのは山々だったが、犬用品の会社名を次々とあげていくスカイハイさんの隣でそれをする気にはなれない。


「お、お疲れ様です……」

「あ、折紙さんだ。お疲れ様ー」

「お疲れ……酷い顔してるけど、大丈夫?」

「だ、大丈夫、です。すみません……」


席を離れて連絡を取るか、それとも犬用品の会社名を呟くのを止めさせるべきか。携帯片手に考えていればトレーニングルームの扉が静かに滑る音が聞こえ、折紙先輩がいつもの猫背をさらに丸めて入ってきた。あの様子を見ると、きっと彼もまた彼女らと同じくめぼしい人物を見つけることが出来なかったのだろう。


「……はあ……椿さん……」


いや、どうやら彼は恋煩いを引きずっていたようだ。


「折紙先輩、お疲れ様です」

「あ、バーナビーさん、お疲れ様です……」


携帯をポケットにしまい、スカイハイさんのもとから離れる。早い話が悩んでいた二つのことを同時に放り投げてしまったわけだが、それでも未だに真剣な顔をしてぶつぶつと呟き続ける彼から離れ、一向に連絡のつかないバディは諦めをつけるのが得策だろう。そして何より、僕は興味がある。折紙先輩が口にしたその名の持ち主に、興味がある。


「どうですか折紙先輩、アニエスさんの言っていたNEXT、見つかりそうですか?」

「あ、いえ……僕なんかには、全然……」

「……そうですか」


俯きながらシャツの裾を摘まむ彼は、彼が恋煩う相手がまさかアカデミーのジャージに身を包み、ぼんやりとグラウンドを眺めていても優秀な成績をおさめるような女だとは思いもしないのだろう。どうやら彼女がアカデミー生どころかNEXTであることにも気付いていないらしいということを確かめて、僕はそれを隠すように彼から一度目を逸らした。
何だか、少し悪いことをしている気分だ。


「折紙先輩、僕、アカデミーの後輩をあたろうかと思ってるんですけど、折紙先輩は誰かめぼしい後輩、いませんか?」

「後輩、ですか……。……いえ、有名で人気のあったバーナビーさんは兎も角、僕にはとくに知り合いもいませんし……」

「いや、有名だとか人気だとかは関係なく……それに折紙先輩は一定のファンがいるじゃないですか」


実際、彼女は僕に見向きもしなかった。
折紙先輩にフォローを入れつつ、頭の隅では在学中皆がこぞってかけていた僕と同じ眼鏡を意味が分からないとばかりに怪訝そうに見る彼女だとか、僕にお昼に誘われて無表情で首を横に振り訳の分からないクラブ、確か美味しいものを食べ歩くような、そんなクラブの仲間のもとへ行く彼女だとか、到底人気者とは言えない態度をとられていたことを思い出していた。きっと彼女のことだ、目の前にいる折紙先輩の名前すら、もう覚えてもいないのだろう。僕は自分の名前を覚えさせるのにひと月かかったのだ。


「まあ、折紙先輩にもしめぼしい後輩がいるならトレーニングの後にでも一緒にアカデミーにどうかと思ったんですけど……」

「……いえ、僕は、いいです……」

「そうですか……。お互い頑張りましょうね、先輩」


僕がそう言えば、折紙先輩は一呼吸おいて、それからゆっくりと首を縦に振る。あまり頑張る気はなさそうだ、と思いながら何とはなしにポケットの上から携帯に触れれば、ブブブ、と携帯が振動しているのが分かった。
は、と慌てて携帯を取り出して、画面を確認する。ふざけた顔の虎徹さんがそこにいて、僕は折紙先輩にすみませんと一言謝って彼から離れた。


「……もしもし」


トレーニングルームを出て、通話を押す。直ぐに耳に雑音が入ってきて、彼が外にいることが分かった。


『おー、バニー!悪い悪い!着信入ってたの気付かなくてよお!』

「それは別に構いませんが、……おじさん、仕事を放ってまでどこで何をしてるんです」

『え?何ってそりゃあお前……仕事だよ、仕事!ロックバイソンと!』

「……ロックバイソンさんもいるんですか?」

『おお、まあな!』


どうやら彼はロックバイソンさんまで巻き込んで何かをしているらしい。雑音に紛れてロックバイソンの焦るような声が聞こえたので、僕はたまらずため息を吐き出す。僕というバディがいながらロックバイソンさんを連れ出すとは、どういう事なのだろうか。


「……で、何です?仕事って。バディの僕ではなくロックバイソンさんと何の仕事ですか」

『お?なーんだバニーちゃん、妬いてんのー?』

「ふざけないでください、切りますよ」

『おあ、悪いって、冗談冗談!ほら、例のNEXT探しだよ!NEXT!』

「……それこそ僕と探すべきじゃありませんか?」

『……あ』


彼は何も考えていなかったのだろう。NEXTを見つけた者がアシストとしてポイントを稼ぐチャンスを得て、年俸まで上がるということを。それなら、所属する会社が同じバディの僕と探した方が良いに決まっているというのに。
失念していた、とばかりに言葉を失う彼の間抜けさに妙な苛立ちを感じる。馬鹿だ馬鹿だと、恋煩う折紙先輩に対して風邪だ風邪だと言っていた彼を見て理解はしていたが、まさかここまでだったとは。
ふう、と一度息を吐き、眼鏡をとる。そして眉間を押さえながら目を閉じて、今日一日虎徹さんに連絡をとろうとしていた自分も馬鹿だと反省した。全く、時間の無駄だったじゃないか。


「……おじさんがロックバイソンさんとポイントと年俸を分け合うつもりなら、僕だって勝手にさせてもらいます」

『え、いや、ほんっとそんな気はひとっつも……』

「僕が見つけたら、あなたにはポイントゲットも年俸アップのチャンスも与えませんから、そのつもりで」

『あ!ちょ!それは酷えよバニーちゃ───』


ブツン。
携帯をポケットにしまい、眼鏡をかけ直す。いつから話を聞いていたのだろう。トレーニングルームの扉からヒーロー達の顔がぞろりと此方の様子を伺っていて、僕は思わず頭を抱える。ファイヤーエンブレムさんがまだ来ていなかったのは幸いだっただろう。彼、いや、彼女、が来ていたら真っ先に良い笑顔で何怒ってるんだと駆け寄ってくるのは想像に容易い。


「良いですか、皆さん、ポイントも、年俸アップも、僕のものですからね」


盗み聞きしていた罰だとばかりに挑発するようにそう言って、僕はロッカールームへと向かう。後ろからドラゴンキッドさんとスカイハイさんが妙な雄叫びを上げているのが聞こえたが、僕は振り返らなかった。
こうなったら、意地だ。何が何でも彼女を、椿を引きずり入れてみせる。


「おじさんにも先輩にも負けませんよ……」


ロッカールームの扉を開けながら、アカデミーへの近道を頭に浮かべ、一人呟いた。






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