気紛れヒーロー | ナノ
彼女と初めて出会ったのは、あと一年でヒーローアカデミーを卒業するという夏の日のグラウンドでのことだった。
急に出来た午後の空き時間。グラウンドの隅の木陰に座り込み、入学したばかりで真新しい汚れのない真っ白な指定ジャージを着てマラソンに励む一年生の老若男女を見ながら、今年はどんな能力を持ったNEXTが入学してきたのだろうかと僕は考える。汗をたらしながらグラウンドを走る彼らはきっと、自分がヒーローになりこの街を守る姿を夢見て走るのだろう。遅かれ早かれ自身の能力では駄目だと気付き自ら退学していく者も少なくなかったが、それでも彼らはまだ始まったばかりだ。夢を見て一歩踏み出したばかりだ。期待に胸を膨らまし励む人間を見ることは、少なくとも嫌いではなかった。
一番先頭を走る男とその後を走る男を一瞥し、今年はこんなものかと腕を組む。体力はありそうだが、見るからに頭が悪そうな男だ。得意気な顔をして後ろを振り返りながら走っているその姿が、如何にもである。こんなものかと再度頭の中で繰り返し、つまらなさにため息を吐く。もっとまともな奴はいないのか。
まさにそんなことを考えていた、その時だった。木陰に利用していた木が不自然に揺れて、陰が濃くなったのは。
「……あれ?お兄さんもサボり?」
多分、期待していたのだと思う。僕を奮い立たせてくれるような実力の持ち主が現れることを。
そしてその時の僕はまだ、入学して早々に授業をサボるような彼女、椿がまさにその人なのだと知る由も無かった。そして、枝にぶら下がって僕を見下げる彼女がその人なのだと知るのはこの数日後のことだった。
「ねえねえタイガーさん、ボクのタオル見なかった?」
「タオルぅ?あー?確かさっき…、お、あったあった、わり、俺が間違って使っちまったんだった。ほい」
「うげえ、タイガーさんの汗つき…?」
「おいおい…、俺はそこまで汚くねえって…」
「えへへ、冗談だよ、冗談!タオル、ありがと!」
ああ、僕も椿さんとあんな風に話がしてみたい。なんて思いながら的を外し床に落ちた自慢の手裏剣を拾い上げる自分の情けないことときたら。
舌を出して笑うキッドさんの頭をタイガーさんがぐりぐりと撫でる。そんなタイガーさんの横顔をちらりと覗き見て、誰とでも仲良くなれるその人柄を心底羨ましく思った。エドワードの事件以来、タイガーさんやバーナビーさんからもっと自信を持っていいと言われ自分なりに前向きに頑張ってはきたが、やはり人間の根本はそうそう容易く変わるものではない。僕は未だに自信を持てないままだし、卑屈なままだし、臆病なままだ。昨日会えたあの子の名前を頭の中で繰り返し呼ぶだけで、これからどうすれば彼女に近付けるのか分からなかった。
はあ、とため息を吐き出して、再度タイガーさんの横顔を覗き見る。顔をくしゃくしゃにして笑う彼のような明るい性格になれたら、僕は椿さんに上手く近付けただろうに。
「おや、二人とも楽しそうだね、実に楽しそうだ!是非私も混ぜて欲しい!」
「お!混ざるか?…っていやいや、混ざるって何だよ、何すんだよ」
「スカイハイさん、ボクの代わりにタイガーさんの頭撫でたげてよ!」
「ああ、それは良い!だが私は撫でられる方が好きだからタイガー君、私が君の頭を撫でる前に撫でて欲しい!」
「はあ!?お、おい、冗談だよな…?」
「スカイハイさんってそっちだったんだ……」
「ん?そっち?何がだい?」
トレーニングを終え歩み寄ってきたスカイハイさんに口元をひきつらせたタイガーさんを見てから、手元の手裏剣に視線を落とす。耳には相変わらず彼等が楽しげに会話をする声が入ってきたが、僕はそれを知らんふりしてその場に座り込む。昨夜心在らずのまま磨いた手裏剣は、どこか曇っている気がした。
「……また、会えるかな」
ぽつりと呟き、まぶたを閉じて彼女の顔を思い出す。僕の大好きな東の果ての島国を思わせる顔立ちと、気怠げな表情がまた僕にため息を吐かせた。
「トレーニング中に邪魔するわよ、ヒーロー達!」
そんな時だ。トレーニングルームのドアが開き、聞き慣れた強気な声がトレーニングルームに響いたのは。
キッドさんとスカイハイさんに手を掴まれていたタイガーさんが目を丸くして、そんなタイガーさんと同じようにキッドさんとスカイハイさんも目を丸くして、ツカツカとヒールを鳴らしてトレーニングルームに入ってくる彼女、アニエスさんを見た。そんな彼女の後ろにはスーツ姿の見知らぬ男性がいて、珍しいその光景にトレーニング中だった他のヒーロー達もその手を止めてアニエスさんの元へと集まってくる。慌てて僕も立ち上がり、汗を拭うバーナビーさんとロックバイソンさんの影に隠れるように後ろに立った。
「皆集まってるわね?今日はあなた達に良いお知らせよ」
「良いお知らせって……アニエス、まさかまたそいつの会社の……」
「ご名答、ワイルドタイガー。そのまさかよ」
アニエスさんがそう言って肩を叩いた男性を、タイガーさんは知っているらしい。にこりと笑った彼にタイガーさんは不機嫌さを露わにし、けっ、と言いながらそっぽを向いた。内心そんなタイガーさんの行動に彼が機嫌を損ねやしないかと心配したが、しかしそれはどうやら杞憂だったらしい。相も変わらず笑顔のまま姿勢を正しく立つ彼に、タイガーさんが小さく気に食わねえ奴、と呟いていた。
ごほん。アニエスさんが咎めるように咳払いし、タイガーさんが唇を尖らせたところで彼女は僕達をぐるりと見回し小さく笑みを浮かべる。スーツの彼は、やはり笑顔のままだった。
「最近このシュテルンビルトに進出してきた会社を知っている人はいるかしら?」
「会社、ですか?もしかして、フォートレスタワーの中にフロアが出来てた…」
「あら、あの変わったお酒の……何だったかしら?」
「日本酒ですよ」
「ああ、それそれ!ハンサムったら物知りねえ」
「日本酒の店か。……それで、その会社が一体どんな良い知らせを持ってきてくれたんだ?」
ぽん、と手を叩いたファイヤーエンブレムさんにバーナビーさんが苦笑し、そんなバーナビーさんの隣にいたロックバイソンさんがスーツの彼を見る。ロックバイソンさんに比べると随分と細身な彼は、話題が自分に振られたことに直ぐに気付き、浮かべていた笑みを崩さぬまま僕達を見た。
「皆さんがご察しの通り、私はその日本酒の会社、ひいては日本食から和雑貨まで取り扱う会社、遊禅のシュテルンビルト支店代表の者です」
「ゆうぜん…?あ、そういや一週間前にそこで変な面買ったなあ!な、スカイハイ!」
「ああ、確か…能面かい?あれは実に良い、そして怖い!」
「なるほど、其方は我が会社自慢、インテリアと衣類を専門に扱うシュテルンメダイユゴールドステージ店ですね。ご贔屓にしていただいているようで」
ぺこりと姿勢良く頭を下げた彼に、何故だかそんな彼の隣にいたアニエスさんが得意げに笑う。その笑みはもうどういう話か分かっただろうと言う顔で、僕は改めて彼、遊禅の支店代表だという男性を見た。なんということだ、僕がネットで取り寄せて買ったあのお気に入りの西陣織の財布を扱っていた会社が、まさかこのシュテルンビルトに支店を出していたとは。そしてその会社が、まさか。
ドキドキと胸が高鳴るのを感じながら、顔を上げた彼をじっと見つめる。そこで彼は初めて笑みを崩し、困り顔をしてみせた。
「ですが、支店を出したまでは良くともまだまだ知名度が低いのは確か。一番の売りである我が社の日本酒や着物は物珍しさばかりで、ロックバイソンさんやスカイハイさんのようにお買い上げになられる方が少ないのが現状です」
あいたた、と頭をおさえた彼に、あ、とブルーローズさんとキッドさんが口を開ける。どうやら彼女達も分かったらしい。心なしか、タイガーさんとバーナビーさん以外の目が輝いているように見えた。
くい、とバーナビーさんが無表情で眼鏡を指で押し上げ、一度咳払いをする。スーツの彼は、試すような目でそんなバーナビーさんを見ていた。
「……それで、スポンサーに名乗りだした、と?」
「この街で名声を上げたいなら、と彼女が教えてくれましてね」
日本人は謙虚だとか言った人はとんでもなく視野が狭い人間なのだと、僕は思う。憧れの国の憧れの店の支店代表とやらはその言葉とは正反対の勝ち気な笑みを満面に浮かべ、隣にいたアニエスさんを横目でみる。かく言うアニエスさんはその態度が気にならないのか、はたまた気に入っているのか、ルージュのたっぷり塗られた唇で半月を描き、そんな彼を同じく笑みを浮かべて見つめ返していた。端から見ると、恋人同士、いや、何か良からぬことを企む二人組に見える。
見える、ではなく、実際にそうだったわけだ。
「あの、それで一体誰がその、スポンサーを得られるんですか?」
「やっぱり同じ日本人のタイガーさん?」
恐る恐る手をあげて口を開いたブルーローズさんとキッドさんに対し、名前のあがった張本人であるタイガーさんに視線が集まると同時に、僕は言い表しようのない感情を覚えた。やはり僕ではないかという残念に思う気持ちと、憧れの店の面目を潰さずに済んだ安心感、それらが混ざった中に、もう一つ。そのつもりなら初めからタイガーさんだけを呼ぶのでは、という疑問。
「残念ながら、タイガーじゃないわ」
「けっ、分かってるっつうの」
「え、それじゃあ私達の中から…?」
「いいえ、それも違う。ねえ、酉井?」
とりい、と呼ばれたスーツの彼が、ぐるりとヒーロー達を見回して、目を細めていく。その時初めて真っ暗闇のような色をした瞳と目があって、僕は思わず椿さんを思い出した。彼女の真っ直ぐな、それでいて気怠げな瞳。彼女の瞳は、どんな色をしていただろうか。
タイガーさんが落ちこんだように肩をさげる中、スーツの彼、改め酉井さんが意味ありげに小さく息を吐く。前髪の隙間から覗き見るタイガーさんの視線は、恨めしそうだった。
「はははっ、この中にうちの会社に相応しいヒーローなんていませんよっ!」
そして、対する酉井さんは、心底楽しそうだった。
「さあヒーロー達、ポイント、それから年俸を上げる大チャンスよ」
驚いて目を見開く僕達をよそに、アニエスさんがにやりと笑う。チャンスという言葉に震え上がるのは、生まれてこの方初めてのことだった。