気紛れヒーロー | ナノ



「まっ、待って!」


変に裏返った上に何故だか震えている声をエントランスに響かせのは、何かあの人見たことあるなあ、とぼんやりと見つめていたその人本人だった。


「え、あ、お疲れ様です、どうかしましたか?」

「あの、その、ですね…」


月夜に照らせば透き通るんじゃないかと思ってしまうほどに綺麗で艶のあるブロンドの髪をした男とも男の子とも区別の付かない名も知れぬ彼が、なんとも歯切れの悪い言葉を呟くように口にしながらその場に立ち尽くす。指先が気になるのか人差し指や中指を忙しなく弄る彼が何を言いたいのか分からないらしい警備員は怪訝そうに首を傾げ、すみません、と彼の言葉を待たずに口にした。


「すみません、用があるなら他の人間にしていただけませんか…。今丁度手が塞がっていまして」

「えっ、いや…、でも、」

「最近多いんですよ、何かと理由をつけて中に入ろうとする人」


それはまさか、私のことだろうか。
いやいやそんなまさか。心の中で呟きながら、私の手首を掴む手から腕、腕から肩、肩から顔へとゆっくり視線を上げて、警備員の顔を確かめる。すると警備員は躊躇する素振りも見せずにその不届き者はこの女だとばかりにちらちらと私を横目で見てきて、顔には出さずに愕然とした。奥へと言っておきながら財布を預かったらさっさと帰してくれるだろうと何処か他人事のように考えていたが、まさか本気で疑われていたとは。いや、疑われているどころか、むしろ彼の中では確定しているようである。


「財布を拾った、とか言って届けに来たんですけどね、わざわざ此処まで来るなんて怪しすぎるでしょう?」

「あ、あの、その財布…」

「ああ、中はまだ確かめてませんけど、まあ、奥でじっくり訊こうかと。よくある手口なんですけどね」

「や、ですからその財布…、」

「では、私はこれで失礼します」


尻すぼみに話す彼を遮るように、警備員は私の手首を強く掴み直し、奥へ連れて行こうと歩き出す。
なんて面倒なことになってしまったのだろうか。幾つもの財布を警察に持って行くのは怪しまれるだろうし、どうせヒーローアカデミーも辞めて暇だからと気が向いて、財布に入っていた社員証や身分証明書を確かめてわざわざ本人に返して回っていた事で逆に怪しまれることになろうとは。しかも、最後の最後で。
こんなことになるならいっそ怪しまれようとまとめて警察に渡してしまえば良かった。今日に限って気が向いてしまった今朝の自分を呪ってやりたい。
真っ白で汚れ一つない天井をぼんやりと見上げてから、私の手首を握る警備員の手を見る。この手を振り払い逃げてしまうことは私にとって容易だが、今更そうしたところで益々怪しまれ、応援を呼ばれてしまうことは明らかだ。極力面倒なことを避けたい私にとって、それは良い解決策とは言えない。そうとなれば、これは黙ってついて行くしかないのだろう。一刻も早くこの手を振り払って帰りたいが、致し方ない。もし黙ってついて行く意外に早く帰れる方法があるとするなら、この最後の財布の持ち主が運良く現れて私を弁護してくれるというくらいだろう。


「あっ、あの!その財布!僕のです!」


まあ、そんなとんでもなく運の良い話、有り得ないが。有り得ない、が?


「え?」

「そ、その財布…、僕のなんです…!」


目を丸くした警備員に同じく、私も微かに目を見開き、顔を真っ赤にして俯く彼を見る。震える指先が指した先には、私の手に握られる西陣織の財布があった。
なるほど、通りで見たことあるなあと思ったわけだ。





「いや、うん、すみませんが、彼はうちの会社のイメージに合いませんね。何て言うか、彼、あまり人気ないでしょう?駄目ですよ、人気のないヒーローにうちの会社の名は預けられません」


「ちぇっ!アニエスの野郎、なーにが良い話があるわよーっだ!貶されただけじゃねえかよ!」


貴方に良い話があるの、少し来て頂戴。トレーニングを終えるなりアニエスにそう言われ足取り軽くついて行った先で言われた良い話の結果がまさかあんな言葉だと知っていたら、自分は間違っても彼女にへらへらとついて行くような真似はしなかっただろうに。


「けっ、バニーちゃんも帰っちまったみてえだしよう」


せっかくバディと飲みに行こうとしていたというのに、なんとついていないことか。
エレベーターのボタンを何度も連打し、漸く自分のいたフロアにつきドアの開いたエレベーターに乗り込む。一階のボタンを押して壁にもたれかかれば、自然とため息が出た。頭に浮かぶのは、勿論先ほどまで目の前にぶら下がっていたもの、アニエスが持ってきたスポンサーの話である。


「…美味い話だったんだけどなあ…」


去年世界進出を果たした日本の企業がついにこのシュテルンビルトに支店を出すことが決まり、自社宣伝の為にヒーローのスポンサーにという話が出たのが昨日らしい。日本の、ということでアニエスは安直にそれなら俺に、と呼んだらしいが、支店長様とやらにとって俺は論外も論外、話にならなかったらしい。大凡日本人らしくないはっきりとした物言いで人気のない俺では駄目だと言い切った。
最近そこそこ人気も出てきたと思っていた自分にとって、それはなんとも痛い言葉だった。


「はあー…、一人で飲みに行くとすっか……。…ん?」


このまま誰もいない家に帰っても、きっと気分が沈んだまま眠れなくなるだけだ。そう思いながら目的の一階についたエレベーターから降りた瞬間だった。見覚えしかない赤と白のジャケットを着たすらりとした長身の男が、エレベーターを降りた先にある柱に隠れるようにして何かを覗き見ていることに気付いたのは。


「…何やってんの、お前」

「っ、…何だ、虎徹さんか」

「おい、そんな言い方はねえだろ、そんな言い方は」

「しぃ、声が大きいですよ。もう少し静かにしてください」

「はあ…?」


そろりと背後に歩み寄って話し掛けるなり眉を寄せられ、沈んでいた気分が地底深くへと沈んでいくのを感じた。しかし、何かを覗き見ていた男、バーナビーにとって俺の気分などどうでもよかったのだろう。しぃ、と俺を軽く睨みつけるなり俺から視線を外し、バーナビーは先ほどまでのように柱に隠れ何かを見始めた。
どいつもこいつも一体何だというんだ。内心毒を吐きつつ、バーナビーに倣うよう彼の後ろからバーナビーの視線の先にあるであろう何かを探す。おかしなものを見ていたら、他のヒーロー達にこっそり教えてやろう。


「す、すみません、まさか本当に届けに来ただけだとは知らずっ…!」

「んー…、あー…、…もう面倒だから、良いです…」

「すっ、すみませんでした…!」

「いや、もう良いですから。それより、はい」

「っ、あ、ありっ、がと、」


なんて、思っていたというのに。
柱の向こう、エントランスの前で警備員がアジア系であろう女の子に頭を下げる中、頭を下げられている当の本人は何の感情もこもっていない表情で、西陣織であろう財布をまさかの同僚、折紙に手渡していて、俺は思わず目を見開いた。此処からは折紙の顔は見えないが、きっとまだ風邪をひいているのだろう。上擦った声が、調子が悪いことを訴えていた。
それにしても、一体どういう状況なのだろうか。ぺこぺこと頭を下げて持ち場に戻った警備員を視線で追いながら、首を傾げる。


「…おい、あれって…」

「どうやら折紙先輩の悩みの種の登場らしいですよ」

「悩みの種?…ああ!」

「ちょ、だから静かにしてください」


再度バーナビーに睨まれながら、俺は一人大きく頷いた。そういえば、確かに昨日バーナビーが言っていた。折紙は財布を無くしてしまったのだと。そうか、あの女の子が財布を届けてくれたのか。未だ愛想笑いの一つも浮かべない子だが、良い子じゃないか。


「折紙の奴、良かったな…」

「ええ、本当に」


ですが、
バーナビーがぽつりと呟いて、何かを考えるように顎に手をやり眉を寄せたので、俺は折紙の背中からバーナビーへと視線を移す。すると俺の視線に気付いたバーナビーが何かを言おうと口を開いたが、それと同時に女の子が無言でエントランスに向かって歩き出したので、それにいち早く気付いたバーナビーが弾かれるように視線を戻す。勿論、俺も。


「あ、まっ、待って…!」


そして折紙も、勢いよく顔を上げた。


「なに?」

「あ、そ、その…、…………財布、ありがとう…」

「うん、どういたしまして。じゃ」

「う、あ、ま、待って…!」

「……今度は何?」


エドワードの件以来微々たるものではあったが自信をつけ始めていた彼はどこへ行ったのか。何の用だと立ち止まり無表情のまま振り返った堂々とした態度の彼女に対し、風邪で体調が悪いのを抜きにしたとしてもまるで蛇に睨まれたかのように身を縮こませる折紙を見ていると、じわじわと母性のようなものが込み上げてくる。折紙が一体何を目的で彼女を呼び止めたのかは分からないが、兎に角応援せずにはいられなかった。


「折紙、頑張れっ…!」

「…何回静かにしてくれと頼めば良いんですかね、僕、はっ」

「いでっ!?」


どすりと鳩尾にバーナビーの肘が刺さり、俺は思わずその場にしゃがみ込む。痛みを分散させようと鳩尾を撫でれば頭上でバーナビーが嘲笑うように鼻を鳴らしたが、なんとも情けないことに、痛みのあまり立ち上がれない俺はしゃがみ込んだままバーナビーを睨み上げることしか出来なかった。


「あ、う…、その…」

「…用が無いなら帰って良い?私、早く帰りたいし」

「っ……!」

「……じゃ、帰るから」

「あ、……!」


そんなことをしているうちに、折紙の方は佳境に入っていたらしい。
涙目になりながら慌てて顔を上げ、二人を見る。何も言わない折紙に対し、彼女は用が無いと判断したらしい。相変わらずの無表情でエントランスへと歩き出した彼女に、折紙は勿論、バーナビーと俺まで声を上げそうになってしまう。二人して口を塞ぎ目を合わせるが、どうしようもない。何かを言いたげに手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返す折紙の代わりに彼女を引き止めてやりたいのは山々だったが、そもそも部外者の俺達には彼女を止める権利すら無いのだ。
何が何だか未だによく分からないが、もうこれで終わりだろう。そう思い、痛みの消えた鳩尾を一撫でして立ち上がる。バーナビーは先ほど考えていたことを再び考えだしたのか、先ほどのようにまた顎に手を当て眉を寄せていた。


「なあバーナビー、さっき何て言い掛けたんだ?」

「ああ…、いや、それがですね、どうにも彼女、」

「っ…待って!」


が、俺の問い掛けにバーナビーが答えかけた、その時だった。折紙が大きな声で彼女を呼び止め、彼女に向かって走り出したのは。


「ま、待って!ごめん、あのっ」

「…帰りたいんだけど」

「ご、ごめんっ…!でも、あの、お礼を…!」

「………お礼?」

「っ、う、うん!お礼がしたいんだっ!」


咄嗟に柱に隠れ直した俺達をよそに、折紙は相変わらず上擦った声でそう繰り返す。そんな折紙を見ていると何故だか甘酸っぱい気持ちになって、俺は思わず胸をおさえた。それと同時に、また母性のようなものが込み上げてくる。


「よ、良かったら、今度食事でも、行きませんかっ…!」


きっと、折紙の折紙に背後から話し掛けると、ぶっ倒れてしまうだろう。そう思ってしまうほどに折紙からは緊張感が伝わってきて、見ている此方まで手に汗握ってしまう。
微かに見える折紙の首筋が風邪と緊張で真っ赤に染まりあがっていることにさらに甘酸っぱい気持ちになりながら、手のひらの汗を柱に撫でつけ、バーナビーの腕を鷲掴み二人を見守る。一瞬バーナビーが煩わしそうに俺を見たが、今はそれどころではなかった。
どうか頷いてくれ、と、他人事ながら必死に祈る。


「ごめん、面倒臭い」


だというのに、まさかその二言が返ってくるとは。
折紙の首筋がみるみるうちに白くなり、財布を握る手が力無く垂れ下がる。それを知ってか知らずか彼女は無表情で頭をかいて、何の悪気もなさそうに視線を外に向けた。


「私、帰るね」

「……あ、……」


あからさまに落ち込む折紙に追い討ちをかけるように、彼女は言う。そんな彼女に対し、折紙は小さく声を上げ俯くだけで、もう何も言えなかった。その様子を見て、俺は思わず唇を噛み締める。誰だあんな子を良い子だと思ったのは。とんだ節穴じゃねえか。
自動ドアの一歩前に彼女が立ち、音もなくドアが開く。ドアの横に立っていた警備員が深々と頭を下げる中、折紙は俯いたきり身動き一つしなかった。


「あ、ねえ、えー、と、………カリレン?さん?」


しかしそんな中、彼女は何かを思い出したように振り返り、折紙の名を呼ぶ。間違ってはいたが、それは確かに折紙のそれだと分かるものだった。
弾かれるように顔を上げた折紙に、彼女は違った?とばかりに首を傾げる。それに気付いた折紙は、慌てたように一歩前に歩み出た。


「かっ、カレリン…、僕の名前は、イワン・カレリン…!」

「あ、カレリン、か。ごめん」

「ううんっ…!」


カレリン、イワン、カレリン。彼女が繰り返し、折紙が小さく頷く。開け放された自動ドアの向こうから吹き込む風が彼女の髪を乱して、その表情は見えなかった。


「あ、あの、君の名前は、」

「ん?ああ、椿だけど」

「っ…椿、さんっ…」

「うん。ねえ、カレリンさん」

「は、はい!」


見えなかった、が、


「財布、もう盗られないようにね」


多分、笑っていたんだろうと、俺はそう思った。
じゃ、と軽い調子で手を上げてついに帰って行った彼女を確かめて、俺は一人胸を撫で下ろす。何が何だか結局分からずに終わったが、今の俺は、ずっと見ていたドラマの結末を無事見届けることが出来たかのように満たされた気持ちになっていた。そう、スポンサーの話などどうでもよくなってしまうほどに。
今夜はこのままバーナビーと飲みに行こう。そして気分良く眠ろうじゃないか。そうすればきっと、ほんの少しの二日酔いくらいなら吹き飛ばしてしまえそうな気がする。


「あー、何か分かんねえけど良かった良かった、な!バーナビー!」

「…まさか彼女だったなんて…」

「……へ?」


そう思い、バーナビーの肩を叩いた瞬間だった。小さく呟きながら、バーナビーが笑みを浮かべたのは。


「…バーナビーさーん…?」

「何ですか?」

「いや…、彼女、知り合い…?」


その笑みが何故だか恐ろしく、恐る恐る尋ねてみたが、それはどうやら間違いだったらしい。バーナビーは笑みを深めただけで、頷きもせず、首を横に振ることもしなかった。
きっと誰が見ても綺麗だと答えるその笑みが、俺にとっては心底恐ろしいものだった。


「…さあね?さ、虎徹さん、折紙先輩を回収して帰りますよ」

「え、あ、はい…?」

「きっと今頃嬉し過ぎて我を失ってますからね」


そう言って笑ったバーナビーに、俺は曖昧に頷きながら笑い返した。彼女と知り合いであろうことは分かったが、とてもじゃないが、彼女とどういう関係なのかとまでは訊けなかった。


「虎徹さん、早くして下さい」

「あー…、はいはい、っと」


妙な恐怖でかわいた喉を誤魔化すようにごくりと唾を飲み込んで、折紙のもとへと歩くバーナビーを追いかける。
これは嫌な夢を見そうだ。俺は一人、そんなことを考えた。






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