気紛れヒーロー | ナノ



「毎度、また来てくれよー」

「ん、ありがと。気が向いたらまた来るよ」

「あん?んなこと言って、また来るんだろ?俺はちゃーんと知って、」

「…あ、今日音楽番組やってたっけ」

「おーい、椿ちゃーん」


買ったばかりのチュロスを片手に、煌びやかに輝くゴールドステージを見上げる。ぶらぶらとシルバーステージでウィンドウショッピングを楽しんでいる間に時間は随分と過ぎていたらしく、黒と藍が混ざったような夜空にはゴールドステージに建ち並ぶ高層ビルの光が溶けて、星が見えない。何てつまらない街なんだろうか。母国によく似たオリエンタルタウンの片隅に住んでいた頃に眺めた夜空を思い出しながら、シナモンシュガーのたっぷりかかったチュロスを一かじりし、ブロンズステージの我が家へと足を早めた。


「椿ちゃん、最近引ったくりとかスリが多いから気をつけてなー!」


そんな私の名を叫んだチュロス屋のおじさんに軽く手を振って、どの道から帰ろうかとぼんやり考える。モノレールに乗ってシルバーステージをもう少し巡ってみようか。それともケーブルカーに乗って、音楽番組を見るために今日は大人しく帰ってしまおうか。
青を基調とした女の子が広告となっている炭酸飲料の自動販売機を通り過ぎながら、朝よりも軽くなった鞄を肩にかけ直す。適当に持っていたせいで引ったくりに狙われてしまったら面倒だ。そう考えたところで漸く、先ほどのおじさんの言葉が頭に入ってきた。最近引ったくりやスリが多いとか、なんとか。


「…引ったくりにスリ、ねえ」


自身の肩に引っかかる鞄を見下ろして、ごくりとチュロスを飲み下す。引ったくりやスリが怖いとは思わないが、世間一般の女性や高齢の人はきっと困っているのだろう。突然後ろから鞄を奪われたり、開いていた鞄から財布を盗まれたりしたら私だってやるせない気持ちになってしまう。


「ま、関係ないか」


が、それは所詮対岸の火事。考えたところでどうしようもない。何て言ったって私は先のとおり、怖くもなんともないのだ。私から鞄や財布を奪える人間なんて、余程便利な能力を持ったNEXT以外、きっとどこにもいないのだから。
最後の一口を口に放り込んで、チュロスを包んでいた紙をくしゃくしゃと丸める。そのまま道の片隅にあったゴミ箱に投げ捨てて、今日はもう帰ってしまおう、とケーブルカーに乗るべく人通りの多いショッピング街からわき道へとそれた。
途端に薄暗くなった辺りに気温まで下がった気がして、思わず肩をすくめて足を進める。ブロンズステージ程ではないにしろ、シルバーステージも人通りがないと治安が悪くなるらしい。薄暗く静かな路地を進めば先ほどまで見なかった柄の悪い男達が屯していて、何とも嫌な気分になった。


「なあスタン、今日の収穫さっさと見せろよ」

「へっへ!見て驚くなよ?…じゃーん!今日の収穫は財布が九つ!」

「おお、やるじゃん!しかも何か高そうなのが混ざってんなあ」

「おうよ。兄貴曰わくどっかの国の織物だとか。どこだっけなあ、アジア系のさ」


さっさとこんな道通り抜けてしまおう。そう思い、真っ直ぐと前を見据えた時だった。


「椿ちゃん、最近引ったくりとかスリが多いから気をつけてなー!」


バーの裏口に座り込む二人の若い男に、おじさんの言葉を思い出す。私に気付かずにやにやと嫌な笑みを浮かべ財布を眺めるスタンと呼ばれた男は、まさに最近多いと言われていたそれの犯人なのだろう。笑う度に見え隠れする黄ばんで溶けた歯が、彼の歪んだ性格を表しているようだった。まあ、もしかするととても純粋な人間かもしれないが、少なくとも純粋な人間はああやって他人から盗ったと思われる財布を手ににやにやと笑わないだろうと私は思っている。
だが、彼が純粋であるか否かはどうだっていいし、興味もない。同じく、あの財布が誰のものかも、どうだっていいこと。今すぐあの男の頭を蹴り飛ばし財布を奪い返すことは容易だが、どうでもいいことにわざわざ労力を使うことはしたくない。悪いことだとは分かっているが、昔から面倒事は嫌いなのだ。一つ言わせてもらうとすれば、盗られる方も盗られる方だ。もっと注意していれば、きっと今頃スタンの手に財布は握られていなかったはずなのだから。
男の嫌な笑みから目をそらし、口の端についていたシナモンシュガーを親指で拭い落とす。音楽番組の前に、シャワーを浴びよう。


「なあ、その高そうなやつから見ようぜ!幾ら入ってんだよ?」

「まあ待て、ティムはいっつもがっつき過ぎなんだよ。まずはさっきババアから盗ったこのしけた財布からー!」


そしてその前に、このどうでもいい男の身包みを剥いでやろう。


「うえっ!?」

「げほっ、!」


勢い良く蹴り飛ばしたせいで地面に転がった二人を見下ろして、私は頭をかく。九つの財布は宙を舞い、どさりと二人の目の前に落ちていった。
突然のことに戸惑いを隠せない顔をして私を見上げてきた男、スタンの前にしゃがみ込み、財布を一つ一つ砂を払い落としながら拾い集めていく。私を見るその目は怒りや恐怖にまみれていて、何とも気味が悪いものだった。


「て、めっ…」

「ごめんね、面倒事は嫌いだけど、私、近所のおじいちゃんおばあちゃんは割と好きだからさ」


だから、おばあちゃんから財布を盗って笑うあんたが大っ嫌い。
ごん、と男の頭に拳骨を落とし、どさりと頭を地面につけたきり何も言わない彼を確かめて、最後の一つ、西陣織の財布を拾い上げる。もう一人の男は最初の蹴りでとうにのびていたらしく、私が立ち上がるついでに腹を踏みつけても小さく呻くだけで何もしてこなかった。
西陣織の財布をあけて、お金が無事なことを確かめる。それから一番手前に分かり易く入れられていたカードを取り出して、ゴールドステージから降り注ぐ光に当てて、そこに書かれている文字と写真を見る。


「…ヘリペリデスファイナンス…?ああ、社員証か」


随分と立派な会社に勤めてるんだな。ぼんやりとそんなことを考えながら、名前らしきものの隣にある写真を見下ろす。そこには、端正な顔をしながらもどこか影のありそうな暗い表情のした男がいた。


「……ま、明日でいっか、な?」


社員証を財布に戻しながら、男から取り上げた財布を無くさないよう鞄にしまい、ぽつりと呟いた。
面倒な予定が出来てしまった、とは、言えない。










「はあ……」

「…見ろよバーナビー、折紙のやつ、まだ風邪が治んねえみてえだ。可哀想にな…」

「僕はあなたの頭が可哀想でなりませんが…」

「んなっ、何だよそれ!」


タイガーさんとバーナビーさんのいつもの軽い口喧嘩を頭の片隅で聞き入れながら、大したものが入っていないサックを肩に引っ掛けてトレーニングセンターを出る。す、と閉じられた自動ドアの向こうでは、未だに二人は言い合っているのだろう。お前はいつもあーだこーだ、とタイガーさんが声を荒げ、はいはい、とバーナビーさんの何とも呆れたような適当な返事が聞こえてくる。きっと中にいる他のヒーロー達は早く静かにしてくれないかと眉を寄せているだろうが、そのいつものやり取りが何とも平和で、羨ましく思えた。少なくとも、昨夜一睡も出来ないほど悩んでいた僕にとっては。そして今も尚、その悩みは解決策を見つけ出せずに僕の気分を重くしていた。


「一目惚れって、どうしたら良いんだろう…」


そう、昨朝出会った彼女のことで、悩んでいた。
出会った場所、昨朝行ったあの公園へ行けばまた会えるだろうかと淡い期待を胸に、昨夜トレーニングを終え真っ直ぐその場所へと向かったが、人気がなくなり夜の十時を過ぎても彼女は現れなかった。ついでに無くなった財布も落ちていないかと探したが、それも見つからなかった。
しかし、会えなかったな、と肩を落として帰路についてからが問題で。シャワーを浴びながらそもそも会ったところでどうするんだと悩み、遅い夕飯を食べながら気味悪がられたらどうしようと悩み、歯を磨きながら気味悪がられる前に何て話し掛けるつもりなんだと自問自答し、床につきながらいやそもそも会えるのかと悩み、気付けば朝になっていた。そして今もまたそれらのことに頭を悩ませている。まあ、足は重いながらもちゃっかりと早足であの公園に寄るつもりではあったが。そしてついでに懲りずに財布を探すつもりでもあったが。


「折紙先輩」


一体どうすればあの子と会えるのだろう。そして僕の財布は見つかるのだろう。ため息を吐き出しそうになりながらエレベーターに駆け足になりながら乗り込んだ瞬間、閉じそうになったエレベーターのドアの向こうから涼やかなよく通る声が僕の名を呼んだ。
慌ててエレベーターのドアを押さえ、モデル顔負けの真っ直ぐな姿勢で此方へと歩いてくる彼、バーナビーさんを見上げる。僕と視線が合った瞬間、彼が何とも自然な仕草で小さく笑い会釈をしながらエレベーターに乗り込んできたせいか、咄嗟にエレベーターのボタンを押せなかった自分が恥ずかしくなる。慌ててドアなんか押さえずに、もっと落ち着いた態度でボタンを押せば良かった。


「すみません、わざわざ止めて頂いて…。急いでましたよね?」

「あ、いえ、別に……大丈夫で、す…。……え?」

「あれ、急いでませんでしたか?」


一階へとぐんぐん下っていくエレベーターの中で、バーナビーさんが至って普通の顔をして首を傾げる。しかし、僕はそんなバーナビーさんの口から飛び出した言葉を上手く飲み込めずにいた。今、彼は何と言ったのだろう。いや、今言われた言葉は分かっている。問題はそこではない。今、彼はどうして、僕が急いでいると。


「あ、ぼ、く、ただ、」

「……だって、さっき駆け足でエレベーターに乗り込んでましたし」

「え?…あ、そっか、そう、ですよね、僕、つい」


つい、彼女に会いたくて。
とんでもないことを言い出してしまいそうになった口を慌てて噤んで、僕はそれに気付かれぬようにと半ば癖のように視線を足元に落とし俯いた。気付かれただろうか、と恐る恐るバーナビーさんの顔を覗き見るが、彼はいつも通り涼しげな顔をして僕を見るだけで、無性に気まずくなった僕はそのまま顔を上げることが出来ず、俯くことしか出来なかった。
何でも容易にこなしてしまう彼ではあるが、まさかいつかのジェイクのように心まで読めるとは思えない。バーナビーさんも人間なのだ。きっと、僕が急いでいた理由までは分からない筈だ。


「…先輩。折紙先輩」

「はっ、はい!?」

「……いや、エレベーター、着きましたよ?」


どうにか平静を取り戻そうとそんなことを自分に言い聞かせていたが、どうやら何の意味も成さなかったらしい。
突然の呼びかけに声が裏返ったことや、先ほど僕が出来なかったエレベーターのドアを開くボタンを落ち着いた態度で押しているバーナビーさんに情けないやら恥ずかしいやら色々な感情が湧き上がり、僕はすみませんすみませんと何度も繰り返し飛び出すようにエレベーターを出た。


「す、すみませんっ…」

「いえ、そんな、大丈夫ですよ。気にしないで下さい」


小さく笑ってそう言ったバーナビーさんにますます喉の奥に感情が湧き上がり、かあ、と顔が熱くなるのを感じた。それを隠そうとまたも俯くしか出来ない自分が情けなくて、益々顔が熱くなり、薄らと涙すら込み上げてきた。
元来自分はネガティブな性格であると自負しているが、どうやら自分は恋だの友情だのといった人間関係が絡むとそれに拍車がかかるらしい。エドワードの時も確かそうで、挙げ句タイガーさんに対し声を荒げてしまったのだ。それに、今だって。


「虎徹さんなんて、これから飲みに付き合えなんて言っておきながらアニエスさんに呼ばれるなりその話は頭から消えてしまって謝りもしませんよ。折紙先輩の失態なんて、彼に比べると失態ですらありません」

「……すみません」

「いや…、ですから、謝る必要なんてありませんよ。だからそんなに気に病まないで下さい」


僕がバーナビーさんのようによく通る声で詰まることなく言葉を紡げたら、名前も知らない彼女の名前を尋ねることが出来るのだろうか。楽しい人だと笑みを浮かべ、あなたのお名前はと問い返してもらえるのだろうか。いや、むしろ、僕もバーナビーさんのように女性に人気のあるような容貌だったら。


「……す、みません、僕、もう帰ります…」


そこまで考えて、バーナビーさんを羨んだところで何も変わらないじゃないかとふと我にかえる。それと同時に、居たたまれない気持ちにもなった。こんな事では、エドワードを助けられなかったあの日の自分と変わらないではないか、と。
そそくさと逃げるように早足でエントランスに向かって、警備員の前を通り過ぎる前にとっさに視線を下に向ける。いつものことだった。僕はいつも、バーナビーさんのように真っ直ぐ前を向いて歩けない。今タイガーさんやバイソンさんがいれば、もっと自信を持て!と背中を叩かれていたことだろう。いっそ、叩いて欲しかった。


「あー、だから、私はただ拾っただけなんで…」

「…どうも怪しいな。わざわざジャスティスタワーまで届けに?ヘリペリデスファイナンスビルじゃなく?」

「だって、そっちに行ったら今は此処にいるからって…」

「ふうん…。でも、やっぱり怪しいな。お札の一枚や二枚、抜いたんじゃないか?」

「……………………もうどうでも良いんで、これ預かって下さい」

「いや、しかし、」

「私、面倒臭い事って嫌いなんで」


そうしたらきっと、彼女に難なく話し掛けることが出来ただろうに。


「いやいや、待ちなさい、少し奥で詳しく話を聞かせて欲しい」

「………はい?」

「さ、来てもらおう」


何故だかエントランスの前で警備員の男を面倒臭そうに見る、僕が会いたくて仕方のなかったあの彼女がいて、僕は驚きのあまり歩みを止めてその場に立ち尽くす。その手にはおかしなことに昨日無くしたはずの僕の財布が握られていて、ただでさえ突然の再会に頭が混乱していたというのに、更に混乱してしまう。
どうしよう。話し掛けなくちゃ。いやその前に財布か。お礼を言えば良いのか。ああ、それにしても、本当にどうしよう。顔を見るだけで、胸が熱くなってしまう。立ち尽くしたまま何度も言葉を絞りだそうと口を開閉させるが、視界の中に彼女がいると考えただけで、緊張のあまり口や喉がカラカラにかわいてしまった。


「………帰って良いですか?」

「駄目だ。ほら、行くぞ」


昨朝と違いダークブラウンの編み上げブーツをはいた彼女が何とも面倒臭そうにため息を吐いて、もう諦めたとばかりに肩を竦めて警備員の肩越しにエントランスをぼんやりと眺め始める。それと同時に警備員が来い、とばかりに彼女の腕を掴んだので、僕は思わず小さくあ、と零した。
瞬間、僕の小さな小さな声に気付いたのか、エントランスを眺めていた彼女の目が僕を見る。もしかするとそれは、エントランスを眺めていればたまたまいた僕が視界に入っただけなのかもしれない。しかし、視線が合ったという事実が嬉しくて、恥ずかしくて、僕は益々喉がカラカラにかわいていくのを感じた。


「さあ、早く来るんだ」


警備員に強く腕を引かれ周りから注目を浴びる彼女は、微かに首を傾げて僕を見る。そんな彼女を早く引き留めなくては、とは思ってはいたが、やはり僕の口は情けなく開閉するばかり。ゆっくりと遠ざかっていく彼女に、頭の中が真っ白になった。


「まっ、待って!」


そして、緊張のあまり霞む視界の中無我夢中で絞りだした僕の声は、やはり裏返っていた。






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