気紛れヒーロー | ナノ


「退学したいだなんて、そんな、いやいや、困るよ君、そんな急に!」


ばん!と勢いよく目の前に手をついた彼、マッシーニ校長の顔越しに見える窓の向こうに、今一番人気のヒーローであろう眼鏡をかけた男の顔が広告に使われた大きな飛行船がゆっくりと飛んでいるのが見える。人差し指で眼鏡を押し上げ視線を変えながら微笑むそれは、きっと眼鏡の宣伝なのだろう。やけに目立つ男の顔を引き立てるそれに興味はもてないが、少なくともマッシーニ校長の困り顔よりは見ていて楽しいものだった。


「椿君、考え直さないかい?今やヒーローはこの街には欠かせないものになったんだ。一カ月前に起こったあの事件を解決したのだって、ヒーローなんだよ?」

「……あー、パワードスーツとか、派手なカップルの…」

「そうだ、覚えているだろう?あの事件はこのヒーローアカデミーを卒業した彼がいなければ…」

「すみません、私その時兄の家に泊まりにいってたんであまり知りません」

「…まったく!もう!」


普段はとても温厚なマッシーニ校長が私と向かい合うソファから立ち上がり、埒があかないとばかりに校長室を忙しなく歩き回り始める。そんな彼から目を離し、彼の使っている立派なデスクの上に飾られたヒーローの写真を見た。私が座る位置からはあまりよく見えないが、どうやらそれは今彼が言っているこのヒーローアカデミーを卒業したらしいヒーローが写っているようだ。写真の裏に書かれた今年の卒業式の日付が、ガラスの写真立てに透けて見える。


「椿君、落ち着いて考え直さないかい?気が向かないから退学したいだなんて、馬鹿げているよ」

「でも、気が向かないものは仕方ないんで…」

「君ならここを卒業する時、必ずオファーがくるんだ。なんなら私が推薦したっていい!」

「いや、おかまいなく…」

「ま、まだ二年生じゃないか、もう少し頑張ってみないかい?バーナビーも君が卒業してヒーローになるのを楽しみに…」

「マッシーニ校長」


校長室を彷徨きながら私をどうにか説得しようとしていた彼が、私の呼び掛けにぴたりと足を止めて振り返る。それを確かめてソファの脇に置いていた白いジャージを彼のデスクに置き直せば、彼は悲しげに眉を下げてうなだれた。窓の向こうに見えていた飛行船は、もう見えない。


「マッシーニ校長、世界の美味しい食べ物クラブにどうぞよろしくお願いしますね」

「椿君、君なら必ず素晴らしいヒーローに…」

「この街で唯一の友人達なので。じゃ、帰ります」


マッシーニ校長の言葉を遮って、私はつい先週帰り道にホットドッグ巡りをした彼等を思い浮かべながら立ち上がる。ただたんに食べ物を食べるだけの集まりではあったが、あまり退屈をしなかったのは確かだ。
太った彼や年上の彼女達の食べ物をほうばる姿をぼんやりと思い浮かべながら、鞄を片手に校長室を出る。最後に振り返ったマッシーニ校長の顔はとても悲しげだったが、明日には彼も今のこの感情を忘れてしまっているのだろうと思うと何とも思わなかった。
まあ、彼が忘れてしまうのか否か、私には関係のないことだったが。











「おい、バニーちゃん、今日の折紙なんかいつも以上に暗くね…?」

「バニーじゃありません、バーナビーです。何度言わせる気ですか虎徹さん。それに、折紙先輩に失礼でしょう、おじさん」

「いや、でもよ…ってお前今最後におじさんって言った?なあなあ、おじさんって言っただろ!」

「さあ?虎徹さんの聞き間違いじゃないですか?何て言ったってもうおじさんですから、耳も悪いですし」

「あ!ほら今!お前また言っただろ!」

「あーもー、あんた達うるさい!少しは黙ってトレーニングしなさいよ!」

「いでっ!」

「…すみません」


どうやら学校帰りで疲れて苛々しているらしいブルーローズに空のペットボトルを投げつけられ、謝るバーナビーをよそに俺はその場にしゃがみ込み頭を抱えた。ふん、と鼻を鳴らしてランニングマシンへと歩いていくブルーローズの背中を涙目で見送りながら、床に転がったペットボトルを手にとる。あいつのスポンサーである炭酸飲料のそれからは、視界の端でこちらに背を向けて膝を抱える男が醸し出す雰囲気とは正反対の甘ったるい匂いがした。


「…なあバーナビー、さっきの話だけどよ」

「なんですか、おじさんって言ったことなら謝りませんよ」

「……や、それは謝って欲しいけど、その話じゃなくて」

「はい?…ああ、折紙先輩のことですか?」


ペットボトルを片手で持て余しながら、サンドバックに向かおうとしていたバーナビーの背中を追いかける。するとバーナビーは一度中指で眼鏡を押し上げて、ちらりと視線で部屋の隅で膝を抱える男、折紙を見た。
仕事が終わって、ジャスティスタワーにあるこのトレーニングセンターに来た頃にはあの状態だっただろうか。何時もならば俵や的に向けて熱心に手裏剣を打っているはずの折紙が、今日はただひたすらに壁を向いて膝を抱えていた。前日の中継で一度も映るどころか見切れることすら出来なかった時はたまにああして落ち込んではいたが、昨夜の中継のことで反省すべきはむしろ自分だと思う。何せ昨夜道路を壊し、朝からとんでもない渋滞を起こしたのだから。


「何かあったんでしょうかね…」

「んー…、なあバーナビー、お前訊いてきてくれよ」

「はあ?何で僕が。虎徹さんが自分で行けば良いでしょう」

「んなこと言わずに!同じヒーローアカデミー出身だろ?前に講義だってしに行った仲だし?」

「それを言うなら虎徹さんだって行ったじゃないですか…」


どうして僕が。バーナビーがため息を吐きながら文句を言って、それでも折紙に向かって歩き出すところを見ると、なんて素直じゃないんだ、と内心笑えてしまう。
ゆっくりとした歩みで折紙に近付き、後ろに立ったバーナビーをサンドバックに隠れて見守る。バーナビーの手が折紙の肩に触れ、折紙が恐る恐る振り返ったのは分かったが、肝心の折紙の顔を見ることも、二人の会話を聞き取ることもこの位置からでは叶わない。
一言二言交わしただろうか。バーナビーが折紙の肩を気遣うように叩き、それから此方を振り返り何とも言えない表情をして戻ってくる。サンドバックから顔を出してどうだった、と口パクで問えば、バーナビーは表情を崩さず肩をすくめただけだった。


「何だよ、訊かなかったのか?」

「いえ、今朝ここに来るまでに財布を盗まれたそうですよ。ですが、」

「はあ!?落ち込んでる原因それじゃねえか!何だよ肩なんか竦めちゃって、たかが財布で何を落ち込んでるんだかってか!?」

「失礼な、僕はそんな人間じゃありませんよ。それに人の話は最後まで聞いてください」

「へ?何、続きあんの?」


はあ、とバーナビーにため息を吐かれ、思わず苦笑しながら頭をかく。
視線だけで折紙を見たバーナビーに一歩歩み寄って、同じように折紙を見た。先ほどと変わらず壁を向いて膝を抱えるその姿は痛々しく感じて、早く励ましてやりたい気持ちになってしまう。しかし、バーナビーの反応からして俺は今折紙のもとに行くべきではないのだろう。いつの間にか折紙に向かって踏み出していた足を、バーナビーが無言で踏みつけていた。


「ちょちょちょっ、痛いってえの!」

「顔、赤かったんですよ、折紙先輩」

「いでで!小指!小指が!って、…はあ?顔?」


漸く解放された足から痛みを逃すようにぶんぶんと足首を振りながらバーナビーを見れば、バーナビーはいたって真面目な顔をして頷いた。それから折紙を見て、続いて俺を見る。やはりバーナビーは、真面目な顔をしていた。


「…と、なると…」

「ええ、まさか折紙先輩にそんなことがあると思っていませんでしたが…」

「なるほどなあ、風邪なら仕方ねえか」

「はい。…はい?」

「ん?」


しみじみと頷いた俺を、バーナビーが怪訝そうな目で見てくる。その視線の意味が分からず何だよ、と問えば、バーナビーは眉間にしわを寄せて信じられないとばかりに俺を見た。心なしか、何言ってんだこのおっさん、という心の声が聞こえてくる気がする。


「…これだからおじさんは…」

「え、いやいや、何だよ急に、なあ」

「すみません、僕これからトレーニングなんで失礼しますね」

「ちょっ、なあ、バニーちゃん!」


すたすたと俺を避けるように歩き出したバーナビーを追いかけるが、バーナビーは一度たりとも俺と目を合わそうともしなかった。








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