気紛れヒーロー | ナノ


『はあ!?辞めるってなんだよ、俺はんなこと聞いてねえぞ!』


ブロンズステージ、シュテルンメダイユ地区にある小さなアパートからは、上にあるシルバーステージの位置関係上、地平線から顔を出したばかりの太陽ならいざ知らず、ゆっくりと太陽が上にのぼり始めてしまったこの時間は太陽を拝むことが出来ない。それでも私は小さな部屋の窓を開け放し、朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。携帯の向こうから、おい!椿!と何度となく怒鳴りつけるような声がしたが、私はそれに慌てることなく窓枠に腰掛け欠伸を零した。


「気分が乗らないんだもん、だから辞めるの」

『はあー!?んな理由で辞めるって馬鹿か!お前は昔っからちっとも成長してねえじゃねえか!』

「ま、葉、そういうことだから。今日行くのが最後ね」

『はあー!?いやいや待て!お前!今日!?今日ってか!』


ベッドの端に放り投げられたままにされていたリモコンを取り、葉の声に適当に頷きながらテレビをつける。今朝のニュースは昨夜ワイルドタイガーが破壊した道路の修復作業が終わっておらず、渋滞が起こっているというもので、どうでもいいな、と窓枠から降り支度を始める。と言っても、鞄に詰めなくてはならないものは昨夜のうちに詰めたため、携帯片手に部屋干ししていた指定ジャージを下ろすだけだが。
視界の端にとらえていたテレビの画面からニュースキャスターが消え、占いコーナーが始まった。それを見てもう家を出る時間であることを知り、私は鞄をひっつかみ窓を閉めた。


「じゃ、そういうことだから、またね」

『いや、椿!考え直せ!お前なら絶対、』

「興味なーい」


ぶつん。通話を切って、携帯の電源を落とす。そのまま携帯をベッドに放り投げて、テレビに向き直りながら適当に畳んだジャージを小脇に抱えた。どうやら今日の私は恋愛運が最高に良いらしい。


『特に携帯を肌身離さず持っておくと思わぬ出会いが、』


ぶつん。テレビの電源を切って、リモコンを放り投げる。ぼすんと音を立ててシーツに吸い込まれたそれは携帯のすぐそばにその身を落ち着かせ、私はジャージを抱えなおしながら再度呟く。


「興味なーい」


昔っからちっとも成長してねえじゃねえか!葉の怒鳴り声が耳にへばり付いていた。それを振り払うように素早くルームシューズからブーツに履き替えて、玄関のドアに手をかける。勢い良く開けたドアの向こうには、二年と少し前にこのアパートに越してきてから変わらないいつもの景色が広がっていた。一つだけ違うのは、アパートの前に見知らぬおじさんが酒瓶を抱えて転がっているというだけ。


「さて、実技だけ出て辞めてこよーっと」


転がるおじさんを飛び越えて、私は通い慣れた道を歩き出す。道行く人がそんな私を怪訝な顔をして見てきたことも、どうでも良かった。そう、昔っからちっとも成長してねえ人間なのだ。好きなものや興味のないもの以外、どうでもいい。つまり、好きでもなければ私の好奇心を擽ることもないものは、他人の意見や視線は、どうだっていいのだ。そんな私を、葉はよく変ちくりんの気まぐれ屋という言葉で片付けた。
潰れた空き缶を見つけ、気が向いた私はそれをゴミ箱へと蹴り飛ばす。


「何かないかなー、面白いこと」


カンッ。ゴミ箱へ吸い込まれた空き缶を見送って、私は頭をかき空を仰ぐ。葉のいるオリエンタルタウンも晴れているだろうか、と、どうでもいいことを考えながら。









『最下位のあなたは今日一日注意を怠ってはいけません。気分じゃない飲み物を飲むはめになるかもしれませんし、小石に躓いて転ぶかもしれませんし、もしかすると泥棒にあうかもしれませんよ』


真剣な顔をしながらも自分にはまるっきり関係ないことだからとやけにはきはきとそう言ってのけた占いコーナーのお姉さんに、最下位で気分じゃない飲み物を飲んだり小石に躓き転んだり泥棒にあったりするかもしれないらしい僕が、思わず飲んでいた緑茶を口からふき出したのは記憶に新しい。
まさかそんなこと、といつものスカジャンを羽織って、朝から憂鬱になることを聞いたこんな日はたまにしか行かないスムージー屋さんに寄ってから仕事場に向かうべきだ、と僕は家を出て暫く歩いた先にある公園へと寄った。朝早くからやっているホットドックの屋台と並ぶように佇むワゴン車のそれは少し値が張るが、それだけの価値はあると僕はそのスムージー屋に寄る度に思っている。男性ばかりが買っていくホットドックの屋台と違い、若い女性や女の子達が並ぶその列に並ぶのは些か恥ずかしくはあったが、それでも僕は構わず並んだ。抹茶豆乳バナナスムージーは、それほどに美味しかった。


「はい、キャラメルバナナスムージーお待たせいたしました!ありがとうございましたー!」

「え、あ、あの…」

「あ、レシートご入り用でしたか?」

「………あ、い、良いです、ありがとう、ございます…」


なのに何故、僕は今キャラメルバナナスムージーを飲んでいるのだろうか。
後ろに並ぶ通勤途中のスーツを着たいかにもビジネスウーマンなブロンド女性がアニエスさんに似ていたせいもあってか、僕は注文が間違っていると言うことすら出来なかった。どうにか女性に混ざって列に並ぶまでは出来たが、僕のせいで余計な時間をさいてしまうことは僕の心にある余裕という文字を崩壊させてしまうほどの労力を持っていた。


「…はあ…抹茶豆乳バナナ…」


ワゴン車から離れて木陰でスムージーを飲みながら、僕はため息を零す。キャラメルバナナスムージーは決して不味くなかったが、抹茶豆乳バナナスムージーを飲むために恥ずかしさに耐えたのだ。その結果がこれだなんて、あんまりな仕打ちすぎやしないだろうか。
きゃあきゃあとピンク色のオーラを撒き散らしてベンチに座る女の子達を眺めながら、まさか占いコーナーで最下位だったからだろうかと考えてみる。それと同時に、ピンク色とオレンジ色のスムージーを片手に談笑する彼女達はきっと恋愛運が良かったのだろうと予想してみる。時折聞こえてくる彼女達の会話の中には、男の子の名前がちらほらと出てきた。バーナビーさんやスカイハイさんの名前は、聞こえなかったふりである。


「……今日は一日トレーニングルームにこもろう…」


だんだんと下がってきた気分に胸がつっかえるように重苦しくなってきて、僕の名前の上がる気配がない彼女達から目を逸らして木陰からのそのそと出る。スムージーは少し残っていたが、もう捨てることにした。
ゴミ箱は何処だろうか、と辺りを見回して、僕は目的のそれをホットドックの屋台のそばに見つける。ずいぶんと遠いな、なんて思いながらゴミ箱にゆっくりと歩み寄りつつ、横目にホットドックの屋台の周りで朝ご飯であろう出来立てのそれをほうばる男達を見た。そして、僕はスーツや制服姿でホットドックをほうばる男達の中に、ひときわ目をひく存在があることに気付いた。ダークブラウンのライダースに黒のスキニーパンツ、それにショートブーツを合わせ、ホットドックをほうばる一人の女の子。後ろからは彼女の顔を伺うことはできないが、時折吹く風が彼女の髪をさらって、大きな口でホットドックをほうばる口元だけはかすかに見えた。そしてもう一つ僕の目をひく、彼女の脇に抱えられた、僕のよく知る白いジャージ。間違いない、あれはヒーローアカデミー指定のジャージである。


「…わっ!?」


なんて、彼女と彼女の持つジャージに気をとられていれば、どうやら僕は地面に転がっていた小石に躓いてしまったらしい。かつんと小石が勢い良くとんでいくと共に僕の体が一気にバランスを保てなくなり、僕はその場に倒れ込むように転げた。
一瞬にして僕に視線が集まり、僕は慌てて立ち上がりながら何とか無事だったスムージーに目を向ける。周りに笑われているのが分かっていたから、顔を上げることが出来なかったのだ。
頭の奥の奥で今朝見た占いコーナーの言葉を思い出しながら、彼女も僕が転んだことに気付いただろうかと顔を俯けたまま視線だけで彼女を見ようとゆっくり視線をずらしていく。スムージーの太いストロー。彼女のショートブーツ。黒のスキニーパンツに白いジャージとダークブラウンのライダース。それから、真っ直ぐと僕を見る綺麗な瞳。
頭の奥の奥で、占いコーナーのお姉さんが小石に躓いて転ぶかもしれませんし、と繰り返し、次の言葉が出るより先に僕の頭が真っ白になった。


「…………あ………」


かち合った視線に、僕は息をのむ。真っ直ぐ僕を見つめるその瞳は限りなく黒に近い色をしていて、少し癖のある肩ほどまでの髪もそれと同じ色をしている。少し黄色味のある肌は、昨夜道路を誤って陥没させてしまったタイガーさんと、そんな彼を笑っていたキッドさんに似ていた。
ぱちり。彼女の真っ直ぐで綺麗な瞳がゆっくりと瞬きをする。ホットドックをほうばっていた彼女は、そのまま興味がなさそうに僕に背を向けて歩いていってしまった。


「……っ…!」


小さくなっていく彼女の背中を見送って、僕はその場に立ち尽くす。ぶわっと全身が熱を発したように熱くなり、もう声も出なかった。
慌てて胸をおさえ、僕は今朝見た占いコーナーのお姉さんの言葉を思い出す。最下位の僕は気分じゃないキャラメルバナナスムージーを飲むはめになり、小石に躓いて転んでしまった。頭の中で、お姉さんが真剣な顔をして僕を見る。もしかすると泥棒にあうかもしれませんよ、と。まさか、心を奪われるなんて。


「…う、うわっ……、うわあああ!」


ドキドキとうるさい胸をおさえながら、僕はジャスティスタワーへと駆け出す。熱くなる顔や体を見られることが恥ずかしくて、今にもぶっ倒れてしまいそうだった。

それから、トレーニングルームについて漸く占いのお姉さんが言っていた盗まれるものが何だったのか気付いた。ズボンのポケットに入れていた財布の姿が、そこには無かった。







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