洒落にならねえ | ナノ



珠のような体をゆっさゆっさと揺らしながら階段を駆け上っていく少年二人組に、疲れたでしょうさあさこのお菓子を、と甘さ全開で話しかけようとしたジャーファルを引き留めた夕刻のこと。彼と彼の部下達が纏めた書類に目を通しながら後ろでぶつぶつと文句を言うジャーファルを無視して、俺はさっさと政務を終わらせ夕飯という名の酒にありつこうと次々に書類を片づけながら、階段を下っていた。耳を澄ますと上からどしどしと鈍い足音をたてて二人組が階段を下りてくる気配を感じたので、ぴたりと文句を言うのを止めたジャーファルがまたお菓子を与えようとするのを止めなくてはならないのか、と一度書類から視線を外し、彼を振り返る。
ぎくり。動きを止めたのは、裾から何かを出そうとそこに手を突っ込むジャーファルだった。


「ジャーファル……お前……」

「……し、仕方ないじゃないですか。甘やかしたくなるんですよ……!」

「お前なあ……アラジン達を甘やかすくらいなら、部下をもっと甘やかしてやったらどうなんだ」


近付いてきた足音と気配に気を向けながら、俺はジャーファルの手首を掴み、ああ!と焦ったように声を上げる彼の手からこぼれ落ちた焼き菓子を受け止める。これは確か俺が煌帝国から持ち帰ったもので、皆で分けろ、と八人将の物達に配ったものだったはずだ。
分けてはいる。分けてはいるが、そうじゃない。


「こんなもの与えたら意味がないだろう!」

「え、ですが、疲れた時には甘いものと言いますし……」

「だから!意味が!……あー!」

「あ!?シン!」


何故俺には厳しく子供に甘いんだ!何故!
わっと頭を抱えてから書類をばさっと放り出し、上から近付いてくる気配より先に階段を下りきる。俺が今見たいのはこんな難しい書類でも俺以外に甘いジャーファルでもなく、酒なのだ。酒を、飲みたいのだ!
シン!待ちなさい!と声を荒げるジャーファルを振り切って、だっと勢い良く階段を下る。廊下を歩く兵達にも目もくれずそのまま森の側まで走り抜けた頃には、ジャーファルの声は遠くなっていた。


「……少し歩くか」


だが、どうせ直に彼は追いつくだろう。
それならいっそ気分転換だと開き直り、彼が俺に追いつくまで歩こうじゃないか。そう思い、走ったことにより乱れた衣服を正し、森の匂いを吸い込みながら大きな歩幅で歩を進める。誰かが水でも撒いたのか、それとも自分の知らぬ間に通り雨でも降ったのか、珍しいことに木々の葉には露が煌めき、俺は思わずそれらをしげしげと眺めた。
ざり、と少し湿った地面を踏み、森の奥へと進んでいく。シン!と俺の名を呼ぶ声がどんどん近付いてくるのを感じたが、歩みは止めなかった。


「…………ん、んん!?」


いや、止めた。


「………………」

「………………」


何故なら、露の煌めく木々の向こうに、黙々と歩く珍しい二人組がそこにいたからだ。
貼り付けたような無表情で黙々と森を歩くジャーファルの直属の部下である、とある一族のジズと、そんなジズの半歩後ろを歩幅を確かめるようにいつもの無表情で歩くマスルール。二人の表情は同じ物だが、漂う緊張感が明らかに違う。半歩前を歩くジズのそれは、何か粗相をしでかした時に必死に冷静さを取り戻そうとするときに見せるそれだった。


「い、いた!シン!」

「っ、しーっ!ジャーファル!静かに……!」

「は、?貴方、逃げておきながら一体何を、」

「いいから、静かにするんだ……!」


とうとう俺を見つけたらしいジャーファルに名を呼ばれ、俺は肩をびくりと揺らしながら後ろを振り返る。書類を拾い集めてきたのだろう。右手に書類を抱え左手で拳を作るジャーファルに謝ることも忘れ、俺はほら!と視線で訴える。
黙々と森を歩くジズとマスルールの姿を視界に入れたジャーファルが一瞬息を止め、それから気付かれぬようにと細い息を吐く。二人並んで黙々と歩く彼らを見ながら、ジャーファルは口を開いた。


「……あの、シン、貴方の耳にも入れておくか悩んだのですが」

「……なんだ……」


こそこそと声をひそめて話すジャーファルに合わせ、出来るだけ小さな声で答える。きっとファナリスのマスルールには意味の無いことだろう。すん、と鼻をならして、彼は此方を振り返っていた。
そんな彼から近場の木にさっと身を隠し、ジャーファルを見下ろす。木の影から二人をのぞき見るジャーファルの顔は、何とも言い表しがたい顔をしていた。
そ、とジャーファルのように二人の姿を盗み見る。やはりマスルールにとって、これは意味がなかったらしい。ぱちりと合った視線に咄嗟に笑みを浮かべて、俺は諦めたようにジャーファルの言葉を待った。


「あの二人、先日から恋仲になりまして……」


叫びたい気持ちを必死で飲み込んだ俺を、笑みを浮かべたまま必死で飲み込んだ俺を、どうか、どうか誉めて欲しい。心底、そう思う。







「つ、疲れた…………!」


ぶはあー!となんとも女らしくない溜息と共に身を投げ出して、寝台に沈む。甘い匂いがふわふわと舞い上がったのは、寝台の側に置いてある花のせいだろう。ジャーファル様の直属の部下である私は決して低くない立場のため、時折侍女の子が部屋を清め、花を置いていってくれるのだ。そしてどうやら、今日がその日だったらしい。柔らかなシーツに顔を埋めて、日が傾き藍色と茜色の混ざる窓の向こうの空を眺める。まさか、夕飯の時間になるまでひたすら黙々と森を歩くことになると、誰が考えただろうか。


「きつい……困った……とてもきつい……」


満身創痍だ。
うう、とわざとらしく泣きながら、シーツにぐりぐりと顔を埋める。息苦しさを感じながら思い返すのはマスルールとの散歩改め苦行で、私はシーツを手で手繰り寄せながら漸く先程わかれた彼の顔を思い出す。無。まさに、無。まごうことなき無表情。素晴らしいまでの無表情。黙々と森を歩くだけの行為を鐘が鳴るまで実に二時間。散歩というものは、もっと柔らかな空気を纏うものではなかっただろうか。少なくとも私なら、あの行為を散歩だと言われればふざけるなと怒る自信がある。それが彼は何だ。何故なんだ。


「あの無表情は何なの…………!」


先に述べた通り、無、である。怒りもせず呆れもせず、そろそろ夕飯っすね、じゃあそろそろ戻ろっかー、そっすね、と当たり障りなくさらりと別れた時の彼の無表情具合ときたら、私は訳が分からず頭をかきむしりたい気持ちになった。
そもそも、弁解をしておくが私は決して喋りたくなくて無言を貫いたわけではない。私は元来お喋りの部類に分けられる程には人と話す事が好きだし、侍女や商人が噂話をしていれば喜んでそこに混ざる。ヒナホホさんやドラコーンさんの話だって聞くし、ピスティやシャルルカンと馬鹿な話だってする。だが、私はそもそもマスルールという人間と、仲良くないのだ。決して仲が悪いわけではないが、良くもないのだ。何故ならそれは、彼とは殆ど会話らしい会話をしたことがなかったからである。そんな関係であるからして、私は何を話せば良いか分からなかった。分からなかったし、半歩後ろを歩く彼の突き刺さる程の視線が怖かった、という理由もあった。


「…………命乞いの練習でもするかね」


しておいて損はない、ないと、思いたい。
寝台からむくりと起き上がり、床に下りてその場に膝を揃えて座る。そのまま頭を床に擦り付けるように下げたところで、何をしているんだ自分は、と我にかえり、悲しくなった。
けれど、私はきっとこの命乞いのポーズを必死に繰り出さなくてはならないだろう。何故なら、今日のあの地獄の散歩で、このまま恋仲でいることは無理だ、と改めて感じたからだ。気まずいという言葉では足りない空気の重さ。殺されるわこれ、と何度も感じた突き刺すような視線。そして、どう足掻こうと彼には勝てない私。
何故私は武器の申し子なのだろう。私もファナリスならどうにか力ずくで逃げ出すことも可能だというのに。


「死にたくない」


切実な思いを吐露し、床に擦り付けていた額をそろそろと上げる。背後にあった寝台にもたれかかって溜息を吐けば、ほんの少し開いた部屋の扉の隙間から王様が私に向けてとても引きつった笑みを浮かべていた。
何だと。


「え、お、王様!?えっ!?」

「……何の儀式かと思ってずっと見ていたが……いやあ、何の儀式だ?」

「ああああっ!?見てた、えっ、おおお王様、私はそんな儀式など、いや、あれはただの練習でして!」

「れ、練習……?」

「はい!命乞いの!」

「それはとんでもないな!」


大丈夫なのかそれは!誰に命を狙われてるんだ!?
扉を勢いよくあけて部屋に飛び込んできた王様に、真剣な顔で肩を捕まれ強く揺さぶられる。あまりに強く揺さぶられたものだから、王様を止める言葉を紡ぐことも叶わず、王様が目を回し始めた私に気付くまで揺さぶるのを止めなかった。
は、と漸く私の異変に気付いた王様は慌てて手を離し、すまん、とばつが悪そうに眉を下げながら私の背中をさする。あと二回ほど揺さぶられていたら、私はきっと口からパパゴラスの蒸し焼きがこんにちはしていただろう。


「す、すまない……つい興奮して……」

「いえ……私こそおかしな練習を見せてしまいすみません……」


今度はきちんと周りに誰もいないことを確かめてから練習しよう。そう胸に誓って、胃からせり上がってきそうになっていたものが落ち着くのを待つ。少し待てばそれは簡単に引っ込み、私はほうと息を吐いて胸を撫で下ろした。
するり。王様の大きな手が背中から腰、いや、尻を撫でてくるのを感じながら、私は彼を見る。王様はやはり申し訳無さそうな顔をしていたが、内心は違うのだろう。彼の手は、とても正直だ。


「あの、王様はどうして此処に……」

「ん?あ、ああ!忘れてた!」


どうにかして手の動きを止めていただこうと王様に問いかければ、王様は本当に本来の目的を忘れていたかのように目を見開いた。此処にジャーファル様がいればこんな事にはならないのだろうが、如何せん珍しいことに王様は一人である。彼がジャーファル様を連れずに私に会うのは滅多にないことなので、彼の用件が気になって仕方がない。


「いや、それがな、ジズ、君に尋ねたいことがあってね」

「尋ねたいこと、ですか。私なんかに」

「ああ。良いかな?」


とても真面目な顔をして、彼は私を見る。しかし彼の手は、まるで肘掛けに置くかのようにその手を私の尻に置いていた。何て事だ。


「はい、私なんぞに答えられることでしたらいくらでもどうぞ」

「そうか!ありがとう!では訊こう!」

「はい!訊いてください!」

「マスルールのことなんだが!」

「ぐ、ぐふうっ……」


何て事だ。この王様、尻に手を置きながらとんでもなく鋭い質問をぶん投げてきた。
負った傷を隠すことなく唸れば、王様は不思議そうに目を丸くして私を見てくる。そんな王様に構いません続けて下さいと言いたいのは山々だったが、先ほどの苦行が頭に浮かび言葉が出てこない。


「だ、大丈夫か?……それで、尋ねたいことというのは、ジャーファルにおまえ達が恋仲になったと聞かされたんで、それを確かめに来たんだが……」


一応王として、八人将の恋沙汰は把握しておきたかったんだが。
王様はそういって、困ったように右手で頬をかく。左手は勿論、しつこいだろうが私の尻。


「それで、どうなんだ?ジャーファルの言ったことは本当なのか?」


王様に再度問われ、私はごくりと唾を飲む。迷っていた。賭であることを告げるべきか、否か。とても、迷っていた。
ジャーファル様達が知っているのである、それならば王様にも賭で負けたからだということを告げねばねらぬだろう。しかし、彼は失礼ながら大変お口が緩い。国が揺るがされるような言葉は決して、いや多分、口に出さないだろうが、彼も元来私と同じでお喋りに部類される側である。楽しいことは進んで参加するし、ピスティと私と王様であの侍女はあの兵とシャルルカンがこの間ふられていただのと話すこともある。そこに酒が入ればなおのこと。果たして、彼の口に戸を立てる事が出来るだろうか。お酒が入った彼の口を、止めることは出来るだろうか。


「ジズ……?」


そこまで考えて、私を心配そうにのぞき込んでいた王様に気付く。私としたことが、とんでもなく恐ろしい私の上司様であるジャーファル様よりも遙か高い位に存在する王様に、何て失礼なことを考えてしまっていたのだろうか。彼は女性関係に難があろうと、曲がりなりにも王である。民を思って行動をする、王なのである。そんな彼が、私の命に関わることをぽろりと口にするだろうか。彼が愛してやまない民の中の一人である私を、簡単に命の淵に立たせるだろうか。


「……はい、恋仲ですっ」


口に、する。彼は絶対、口を滑らせる。


「おお!そうか!それは良い、いやあめでたいな!」

「あ、ありがとう、ございます……」


そもそも尻を触りながら真剣な顔をする男を、どう信じれば良いというのか。彼は王としては立派だが、男としてはふわふわと風で舞い上がるくらいに軽いではないか。政務の具合によっては時折重いが、酒が入った彼はジャーファル様でも彼の肩を持てないくらいに軽い。何度か女性関係で怒鳴られているところを、私はしっかり覚えていた。


「まあマスルールにも訊いたんだがな!」


じゃあ訊かないでくれ……!
言うか言うまいか悩んだ私の時間が無駄なものであったと知り、私はそうなんですかーと返しながら笑顔を貼り付ける。王様は満足そうに笑って、ぽん、と肩を叩くように尻を叩き、ぐっと拳をつくってみせた。


「頑張れよ、ジズ。私は応援しているからな!」

「……は、はい……」

「それじゃあそろそろ飯でも食いに行くか!ジズも一緒にどうだ?」

「後で行きます……き、着替えたいので……」

「そうか。それじゃあ後でな」


去り際に再度尻を叩かれ、颯爽と部屋を後にする王様の背中を見送る。彼の大きな背中を、これほどまでに虚しい気持ちで見たことはない。
王様にまで仲を応援されてしまった私は、果たして上手く生き延びれるのだろうか。頭の中でどうにか上手いこと別れ話にもっていけないだろうかと考えながら、私は膝を正してそのまま頭を下げる。無意識のうちにしていた命乞いのポーズは、その日一番の出来だった。







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