洒落にならねえ | ナノ




「ジズ、悪いことは言いません、死にたくなければ彼に賭で負けたからだという事は黙っておくのですよ……!」


薄らと白み始めた窓の向こうでパパゴラスの群れが朝を告げるように鳴くのを聞きながら、私はジャーファル様の脅しとも言える忠告にこっくりこっくりと頷いた。部屋の中には今や床に倒れ込むようにして眠りこけるピスティとシャルルカンがいて、ヤムライハはいつの間に部屋に戻ってしまったのだろうかと眠気でしっかり働いてくれない頭で考える。
それにしても、まさか朝になるまでひたすら説得されてしまうとは。


「わ、分かりましたから……、ほんと、分かりましたからジャーファル様……」

「いいえ、貴方は分かっていません。私は知っているんですよ、貴方がどうしようもない馬鹿だと!」

「ぐうの音も出ない……」

「おや、失礼しました。とにかく、どうにかして別れようなどとは考えないことです。貴方が下手に動けば、必ず悪い方に転がるんですから……」


まさに転がり落ちている私に、これ以上どう悪い方に転がれと言うのだろうか。しかし、わざわざそんなことを口に出せば漸く部屋に戻ることを許してくれたジャーファル様がまた部屋に引っ張り込んで、朝食の時間になるまでお説教を受ける羽目になることは目に見えている。見えているどころか、実際にそういったことは何度もあったのだ。真面目に政務について話すジャーファル様に王様と二人して口を挟み、日が変わるまで説教をされたことが。そして、私に至っては何度拳骨を食らったことか。
現に、初めて先程のマスルールに賭だと気付かれるなという言葉をジャーファル様達四人に言われた時、私は暫し逡巡した後、それなら気付かれないうちに別れなくては、と零したせいで、空が白み始めた今の今までジャーファル様に捕まっていたのだから。今や白んでいるどころか朝日が見えるが、それはひとまず置いておこう。


「良いですか、これでも私は貴方を大切な部下だと思っているんです。私は、貴方を死なせたくない……」

「ジャーファル様っ……!」

「ですから、馬鹿な事は、もう二度と、するな」

「……ジャーファル様……」


ぎゅっと私の手を包み込むように握りしめた彼の手に、ぎりぎりと力が込められる。のぼり始めた朝日が彼の満面の笑みを照らすものだから、私は朝日が眩しくて仕方ないふりをして、黙って頷いてみせた。決して、決してジャーファル様が恐ろしくて直視したくなかったからなんかではない。


「よし、では、朝食後は先日話していた国税について纏めますんで、近年の書類を持って執務室に来るように」


やだ、何この人怖い。仕事の鬼だ。
では、と穏やかな笑みを残して漸く部屋に戻ることを許された頃には握りしめられていた手が真っ赤になっていて、私は泣きそうになりながら重い足取りで部屋を出た。今から寝たら、きっと私は起きれない。ということは、私はもう、寝てはいけない。
はああ、と大きな溜息を吐き出して、廊下をのそのそ歩く。廊下の窓から見える木々の何処かにマスルールがいる気がして、ほんの少しだけ眠気はさめたのだった。







そして、午後を回ったことを告げる鐘が国に鳴り響く頃には、私の眠気の針はすっかり振り切れていて、それどころか目の前の現状に冷や汗が止まらないほどである。
さて、何から説明すれば良いのだろう。私はジャーファル様に叱られまいと朝食の時間までに国税の書類をかき集め、これは先程飛んでいた子だろうかと思いながらパパゴラスの蒸し焼きをゆっくりとしっかりと食べ、眠気など微塵も見せないジャーファル様の下ひいひい言いながら働いていた。書類に不備が無いようにと必死に目を光らせていたがそれでも一晩寝ずに仕事に向かうとどうしても見落としてしまうことがあるというもので、私はその度にジャーファル様から時間をとらず、且つ私を反省させるには効果覿面な拳骨を落とされたのだった。武器は避けられても拳骨は避けられないことを熟知していて拳を振り落とすのだから、いつか私が撲殺されたらきっと犯人はジャーファル様であろう。彼以外に私に拳骨を落とすのは、誰一人としていない。
さて、そんな拳骨祭りから解放されたのは、仮眠もとらずに書類を纏めたおかげでいつもより早く政務の終わった先程の事。お八つ時にぴったりなこの時間に休みを味わえるのは珍しいことで、私はすっかり機嫌を良くして執務室を後にした。お八つ時、というからには執務室を出た私が向かう先は勿論厨房で、何かしら料理番に頼み小腹の空いた腹を満たして貰おうと考えていたのだ。


「……………………」


それが、何故、私は今森の中にいるのだろう。


「…………ま、マスルールさんや……」

「……………………」


王様に痩せろ命令を出されたアリババ君とアラジンがひいこら言いながら随分とふくよかになってしまった体を揺らしながら走っていく姿を横目に、私は廊下を軽い足取りで歩いていた。眠気がぐわっと振り切れていたせいで、注意力が散漫になっていたのだろう。森の匂いがするな、と気付いた頃には何かが勢い良く私のお腹に体当たりを食らわし、私は宙を飛んでいた。お腹に体当たりを食らわせたものがマスルールの腕で、宙を飛んでいたのは彼に担ぎ上げられ運ばれているのだと漸く理解した頃には彼の足は森に踏み入っており、私はほぼ攻撃に近かったその腕の衝撃と風圧に言葉を失い、そろりと下ろされた地面の上でお腹と胸を押さえながら恐る恐る彼を見上げたのだった。
そして今、彼は非常に不機嫌そうな顔をして私の目の前に胡座をかいて座っていた。


「……あの、何か、言ってください……」

「……………………」


無視である。


「……えと、あの、す、すみません……」


いつも私に対して無表情を貫いていた彼があまりにも分かりやすく不機嫌さを露わにしているので、私はその形相に膝を揃えてぴしりと座り、訳も分からぬまま頭を下げる。これを人は土下座と呼ぶが、私にとっては命乞いのポーズである。誰か助けてくれ。


「…………何で謝るんすか……」


これで駄目なら地面に頭でも擦り付けるか、と額をそろりと地面につけようとしたその時、今の今まで黙って私を見下ろしていた彼が漸く口を開く。その事に咄嗟に顔を上げるも、彼がやはり不機嫌なことに変わりはなく、それどころか彼は何故謝る、と問うてきた。
何故、謝るか。死にたくないからだ。なんて言えるはずがなく、下手な事はするな、というジャーファル様の忠告が頭の中でぐわんぐわんと勢い良く回る。こういう時に何と返すのが正解なのか、ジャーファル様は教えてくれていない。彼が私に今日叩き込んだのは、例え疲れていても虫が這ったかのような文字を大切な書類に走らせるな、ということだ。


「……あの、なんか、なんでだろ……?」

「……………………」

「え、ご、ごめ、いや待って、えと、何で、怒ってるのか訊くのは有りかな……!?」


むっすーんとした黒い何かが彼を覆った気がしたので、私は頭の中でああでもないこうでもないと言葉を選んで彼に尋ねたが、口にしてしまえば自分の察しの悪さを露呈する頭の悪い言葉だった。その言葉に彼はさらにむっすりとしたが、今更言葉を取り消すことなど出来るはずもない。彼は心底不機嫌そうに、ぎりり、と歯を食いしばって地面を睨みつけていた。


「…………散歩……」


ジャーファル様の言う悪い方へごんごろと転がり落ちる自分を想像しながら、再び命乞いのポーズをとろうとしたその時、地面を睨みつけていたマスルールがぽつりとこぼす。その言葉がどうにも彼の形相と私の今にも命乞いをし出す情けない格好と噛み合わない言葉に聞こえて、私は思わず彼の顔を見た。


「…………散歩、待ってたのに……」


なんと。


「ずっと、待ってたんすけど……」


なんと。


「え、あ、仕事、終わらなくて」

「……………………」

「……ご、ごめんよ、待たせて」


彼の口から飛び出したびっくり発言に、私はまんまとしてやられている。吃驚どころかこれは現実かと彼が地面を睨んでいるのを良いことに辺りを見回して自分の手のひらに爪を食い込ませてしまった。しかし、これはどうやら現実らしい。辺りには何ら変哲のない森の景色が広がっていて、私の爪は見事にくっきり食い込んだ。とても痛い。
そろそろと、小さな声で謝りながら、地面を睨む彼の肩に手を伸ばす。私の手が彼の肩に触れるか触れないかの瞬間、彼がちらりと此方を見たので、私はぴたりと手を止めた。触れた瞬間、手を握りつぶされそうな気がした。


「……今日はもう、仕事ないんだけど」

「……………………」

「…………今からで良ければ、散歩、しない?」


手の位置はそのままに、私は彼にそう尋ねる。ほんの少しでも動けば触れてしまいそうだが、彼の目が私を見つめてくるせいで、動けなかった。何をしようと殺される気がする。困ったものである。私のせいだが。
ふ、と再び地面に視線を落とした彼に、やはりここは命乞いのポーズだったか、と心の中で頷いた瞬間、彼はゆっくりと顔を上げ、それから膝に手を置き立ち上がった。突然のことに驚いた私は咄嗟に手を引っ込め、彼を見上げる。彼の顔は、いつもの無表情に戻っていた。


「………………」

「え、な、なに、」

「……散歩」

「おおおおう」

「散歩、しましょう」

「お、おおおおう……」


私を見下ろしてそう言った彼に、私は冷静さをすっぽんと何処かに放り投げながら立ち上がる。大きな体が隣に並んで、私が恐る恐る足を踏み出せば彼も半歩後ろをついてきたので、私は何も考えるなと自分に言い聞かせながら森の中を黙々と歩いたのだった。
時折鳴いたパパゴラスは、きっと私を馬鹿にしていたに違いない。








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