洒落にならねえ | ナノ
「マスルール、ジズ探して呼んできてくんね?」
「……何で俺が」
「だあってよぉー、お前暇そうじゃん、先輩の言うことは聞いとくべきだって」
「はあ、意味分かりませんね」
「いーからいーから!ジズ探して来いって!な!」
「チッ」
「んあ!?舌打ちした!?今先輩に向かって舌打ちしなかった!?」
と、そんなやり取りをしてマスルールを紫獅塔の廊下から送り出して丸一日。ジズはおろかマスルールすら俺の前に現れず、代わりに暇だと現れたピスティに思わず泣きつきそうになったのが昨日の昼下がり。それからピスティと二人してヤムライハの研究の邪魔をしに図書館へ向かい、俺達のしつこいちょっかいにヤムライハがとうとう切れたのと、何故だか分からないがジズとマスルールという珍しい組み合わせがこれまた珍しく図書館なんかに現れたのが、太陽が傾き始めた頃、である。
「さあ、どういう事か説明してもらいましょうか?」
「ぐ、ぐふう、で、でで、出来ればジャーファル様、そそそ、そ、そその拳をおおおお下げに、」
そして、今は夜更け。
ジャーファル様に仕事は無いかと訊きに行ったきり、結局仕事があるからと上手いことマスルールから逃げたらしいジズを前に、ジャーファル様は怒りで肩を震わせながら拳を上げていた。
話します!話しますからあ!とだらだらと汗を流しながら頭を隠すジズに、執務室の前から一向に離れようとしないマスルールに対抗し、柱の陰に隠れて彼奴が去るのを待っていた甲斐があったというものだ。とっぷりと夜が更けても去ろうとしない彼奴には流石にピスティとヤムライハと三人で顔を見合わせたものだが、つい先程彼奴は欠伸とため息を零し、漸く諦めたように去っていった。そしてそれにいち早く気付いたらしいジズが恐る恐る扉を開けた所に、俺達三人が突撃した次第である。
「さっさと話しなさい……私の、この拳が、貴方の頭に、落ちないうちに!」
「ひぃっ、じ、じゃ、ジャーファル様っ、おおっ、脅さないでっ……!」
「脅しではありません、実行します!この馬鹿がっ!」
「いだっ!?いたいいたい!いたっ、痛いっ!」
「お、おおお、待て待て待て、ジャーファルさん落ち着いて!」
ぼこぼこと何度もジズの頭に拳骨を喰らわせるジャーファルさんを慌てて取り押さえると、ヤムライハとピスティがおろおろと戸惑いながらジズに近寄るが、ジャーファルさんの恐ろしい形相のせいで彼女を庇うことが出来ない。それでもジズはずびっと鼻を啜って、手を差し伸べるか悩んでいた二人に小さくありがとうと呟いた。とても不憫である。
ふう、と深く息を吐き出したジャーファルさんを解放し、床に座り込んで頭を押さえるジズの隣にしゃがみ込む。此処から見上げるジャーファルさんの形相はとんでもないもので、他人事ながら恐ろしく感じてしまった。
「……それで、何をしでかしたんですか、貴方」
「う、ううっ……、負けましたっ……」
「そうですね、私が勝ってますね。だから、早く言え!」
「うわああっ!そ、そうじゃなくてっ!負けたんですっ!賭けにっ!」
再び拳を振り上げたジャーファルさんに、ジズが俺を盾にしながら叫ぶ。なんて女だ、と思いはしたが、はて、今この女は何と叫んだのだろう。
え、とジャーファルさんが振り上げた腕の動きを止めて、眉をしかめてジズを見下ろす。ジャーファルさんが何を言うでもなくジズはそんなジャーファルさんの目を見るなりこくりこくりと大きく頷いて、すびばぜん、と汚い声で鼻を啜りながら謝った。
ジズには、悪い癖があった。それは、危険極まりない賭けをする事である。俺とピスティと馬鹿をしてふざけている時なんてまだ可愛いもので、ジズは止せば良いものを、わざわざ寿命の縮まる賭けを自らし出すのだ。そして負けるのだ。なんて女だ。馬鹿だ。ジャーファルさんの下着を盗みしこたま殴られたジズ、アバレウツボに飲み込まれ中から腹をかっさばいて出てきたジズ、酔ったヒナホホさんに夜這いをかけて襲われそうになったジズ。思い返しただけで、涙が出そうになる。ジズは馬鹿だ。馬鹿なのだ。
「……か、賭けを、しました」
「………………」
「…………く、くじで、外れを引いた人が、自分の名前を呼んだ人に告白をするという、馬鹿な賭けをしましたっ……!」
馬鹿という自覚はあるらしい。
黙って見下ろしてくるジャーファルさんから顔ごと逸らし、ジズは叫ぶよう言い切った。そして俺は思い出す。ジズを探して呼んでこいとマスルールに言いつけたのは、俺だということを。
「……わ、わりぃジズ、俺がマスルールにお前を探しに行かせたから……!」
「うん、ほんとにね!ほんと!シャルルカン殴るって思ったね!」
「てめえまじかよ」
下手に出て謝ればまさかの言葉を返されてしまった。なんて女だ。
「この、馬鹿が!」
「いだあっ!?」
「元はと言えば!お前が馬鹿な事をするからだ!シャルルカンのせいにするんじゃありません!」
「す、すす、すみませんっ……!ごごご、ご、ごもっともです……!」
再びジャーファルさんの拳骨を喰らったジズが、ごめんなさい、と涙をぼろぼろこぼしながらしがみついてくる。この涙は痛みのせいだと分かってはいるが、どうにも泣かれてしまうと怒りというものは萎んでしまうものらしい。そしてそれはジャーファルさんも同じらしく、きつく握りしめていた拳を漸く緩め、はあ、と大きなため息を吐いた。
ねえ。小さな声が部屋に響いて、俺とジャーファルさんが振り返る。ヤムライハにしがみつきながら恐る恐る手を挙げるピスティの顔は、青ざめていた。
「あ、あの、ちょっと、良いかな」
「……どうしました、ピスティ」
「その、素朴な疑問なんだけどさ、」
「何ですか?」
「……ジズがそんなに泣いてるってことは、勿論オッケーを貰ったからだよね?」
なんだと。
「てことは、マスルール君って、ジズのことを好きってことなんだよね?」
なんだと。
「…………ま、マスルールが、ジズを……?」
ピスティの言葉に、ジャーファルさんは口元を押さえる。思わず直ぐとなりで俺にしがみついていたジズを横目で見やれば、ジズはまさかの真顔であった。なんて女だ。
マスルールがジズを好きだという兆しは、自慢じゃないが、見たことが無い。謝肉宴で酔った俺とジズが絡みに行けばするりとかわしてヤムライハに押しつけ、暇だからお喋りしようと誘うジズをいや暇じゃないんでと断り、前が見えないほどの荷物を持ったジズを見事に見なかった振りをして背中を見送るような奴である。これのどこに好意が含まれているのか甚だ疑問であるし、もしもこれが全て好意のあらわれなのだとしたらマスルールの人間性を疑ってしまう。
が、しかし。不意に図書館での出来事が頭を過ぎり、俺は腕にしがみつくジズを見下ろした。丸い後頭部のその向こう、白い背中に、マスルールの言葉がくるくると頭の中を回った。
「ジズさんが働いてるところ見るのは、嫌いじゃないです」
そう言えばあいつ、黙ってジズを見つめてることが多かった気がしないでもない。
謝肉宴で酔った俺とジズをヤムライハに預けたのは、ヒナホホさんに夜這いをかけて襲われかけた前科持ちのジズが、他の男の所に絡みに行かないようにするためだったのだろうか。そう言えば、暇じゃないと断っていた時も、暇じゃないと言いながらも他の話し相手を探すのは手伝っていた気がする。よたよたと荷物を運んでいたジズを見送る目は、どこか楽しそうだったような。
そこまで思い返して、そんなまさか、と苦笑する。あの堅物がこんなふざけた女に好意を寄せる筈がないのだ。こんな、馬鹿げた賭けをするような女に。
「…………じゃ、ジャーファル様、私、殺されるんでしょうか……」
「い、いえ、何というか、その……」
「……でも、ジズの告白に頷くくらいなんだから、やっぱり……ねえ?」
馬鹿げた賭けに頷いてしまうくらい、好きなのか。
「……ジズ」
「へ、へいっ!」
突然声をかけられた事に驚いたのか、ジズはなんとも間抜けな返事をする。そんなジズの肩を掴んで目の前に並んだ瞳を見つめれば、ジズは冷や汗を流しながらじっと俺を見つめ返してきた。
「お前、マスルールに賭けだったって気付かれんなよ?」
「……な、何で」
「……そうよね、その方が良いわ、そうよ」
「ですよね……それか一番ですよね……」
「うん……これはもう仕方ないよね……!」
「え、ちょ、三人とも、何、え、何で!?」
狼狽えるジズに、ジャーファルさんが微笑みながら歩み寄る。そしてジャーファルさんはそのまま俺の隣にしゃがみ込み、ジズの頬に優しく触れた。
「ジャーファル、さ、ま」
「ジズ……貴方の告白が賭けだと気付かれたら、彼はきっと怒るでしょう……」
つう、とジズのこめかみを、一筋の汗が流れていく。武器の申し子であるジズは、決して弱くない。弱くないが、彼女は武器の申し子なのである。素手で闘うマスルールに、彼女は到底適わない。俺に勝てても、彼奴には。
ジャーファルさんは頬に流れてきた汗を親指で拭って、大きく頷いた。ジズはただひたすらに、真顔であった。
「マスルールを、幸せにしてあげて下さいね!」
ジズは、馬鹿なのだ。本当に、馬鹿なのだ。