洒落にならねえ | ナノ




「良いっすよ、俺もジズさんのこと好きだったんで」

「おうふ……」


とんでもない事をやってしまったものだ。赤面するわけでも恥ずかしげに目を逸らすわけでも無く、淡々といつもの無表情で言ってのけた彼、マスルールに、私は今更ながらそんな事を考えていた。
何故私がこんな目に。日頃の行いが悪かったのだろうと言われてしまえば首を横に振ることは出来ないし、そもそもお前があんな事を言い出すのが悪いんだと言われても首を横に振れない。要は自分が、私が悪かったのである。日頃から馬鹿な行いばかりしていた私が、言い出しっぺの私が悪かったのである。






私、ジズという人間は、暗黒大陸の今は滅びたとある国で生まれたらしい。らしいと言うのは私の出生や一族の事、果ては奴隷市場での出会いから買値、それからいかに自分という男が素晴らしい人間てあるかを葡萄酒片手に語ってくれた主人から聞いた話だからである。武器の申し子、と伝承されている一族の生き残りであるらしい私は、成る程、道理で、と、葡萄酒を注ぎながらそう思った。どういう訳か主人を盗賊や暗殺者から守る際、武器という武器が私に語りかけてくるように彼等が向けてくる刃を去なすことが出来たのだ。力こそファナリスには適わないが、ただその場をやり過ごし逃げ切るには私のような奴隷はもってこいであった。ファナリスには適わないが、安価で買った割にお前は良い仕事をする。そうだお前に名をやろう。好きな名を考えると良い。主人がそう言ったのは、今から三年前の話だった。
さて、事の顛末を話してしまうと、名を与えられた私はその日のうちに主人をたこ殴りにし、転がるように屋敷を飛び出した。屋敷にいた奴隷仲間と私は、賭けをしていたのだ。誰一人として名を語ることを許されず番号で呼ばれていた私達がこの先名を語ることを許されたなら、その許された者が主人をたこ殴りにしてやろう、と。思い返してみれば、何とも頭の悪い賭けである。しかし、その頭の悪さが私達にとって日々の潤いだった。生きる糧だった。馬鹿な事を言っていなければ、生きるというものはとても辛いものだった。
そしてそれは、屋敷を逃げ出して忍び込んだ商船の行き着いた国、シンドリアでも変わらない。港に着くなり私に気付いた船員に取り囲まれ、真っ先に人波を縫って私にとんでもなく痛い拳骨を喰らわせてくださった今の上司、ジャーファル様が目の前にいなければ、一層のこと。


「ねえアリババ君、少しは痩せた?」

「いやあ……まだ二日目ですから、そんな急には」

「僕もまだかなあ。モルさんみたいに動けたら良いんだけど……」


屋敷を逃げ出して三年。シンドバッド王の御慈悲によりジャーファル様の部下になった私は、半年前から食客としてシンドリアに滞在していた彼等と過ごす事が当たり前になりつつあった。
ぷるぷると照れ臭そうに首を横に振るモルジアナの隣に寝転がって、私は正面にいたアラジンのお腹をつつく。止めてよお姉さん、と彼は言うが、その顔はとても嬉しそうだった。


「早く痩せないとねえ。これはまずいよ。流石に」

「ううーん……頑張ってるんだけど……」

「まあ、まだ二日ですから」

「そうそう、モルジアナの言う通り、まだ二日ですよジズさん!これからですって!」

「君のその妙な自信が心配なんだけどね」


ぐっと拳を握りしめた彼に、私は小さくため息を零す。ここに来た当初が信じられないくらいの変わりようだ。それはきっと良いことなのだろうが、ジャーファル様は如何せん彼等を甘やかし過ぎたと思う。私が彼の部下に決まった時なんてそれはそれは厳しかったというのに、この差は一体何なのだろう。あまりに厳しくて、毎日ヤムライハに泣きついていたというのに。シャルルカンとピスティと三人で馬鹿なことをしては現実逃避していたというのに。


「……あ、そうだ」


ヒナホホさんにピスティと二人で肩車をして貰ったことを思い出しながら、私は一つ良い案を思いつく。


「どうしました?」

「ふふ、モルジアナ……、この二人を精神的にも追い詰めたら痩せると思わない?」

「せ、精神的に……ですか?」

「えっ、ちょ、何ですかジズさん、その不吉な言葉……!」

「不吉じゃないよ、楽しいことだよ!」


先程のアリババ君のようにぐっと拳を握って、私は体を起こす。胡座をかいてその場に座り直せば、アリババ君は顔を青ざめさせながら私からじりじりと後退りした。勿論そんな彼を逃がしてやる筈もなく、私はぱっと手を伸ばして彼の太ましくなった手首をとった。
痩せる方法は、何も運動だけではないじゃないか。精神的にじわじわと追い詰められたら、自然と胃も縮んで痩せるというもの。私は確かに、ジャーファル様の部下になったばかりの頃、今よりは不健康な痩せ方をしていた筈だ。


「は、離してくださいよジズさんっ」

「離さないよアリババ君。絶対に君を離さない」

「ジズお姉さん、何だかとっても格好いいねえ」

「ありがとうアラジン君、よし、それじゃあ早速やろうか!モルジアナ!その辺の紐取って!くじを作るよ!」

「あ、はい」

「外れを引いたら……そうだな、この部屋を出て一番初めに自分の名前を呼んだ人に告白だ!そうしよう!」

「ああああ、またそんな馬鹿みたいな……!ジズさんって何でそんなに生き急いでるんですか!?」

「ありがとう!褒め言葉だよ!」









「さて、まさかこんな結果になるなんてね……」


先を赤く塗った麻紐を握り真顔で言う私に向けられる視線は、明らかに同情の色を含んでいた。
生き急ぎ過ぎただろうか。いや、そんな事はない。むしろこれが通常だ。微かに痛むこめかみを押さえて、一人小さく笑いをこぼす。此処にピスティとシャルルカンがいたなら指をさされて大笑いされていただろうが、今この場にいるのはアリババ君達三人である。彼等は大笑いするどころか、今や戸惑ったような顔で私の肩に手を乗せていた。とても胸が痛い。


「あ、あの、ジズさん……」

「……やるよ、やってやる。私はね、やるときはやる女なんだ、アリババ君」

「いやでもジズさん……流石に告白は……」


ぷるぷると首を横に振り、考え直せ、と彼は訴えてくる。その隣にいたモルジアナとアラジンまで同意するように大きく頷いたのだから、今の私は余程可哀想なものらしい。
しかし、言い出したのは自分なのだ。一番年上の私が言い出したのだ。それに私はきっと、アリババ君が外れを引いていたら止めることはしなかっただろう。そんな人間に、この賭けをおりる資格は無い。


「ふふ……大丈夫、大丈夫!何も出会った人に告白する訳じゃないんだ、私の名を呼んだ人になんだから!大丈夫だよ!」

「で、でもジズさん……」

「私の名を呼ぶ人なんてね、ピスティにシャルルカン、ヤムライハ、それから王様に、じゃ、じゃ、ジャーファル様にだけは会いたくない……」

「ジズさん……!」


麻紐を持ったまま、私は頭を抱える。
もしもピスティやヤムライハなら、すぐさま冗談だと分かってくれる。シャルルカンは本気にしたとしても直ぐに冗談だと言えば笑ってくれるだろうし、王様は冗談だと分かっていながら乗ってくれそうだ。ヒナホホさんやドラコーンさんは今日は宮殿にいない筈だし、スパルトスに至っては滅多なことがない限り自分から寄ってこないし、マスルールは、マスルールは、よく分からない。
しかし、ジャーファル様はどうだろう。冗談だと分かっていてもそんな馬鹿な事を言う暇があるなら働けと怒鳴られそうだし、本気にとられて冗談だと言えばそれもまた然り。怒鳴られる。拳骨を喰らう。彼は私が武器を避けられる代わりに武器ではない生身の拳を去なすのが得意では無いことをよく分かっている。分かっているから、本気で殴ってくる。
体が、ぶるりと震え上がった。


「ジズさん、止めましょうこんな事!ほら、俺達がもっと違う命令を考えますから!」

「そうだよジズお姉さん、落ち着いて」

「ふ、ふふ、大丈夫、ほんと、大丈夫、私、出来る子なんで……!」


あわあわと手を取って首を振るモルジアナの頭を撫でて、私は立ち上がる。それから目を閉じて、すう、と鼻から息を吸い込んだ。
ファナリス程の嗅覚は無い。けれど確かに私の血は暗黒大陸で生まれたもの。近くにいる人間のにおいくらい、判別出来た。


「……大丈夫、ジャーファル様は居ない。これは……いける……!」

「だっ、だから生き急ぎ過ぎですよジズさん!考え直してください!」

「大丈夫だよ、三人は私の後ろをこっそり着いてきてね!私の名前を呼んだ人に告白するから、しっかり見てて!」

「あ、ちょ、ジズさん……」


モルジアナの手が私の手を掴もうとしたが、私は大股で部屋を出ようと扉に歩み寄る。ずっしりと重いそれに手をかけて、ゆっくりと息を吸い込んだら、モルジアナのものだろうか、シンドリアの森の匂いがした。
三人の呼び止める声を聞きながら、私はずっしりと重いそれをぐっと押した。
押した、筈だった。


「ジズさん、シャルルカン先輩が呼んでましたけど……」


まさか、私が押すより早く彼が扉を引いて、あろう事か私の名を呼ぶとは。
そうか成る程、そういえばモルジアナと彼、マスルールは同じ匂いがしていた気がする。その証拠に、さっと寝台の後ろに隠れたモルジアナと、目の前の彼の匂いの区別が殆どつかない。後ろをそろりと振り返って寝台に隠れる三人を見たが、彼等は何も言わず、顔すら出さない。そこに居ることは私より鼻の良い彼には気付かれているだろうが、彼は何も言わなかった。


「……しゃ、シャルルカンが、な、何て……?」

「先輩がジズさんに用があらふから探してこいって言うんで……」

「シャルルカン殴る」

「殴るんすか。手伝いましょうか」

「いやいや、もう、ね、もう、もう……!」


マスルールに来させるならお前が来いよ!そしたら冗談で軽く笑い飛ばせるのに!
握り拳を作った私の胸中をマスルールが分かるはずもなく、彼は大きな図体をしながら小さく首を傾げて私を見下ろしていた。よりにもよって、何故彼なのだろうか。何故。
実の所私は、彼、マスルールをそんなに得意としていない。スパルトスよりも口数が少ない彼が、いつも馬鹿をするシャルルカンや私のような人間を好まないことを私は知っていたし、そして何より殆ど武器を使わず己の拳や脚で戦う彼に、私は適わないからだ。決して仲が悪いわけではないが、良いわけでもない。彼がどう思っているかは知らないが、少なくとも私は今彼を目の前にして戸惑うくらいには苦手であった。
本当に何故、よりにもよって、彼が来たんだ。


「……ジズさん、さっきから顔が赤いですけど……」

「え、ご、ごめん、き、気のせい、です」

「はあ、そうすか……」


シャルルカンへの怒りのあまり顔が熱くなってきた。それを誤魔化すように前髪を弄ったり髪を耳にかけたりしてみるが、マスルールは私をじっと見下ろしてその場から去らなかった。
私は、彼のこういう所も苦手だったりする。特に何を言うでもなく見下ろしてくる彼に、私はいつも戸惑ってしまう。これがヒナホホさんやドラコーンさんなら、顔を上げて目が合えば微笑んでくれるものの、彼はどうだ。


「………………」


真顔で無言である。


「……あ、あの、マスルール」


何故この場から動かないのだろうかと疑問に思いながら、しかし今はその方が都合が良い、と私は口を開く。寝台の後ろに隠れる三人の気がざわついたのを感じながらマスルールの目を見れば、マスルールはいつものように私を真っ直ぐ見下ろしていた。恐ろしい。


「あ、あのですね、その、ですね」

「はい」

「そ、その……!ですね!」

「はい」


そわそわ。背中に視線が突き刺さる。のどがからからに渇いて、手に汗が滲んできた。シャルルカンの絡みをいつもするりとかわしてしまう彼である、きっと私の言葉もさらりと流して馬鹿言わないでください、とはねのけてくれることだろう。
ぐっと唇を噛みしめて、一度視線を落とす。それからゆっくりと顔を上げてしまえば、もう決心はついていた。大した事ではない。ただ好きだと告げて、馬鹿ですか、と頬を捻られるくらいだ。


「わ、私、マスルールが、好き、です」

「………………」

「良ければ、私とお付き合いしてください!」


ばっと勢いよく手を差し出して、下を向く。このまま手をぱちんと払われて、馬鹿ですか、と彼が言えば、この賭けは終わりだった。
終わるはずだった。


「…………え、」


しかし、何故だろう。私の手が、私よりも大きなそれにしっかりと包まれている。恐る恐る顔を上げると、やはり、私を真っ直ぐ見下ろす彼がいた。


「良いっすよ、俺もジズさんのこと好きだったんで」

「おうふ……」


口から出た情けない声と共に、私の魂も抜けてしまった気がする。冗談だと言える雰囲気なんかでは、なかった。

満足げに部屋を後にした彼を見送って、私は三人に肩を叩かれながら部屋に置いてあった高そうな壷を思い切り壁に投げつけた。生き急ぐなと、私は今朝の自分に叫びたい。







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